注目ベンチャーCOOが明かした 「医療AI」の事業化に必要な仕組み
知性を宿す機械

Medical AI startup requires person to commercialize in early phase 注目ベンチャーCOOが明かした 「医療AI」の事業化に必要な仕組み

少子高齢化が進む日本で期待されているのが、人工知能(AI)の保健医療領域への応用だ。だが、医療ビジネスには他の分野にはない特有の難しさがある。AIベンチャーが参入し、「医療AI」を事業化するには何が必要なのか? by Yasuhiro Hatabe2020.01.08

人工知能(AI)の社会実装において特に大きな期待が寄せられているのが、ヘルスケア(保健医療)領域だ。海外ではグーグルやIBMといった巨大テック企業が参入し、国内でも大学から大手メーカー、ベンチャー企業までさまざまなプレイヤーがいわゆる「医療AI」の研究開発に取り組んでいる。

医療AIというと、テクノロジーやエンジニアリングの話が注目されることが多いが、AIを医療機器と捉えると規制が多く、事業化は一筋縄ではいかない。 2019年10月25日に開かれた「Emerging Technology Nite #15 医療AI最前線ーヘルステック・ビジネスの作り方ー」(主催:MITテクノロジーレビュー[日本版]/エムスリーAIラボ編集部)では、AI医療機器開発のスタートアップ、アイリスの田中大地COO(最高執行責任者)が登壇し、医療AIを事業化するポイントを語った。

リクルートやエス・エム・エス(SMS)を経てアイリスの創業期に参画した田中氏が強調したのは、医療AI領域における「事業化人材」の役どころだ。医療AIの世界では、医療者、AIエンジニア、統計解析の専門家が「ヒーロー」だという。しかし、この3者はそれぞれ研究者であるため、事業を進める上で起こりうるさまざまな「専門外」に対応するのは難しい。たとえば資金調達一つとってもそうだ。

「数億〜数十億円レベルの資金調達ができて、初めてテクノロジーの社会実装、サステイナブルなサービスを提供できる。そのために欠かせないのが、事業化を担う人材。専門家が対応できないものを全部拾うのが、事業化人材のやること」と田中氏は話す。

医療とAIは相性がいい

医療AIの中核となる深層学習は、2012年に開催された画像認識コンテストでその有用性が示されたことから世界的な注目を集め、第3次AIブームに火を付けた。コンテストで優勝したのが、「深層学習の生みの親」と呼ばれるカナダ・トロント大学のジェフリー・ヒントン教授率いるチームだ。同年開かれたカグル(Kaggle)創薬コンペで優勝したのも、ヒントン教授の教え子だった。そのヒントン教授が、AIの進化を理由に「放射線科医の養成は止めるべきだ」と発言したことは医療界に大きな衝撃を与えた。実際、特定領域ではすでにAIの診断が医師を上回る事例も出てきている。

「こういう話をすると、医師はAIに仕事を奪われる可能性もあり、医療現場にAIは受け入れられないのでは? という話になりがちです。でも実際そのようなことを⾔う医師は少ない。むしろウェルカムというスタンスの医師がほとんどです」。高齢化によって医療現場は多忙化が進む。AIを効率化に活用したいとの思いに加え、「医療の質を高める」というゴールを共有していることも大きいという。

「医薬品とAIの開発は似ている」とも田中氏は指摘する。医療の世界では、医薬品の化合物のように開発のプロセスは分からないものでも、「この疾患に効く」という事実とエビデンスがあれば受け入れてきた歴史がある。だからAIも、効果が証明され、学会等で認知される状態であれば、医師は受け入れる素地があるのだという。

医療機器の承認を得るか、非医療機器で行くかの岐路

田中氏がCOOを務めるアイリスは2017年11月に設立された。現在、医師が4名、AIエンジニアは12名。経済産業省や厚生労働省などの省庁出身者もいる。

同社は現在、AIを用いた高精度かつ早期診断が可能なインフルエンザ検査法の開発に取り組んでいる。現在のインフルエンザ検査、スワブ(綿棒)を鼻孔の奥に入れて拭ったものを分析する検査が主流だが、痛みを伴う上に検出精度も62%程度も低いと懸念されている。これに対し、アイリスのアプローチは、インフルエンザ患者の99%の喉奥にできるとの研究論文もあるインフルエンザ濾胞を画像認識によって検知するというものだ。同社は検査用デバイスとAIの開発に取り組んでおり、今後治験を実施し、薬事承認を目指す。

⽥中⽒は、「最初に考えるべきは、そもそもAIを『医療機器』にするかどうかの選択」だという。医療機器として承認を得れば、疾患の診断や治療、予防の「効果」を 謳うことができる。しかし医療機器でなければ、効果は⼀切主張できないというのが⼤きな違いだ。 加えて、医療機器化すれば保険点数が付く可能性がある。保険点数がつけば、医療機関の収益向上に直結するため、販売やマーケティング面で有利になるメリットがある。また、医療機器であること⾃体が、競合の参⼊のハードルを上げることにつながる。

ただ、医療機器化の道を選ぶことでのデメリットもある。研究や治験にかかるコスト が⼤きく、新医療機器の場合、申請から承認までに1年ほどかかってしまうのだ。⽥中⽒はもう 1つ、「ローンチ後にPDCAサイクルを回しにくい」デメリットを指摘した。ローンチ後に集まるデータによってAIを進化させていけると考えがちだが、現状のルールでは承認時の性能にロックされるためだ。承認された医療機器としてのAIが、それが事実上の「改善」であっても、承認時点と別物になってしまうことを避けるためであ る。

「ただ、米国食品医薬品局(FDA)は2019年の4月に、AI医療機器のロック解除を目指す宣言をしました。これが実現すれば、AI本来の特徴である学習による改善を見込むことができる」(田中氏)

他⽅、「医療機器でない医療AI」とはどのようなものか。タブレットやスマホを使ったいわゆるAI 問診サービスや、健康管理を⽬的としたAIトレーナーアプリなどが挙げられる。これらは⾮医療機器であるため、改善が⽐較的容易でコストもかからないメリットがある⼀⽅、診断や治療、予防といった効果が謳えず、販売・マーケティングにコストがかかる上、後発で強⼒な競合が登場する可能性もある。

「どちらを選ぶかは、経営陣の好みの問題。ただ、医療機器の承認を得るのは⼤変そ うだと思われがちで、実際、初期段階は開発も承認を得るまでのプロセスも苦労が多 いが、承認さえ下れば、⼤きなメリットがある。医療機器化をあきらめるなら相応の デメリットを受け⼊れなければならない」。

後半ではエムスリーAIラボの杉原賢一事務局長も加わり、会場からの質疑に応じた

ニーズドリブンの医療AI開発に適したチームづくり

医療機器化する大戦略が決まったら、次はチーム組成のプロセスに進む。ここで田中氏は、「医療者、AIエンジニア、薬事、そして事業化人材の4者を、できるだけ早い段階で揃えるべき」と強調する。その背景として、AIを含む医療機器は「ニーズドリブンであるべき」との考えを述べた。

医薬品の開発は、化合物の無数の組み合わせの中から疾患に効くものを見つけ出し、治験でその効果を証明していくプロダクトアウトの世界だが、医療機器は、医療現場の課題を見つけてそれをクリアするためのニーズドリブンの開発が基本となる。この考え方は、米スタンフォード大学のポール・ヨック博士らが開発した医療機器開発のための人材育成プログラム「バイオデザイン」にも組み入れられており、ニーズの探索と深掘りが開発のベースになるとされている。

「ただ、ニーズを探ろうと医師にヒアリングして課題が挙がっても、それがどの程度一般的なものかが分からず、うまくいかないケースをよく聞きます。それは、医師が当事者ではないから。フルタイムでなくてもよいので、チーム内部に医療者を引き込むことは必須だと考えています」(田中氏)

医療AIは、医療機器の承認申請や治験に時間がかかり、事業化までに数年を要する。「最初に捉えたニーズ・課題が的外れなものだったら、あるいは売ることを考えていない設計になっていたら、そのまま進めて上手く行かなかった時に5年前までさかのぼって考え直さなくてはいけない。早い段階で、医療者、AIエンジニア、薬事、事業の4者をチームの中に置いておく必要があります」と田中氏は力説した。

自社独自の学習データをいかに集めるか

AI開発においては学習させるためのデータが重要であり、十分なデータをいかに効果的に集めるかは重要なポイントだ。

グーグルは2019年9月、米国で最も有名なメイヨー・クリニックと提携し、医療データを使ってAIの開発に取り組むと発表した。さらに11月には、米国第2の規模の病院運営会社・アセンションと提携し、米国人数百万人の個人健康データを収集、分析する契約を結んだ。

研究分野ではオープンデータを使っているところもあるが、ビジネスの領域では、いかにグーグルに負けないデータ、自分たちしか集められないデータを収集するかが非常に重要になってくるということだ。田中氏は、特定の地域で発生する疾患に関するものなど地域性の高いデータを集めるなど、自社でしか取得できないデータ収集方法を考える必要があると指摘する。

さらに、「臨床研究の実施を最小限に抑え、サービスを提供する中で自動的にリアルワールドデータが集まる仕組みをつくれれば、自社で独自データを集める方法として有力だ」。イスラエルのタイトケア(Tyto Care)というベンチャーのオンライン診療サービスを紹介した。

タイトケアのユーザーは専用のIoTデバイスを使い、画像・問診データをアップロードする。そのデータを専門医が解析し、診断結果をユーザーに返す。これだけで、サブスクリプション型の遠隔医療相談ビジネスが成立しているのだ。さらに、この過程で専門医による解析とラベル付けが済んだ画像は、そのままAIの学習データとなる仕組みだ。

「医療機器に対する規制は多く承認を得るまでは大変だが、承認が得られれば、収益モデルは多様な選択肢がある。売り切りで販売してもいいし、レンタルも可能。利用ごとに課金してもいいし、サブスクリプション型サービスにもできる。データを集める段階で、ビジネスを通じてデータが集まる仕組みをいかにつくるかが、事業化人材が考えるべき一番のポイントになる」と田中氏は話した。