ブタから3Dプリントへ 無限「臓器工場」の夢を追う 起業家の挑戦
生命の再定義

The entrepreneur dreaming of a factory of unlimited organs ブタから3Dプリントへ
無限「臓器工場」の夢を追う
起業家の挑戦

世界初の心臓の異種間移植で使われたブタを作ったバイオテクノロジー企業の創業者マーティン・ロスブラットは今、ヒトに移植できる臓器を限りなく作り続ける工場を実現しようと奔走している。 by Antonio Regalado2023.06.01

起業家のマーティン・ロスブラットに初めて会ったのは、2015年にニューヨーク州ウェスト・ポイントで開かれた、テクノロジーを活用した移植用臓器の供給拡大を探索する会合だった。米国の移植待機者は、常時10万人ほどいる。2022年、米国内の移植手術は4万1356件と最多記録を更新したが、それでも6897人の患者たちが手術を待っている間に死亡している。リストに載ることが叶わなかった患者数も数千人にのぼる。

ウェスト・ポイントまでヘリコプターでやってきたロスブラットは、ハドソン川上空を出力を下げながら移動してきたという。社長にふさわしい到着の仕方だが、人命を救うべくドライアイスに詰められた臓器がちょうど届けられた光景を彷彿とさせた。後で知ったことだが、ロスブラットは、電動ヘリコプターによる最長飛行記録でギネスブックに登録されるほどのパイロットで、自らヘリコプターを操縦していたのだという。

ロスブラットのドラマチックな経歴は、すでによく知られている。ロスブラットは衛星通信事業で成功していたが、娘のジェネシスが致命的な肺病だと診断されると、バイオテクノロジー企業「ユナイテッド・セラピューティクス(United Therapeutics)」を立ち上げた。今では、同社が開発した薬のおかげで、ジェネシスのような多くの患者が命をつないでいる。だが、ジェネシスもいずれ肺移植が必要になるかもしれない。そこでロスブラットは、その問題も解決しようと、「移植可能な臓器の無制限供給」を実現する技術に着手した。

ロスブラットは、建築家が描いた完成予想図を使って臓器工場の計画を説明した。青々とした芝生の上に建てられた工場にはチューブ状の構造物がつながっており、全体を見ると雪の結晶のような形をしていた。屋根には太陽光発電パネルとドローン用のヘリポートが設置されている。この工場には、遺伝子を組み換えられた1000頭のブタが、厳重な無菌状態で飼育され、手術室では獣医師が、ブタに麻酔をかけ、心臓や腎臓、肺を取り出す。人体に適合するように改変されたこれらの臓器は、電動ヘリに積まれ移植センターへ運ばれる。

当時、ロスブラットの構想は、不可能なばかりでなく、彼女自身が表現するように「幻想的だ」と言われた。だが2021年、現実に数歩近づくことになる。9月にニューヨークの外科医が、ロスブラットの会社が開発した遺伝子操作されたブタの腎臓を、脳死した人間に移植し、腎臓が機能するかどうかを確かめる実験に踏み切った。移植した腎臓は機能した。その後、米国の複数の医師が、ブタから人への臓器移植を6回試みている。

最も劇的だった例は2022年、メリーランド州で心不全の57歳の男性がロスブラットの会社が提供したブタの心臓の移植を受けて2カ月間生きながらえた事例だ。執刀医のバートリー・グリフィスは、ブタの心臓が胸の中で鼓動している男性と会話ができるのは「極めて驚くべきこと」だと述べた。最終的にこの患者は死亡したが、この実験によって初めてブタから人への臓器移植で人間の生命を維持できることが実証された。ユナイテッド・セラピューティクスによれば、ブタの臓器の正式な臨床試験は2024年に始まる可能性があるという。

その中心にいるのが、『ニューヨーク』誌が「すべてを超越するCEO」と呼んだ、弁護士であり医療倫理学の博士号を持つロスブラットだ。それは、ロスブラットが著書『From Transgender to Transhuman』(2011年刊、未邦訳)で書いているように、ロスブラット自身が中年期に男性から女性へと性別を変えたからだけではない。ロスブラットは未来の倫理に関する哲学者でもあり、コンピューター・プログラムの市民権を提唱し、伝統的な男女の分断を人種的アパルトヘイトと比較、「死は選択可能で、神はテクノロジーだ」というトランスヒューマニズム宗教「テラセム」を設立するなど、多才な人物だ。ロスブラットは、人間の不死が、人物のソフトウェアを作ることで達成されたとしても、年を重ねてから臓器を取りかえることによって実現したとしても、率直に支持するという。

ブタからヒトへの臓器移植が1面の見出しを飾って以来、ロスブラットは医学関係の学会を回り、この研究成果を説明している。だが、ジャーナリストからの電話には筆者も含めて応じてもらえない。理由は、「インタビューに値することを成し遂げるまで、インタビューには応じないと自分に誓ったから」と、ロスブラットはメールで回答した。メールには、今後の目標が添付されていた。ブタの心臓を患者に移植した後3カ月間動かし続ける、ブタの腎臓で人の命を救う、ユナイテッド・セラピューティクスが開発中の3Dプリンターで作った肺でいかなる動物も生きられるようにする、などだ。

ブタからヒトへの臓器移植における次の大きな一歩は、常に人命を救えると証明する組織的な臨床試験になるだろう。ユナイテッド・セラピューティクスの他にも、自社でブタを飼育する競合のイージェネシス(eGenesis)とマカナ・セラピューティクス(Makana Therapeutics)は、いずれも臨床試験の実施方法について米国食品医薬品局(FDA)と協議中だ。おそらく、腎臓移植から始めることになるだろう。

企業や医師たちによれば、より大規模な臨床試験を始める前に、FDAはサルを使った実験をもう一度実施するよう求めているという。FDAは、動物が6カ月以上「安定して」生存することを期待し、ブタを特別な無菌施設で飼育することを要求している。フロリダ州にあるマイアミ大学医科大学院の教授でありマカナ・セラビューティクスの創設者でもあるジョセフ・テクター医師によれば、「この2つの要求を満たさなければ、研究は急停止を余儀なくされるでしょう」という。

最初に治験を始める企業も病院もまだはっきり決まってはいない。失敗を恐れるがゆえに均衡状態が保たれているとテクター医師は言う。ほんの2〜3回でも移植手術に失敗すれば、プログラムを破滅に導いてしまう可能性があるからだ。「私たちが最初の治験に挑戦したいかと聞かれれば、もちろんそうしたいです。しかし、これは競争ではないということを肝に銘じることが極めて大切です」と、テクター医師はいう。「アメリカズ・カップではないのです」。

競争ではないかもしれない。だが、臓器移植手術を手掛ける主要な病院は、この治験に参加して歴史的偉業を成し遂げようと事実上競い合っている。「『誰が宇宙飛行士になれるのか』と競い合っているようなものです。私たちの手術は成功し、全てが変わると信じています」というのは、ニューヨーク大学ランゴーン移植研究所の所長で、ブタの腎臓を初めてヒトに移植したロバート・モンゴメリー医師だ。

ブタの臓器が、移植用のヒトの臓器に取って代わるということではない。腎臓移植は98%の確率で成功し、10〜20年動き続けることが多いが、ブタの臓器はそれよりも劣ることはほぼ間違いない。違いがあるとすれば、「無限の臓器」が実現すれば、臓器移植手術の対象人数が大幅に増え、現時点では厳格な規則や手続きによって隠されている需要を掘り起こせることだ。

「臓器が足りず、多くの人が待機リストに載せてもらえずにいます。リストに載せてもらえるのは、手術が成功する可能性が高い患者だけです」と、モンゴメリー医師はいう。「患者の選択には手順があります。普段はこんなことは決して言わないのですが、臓器が無限にあれば、人工透析や心臓補助装置、あまり効かない薬は要らないのです。心不全患者は全米で100万人はいると思いますが、そのうち移植を受けられる患者が何人かご存 …

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