宇井吉美:AIセンサーで「誰もが介護したくなる」社会を目指す起業家
「誰もが介護したくなる社会」。「排泄」をにおいで検知するデバイスを開発したアバ(aba)の創業者、宇井吉美が目指すのは、そんな未来だ。 by Noriko Egashira2022.03.18
2018年に経済産業省が公表した試算によれば、2015年に620万人だった要介護認定者数は、2035年には960万人に増え、対して介護職員は68万人も不足すると見込まれている。介護職員の不足は、世界一の高齢社会である日本が、世界に先駆けて直面している難題だ。

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背景には「介護職は大変」というイメージがつきまとっていることが一因にある。そうした中、「誰もが介護したくなる」社会の実現を目指し、テクノロジーの力で介護職員の負担を減らして、「かっこいい仕事」にアップデートしようと奮闘しているのがアバ(aba)の創業者・最高経営責任者(CEO)の宇井吉美である。
宇井は、3大介護(食事・入浴・排泄の介助)の中でも、最も負担が重いとされる「排泄」をセンサーで検知するデバイスを開発。大学時代にアバを起業し、大手介護ベッドメーカーのパラマウントベッドと共同研究を重ね、「ヘルプパッド(Helppad)」として8年越しで製品化にこぎつけた。ヘルプパッドはシーツのようにベッドに敷いて、その上で寝ている要介護者が排泄すると、センサーがにおいを検知して介護職員に通知するシステムだ。おむつを開けずに排泄したことが分かるため、介護職員の負担が減り、要介護者もより良い介護が受けられるようになる。さらに、記録されたデータを分析することで排泄パターンを導き出し、排泄の予測も可能だ。これまで約80施設に100台ほどを納入し、「おむつ交換回数が減った」「トイレの誘導に成功した」といった声が寄せられている。
「おむつは1日に何度も交換する必要があるうえ、後始末に手間がかかります。漏れていたらさらに大変で、介護職員にとってはかなりの重労働。でも、おむつを開けてみたら排泄されていない“空振り”の場合も多く、徒労感に襲われることもあります。そんな介護職員の精神的・肉体的な負担を減らしたかったのです」

所属:アバ
募集分野:通信
実は従来から、排泄を検知するにおいセンサーは製品化されていた。ただ、それらはおむつに貼るタイプのものばかり。宇井が開発した排泄センサーが画期的なのは、おむつに貼るのではなくベッドに敷くシートタイプであるため、要介護者がセンサーを“装着”しなくて済むことだった。
「普通に考えれば、おむつに貼るほうがにおいを感知しやすいです。ただ、介護が生活支援の場であることを考えると、“からだに機械を付けたくない”という思いが、現場の介護職員さんには強くあります。また、そもそもおむつ交換時、汚れたおむつから外したセンサーをどこに置くか、といった現場のオペレーション上の困難さもあります」
介護職員の思いやオペレーションを考えたとき、おむつに貼るタイプの製品はそぐわない――現場で介護する人々の声に耳を傾けた宇井だからこそ、導き出せた結論だった。「最後の最後まで、現場のラストワンマイルを詰める。それが私たちの強み」と宇井は言う。現場に寄り添う姿勢は、価格設定にもうかがえる。センサー自体は、エアコンや空気清浄機などに使われる汎用品を採用し、それにより安価に提供できるようにしている。「ハードウェア自体は革新的ではないんです」と宇井はさらりと言う。では、技術的な強みはどこにあるのか。
「“排泄物のにおい”を検知するアルゴリズムを開発したことです。汎用センサーでは排泄だけでなく、食品や消臭剤など排泄以外のにおいにも反応してしまいます。そこを切り分けるために、排泄時のセンサーの反応データを大量に取り、時系列で変化を見てパターンを解析し、アルゴリズムのパラメーターをチューニングし続けました。逆に言うと、排泄物のにおいに反応するよう、センサー側を開発してもいいわけですが、そうするとコストがどんどん上がってしまう。それを避けるためアルゴリズムを磨き上げました」

祖母のうつ病と「介護ロボット」との出会い
宇井が介護領域に携わるようになったのは、中学生時代、同居していた祖母がうつ病を患ったことが原点にある。「祖母を助けたい」という思いはあったものの、インターネット黎明期で今ほど情報も得られず、祖母がつらそうにしていても、実際に祖母の力にはなれなかった。
「介護なんて大変なこと、人がやるのは無理、と思っていました。でも、もろい人間を人以外で救う方法があれば、誰もが介護できるようになるのではないか。私はそれを作りたい。そんな漠然とした気持ちを抱くようになりました」
一方で、当時は携帯電話の普及期だったこともあり、宇井は「テクノロジーの可能性」にも関心を寄せるようになる。そして高校時代、筑波大学のオープンキャンパスに参加したときに「介護ロボット」という存在を知った。
「まさに自分が感じている“人間の生活という場面を、どうテクノロジーで支えるか”ということを、介護ロボットという分野で真っ正面から取り組んでいました。私がやりたいのはこれだ、と直感しました」
大学を選ぶ中で、オープンキャンパス時に相談した筑波大学教授の「理系は研究室で選べ」との助言どおりに、ロボット研究の第一人者、富山健教授のいる千葉工業大学の未来ロボティクス学科に入学した。実は大学進学にあたっては、ラーメン店を営む父と一悶着あったという。
「大学に行くのなら商学部に行って店を継げ、と父に言われたんです。その父を説得するためにも、自分のロードマップを明確に描く必要に迫られました」
宇井が周囲を巻き込み、協力者を増やしながら突き進めるのは、宇井自身の熱意と人柄もさることながら、実現したいことを実現できるよう、WHYを繰り返して自身に問うといった、この時の実体験が下地にあるようだ。
「おむつを開けずに中が見たい」という現場の声
介護の中でも宇井が「排泄」にこだわる理由は、大学入学後、実習先の特別養護老人ホームでの体験にある。実習初日、当時20歳で初めて介護現場に携わった宇井は、壮絶な介護現場を目の当たりにした。
「介護職員が、認知症の高齢者のお腹をギューッと押して、便を出し切ろうとし
ているんです。ものすごいうめき声が聞こえて。私は思わず泣きそうになりながら、『これは本人が望んでいることなのでしょうか』とその介護職員に尋ねたら、その方も『分からない』と」
要介護者の家族は、在宅時に排便されるとケアが大変なので、なるべく施設で済ませてもらうことを希望する。介護職員はその家族の負担を減らすためにこうしたケアをしているため、その職員でさえ要介護者が望んでいるか「分からない」ケアをせざるを得ない。宇井は大きな衝撃を受け、改めて「介護職員を支える」ことについて考えさせられたという。また別の職員は、「おむつを開けずに中を見たい」と話した。この言葉が、排泄センサーの研究開発を始めるきっかけになった。
「実は私、テクノロジーは好きだけれど得意ではありません。ハンダづけも下手で、子ども時代に工作やゲームが特別好きだったわけでもありません。ただテクノロジーを理解して、この技術だったら介護現場のこの部分に使えるのでは、と考えるのは得意でした」
そうして2011年、大学4年生のときに起業する。
「起業はまったく考えていませんでしたが、企業と共同研究をしようとは思っていました。大学院に進み、その共同研究の成果で就職活動をしようかなと。ところが東日本大震災が発生し、共同研究の話がなくなってしまって。それでも製品化したいと、そのとき初めて自分がそうまでしてやりたいと思っていることに気づきました。これまでヒアリングなどで協力いただいた介護職員さんたちが、この研究に希望をかけてくれているのを感じていたので、ここでやめるわけにはいかない、と」

製品化を模索する中、「共同研究してくれる企業がないなら自分でやろう」と起業を決意。1Kのアパートを拠点に、自らおむつをはいて、「本当に反応するのか」という原理確認から始め、試行錯誤を続けるものの、製品化できるレベルにはほど遠かった。だが2012年、宇井たちの事業が雑誌で紹介され、その記事がパラマウントベッドの社員の目に留まったことで事態は動き出す。同社との共同研究が始まり、そこからシートを使いやすくしたり、データを集めて排泄検知できるようにしたりすることに相当な時間を費やすことになる。「そのデータ集めにとても苦労しました」と宇井が言うように、排泄データの収集は、高齢者の尊厳に関わるデリケートな作業であるため、理解と協力を得られる介護施設を確保するのは至難の業だった。そこで宇井は、起業と並行して介護の資格を取得し、3年間、週末は介護施設で働き、現場の実情やニーズを把握。現場に寄り添う中で介護職員からの信頼を得て、開発に協力してくれる介護施設を確保した。ただその先も、条件に合う要介護者を探し、家族に説明して同意を得るなど、ハードルは低くはなかった。なぜ、あきらめずにここまでできたのか。
協力してくれた介護職員さんたちが、この研究に希望を抱いていることを感じていたので、途中でやめるわけにはいきませんでした。
「資金が底を尽きかけて、多額の融資の書類にハンコを押すのに一瞬悩むこともありました。でもその度に、今まで協力してくれた介護職員さんたちの顔が頭に浮かびました。学生時代、ご協力いただいた施設に論文の報告に行ったとき、『論文じゃないんだよな』という空気を感じたこともあります。現場の人たちからすると、論文ではなく実際に製品化して使えるものができることに意味がある。だからどうしても製品化をあきらめることはできませんでした」
介護の理念が詰まった日本発のケアテックを世界に
2021年3月、アバは介護業界への事業参入を検討中の企業を支援するチーム「アバラボ(abalab)」を設立した。介護現場に寄り添うことで培ってきた知見・技術・ネットワークを生かして、介護業界の事業開発を加速させる狙いだ。「企業と介護現場をつなぐことができるのではないか」と宇井は期待を膨らませている。
現在、排泄センサーの改良のほか、排泄を基点に高齢者1人1人の生活サイクルと介護現場の業務サイクルを合わせ、人工知能(AI)を用いて介護スケジュールを最適化していくシステムも開発中だ。さらに、「そもそも“介護者がしたいケア”を明確にして、それができるようなシステムも作りたい」と意欲的だ。その根底にはあの時の介護職員の「分からない」をなくしたい、という思いがある。
そして、スマートフォンやロボット、半導体などと同じように、ケアテックも勢いとスピード感のある外国勢に負けてしまうのではないかと危惧しつつ、「日本のケアテックを世界に発信していきたい」と目標を語る。

「ケアテックには、“介護の理念”がなければいけません。日本は介護の歴史が長く、その中で、要介護者がその人らしく生活できるような介護の理念が培われてきました。しかも少ない財政で質を保つことに、他国に先駆けて取り組んでいます。そのノウハウをテクノロジーという形で継承して広めていくことが、世界の介護のためにもなると思っています。海外にもおむつに貼るタイプのデバイスはありますが、倫理面やオペレーション面で十分に考慮しきれていません。そうしたデバイスが普及すると、介護そのものも理念なきものになってしまうのではと心配です。だからこそ、介護の理念が根付いている日本のケアテックを普及させていきたい。そして、私を面白い領域に導いてくれた介護ロボットを、恩返しの意味も込めて、産業としてしっかり立ち上がらせたいと思っています」
(文:江頭紀子/写真:是枝右恭)
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