KADOKAWA Technology Review
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TSMC海外進出で揺らぐ
「シリコンの盾」は
台湾を守れるか
Dana Smith
倫理/政策 Insider Online限定
Taiwan’s “silicon shield” could be weakening

TSMC海外進出で揺らぐ
「シリコンの盾」は
台湾を守れるか

「TSMCがあるから台湾は大丈夫」——。世界の最先端チップの9割を製造する台湾の戦略的価値こそが中国の侵攻を防ぐとされてきた「シリコンの盾」が揺らいでいる。TSMCの大規模な米国進出で状況が変化。半導体外交の限界が近づいている。 by Johanna M. Costigan2025.08.26

この記事の3つのポイント
  1. TSMCは台湾の「シリコンの盾」として中国侵攻を抑止してきた
  2. 1650億ドル投資でTSMCが米国に最先端チップ製造の一部を移転
  3. 台湾の戦略的価値低下で米国の防衛意欲削減が懸念される
summarized by Claude 3

ある冬の午後、台北の会議室で、20代の女性2人が友人の体を持ち、床をずるずると引きずっていた。その友人はチェック柄のパンツと茶色のスウェットを着て、けが人あるいは死人を装って床に横たわっていた。ひとりがその両腕を、もうひとりが両脚を掴み、どうにか運んでいった。気恥ずかしさから、役柄を忘れて笑いを漏らす場面もあった。この3人の女性はおよそ40ドルを支払い、日曜日のこの場所で、ある事態に備えた基本訓練を行なった。台湾市民の誰もが何か意見を持っているその事態とは、すなわち中国による侵攻だ。

台湾の政治において、この問題の重要性はますます高まっている。中国の与党は半世紀以上にわたり台湾の掌握を目指してきたが、近年では中国の習近平国家主席が台湾を「奪還する」という考えを一層強調するようになった(ただし中国共産党=CCPは、台湾を一度も支配したことがない)。経済力と軍事力を拡大させた中国は、今や台湾を望めばいつでも封鎖できるとの見方があり、その実行は損得勘定にかかっているとする専門家もいる。

台湾をはじめ世界各地の多くの人は、半導体製造における台湾の極めて重要な役割が、主な抑止要因のひとつだと考えている。台湾は世界の半導体の大半を生産し、AI(人工知能)用途に不可欠な最先端チップの90%以上を供給している。ブルームバーグ・エコノミクスの試算によれば、台湾が封鎖されれば、最初の1年だけで中国を含む世界経済に5兆ドルの損失が生じる可能性がある。

メリーランド州ほどの大きさの台湾が半導体製造で圧倒的な影響力を持つのは、ひとえに台湾積体電路製造(TSMC)の独創性と技術力によるものだ。7月に時価総額1兆ドルに達したTSMCは、台湾が世界の半導体サプライチェーンで代えのきかない存在となった最大の要因である。TSMCの顧客には、アップルや、チップ設計企業の代表格であるエヌビディアが含まれる。TSMCのチップは、あなたのiPhoneやノートパソコン、そしてChatGPTを動かすデータセンターにも使われている。

見た目には存在すら感じさせない製品をつくっている企業でありながら、TSMCは台湾社会において驚くほど存在感を放っている。私は、台南のにぎやかなバーの雑踏の中でTSMCについて話す声を耳にしたし、台北のタクシードライバーは、自ら話題を持ち出して、台湾の安全保障とTSMCを結び付けて語った。「台湾は大丈夫だよ」と、あるドライバーは立法院の前を走りながら言った。「だってTSMCがあるから」。

つまり、半導体サプライチェーンにおける台湾の極めて重要な役割を認識している各国の首脳(特に米国のリーダーたち)は、もし中国が台湾を攻撃すれば、経済的、あるいは場合によっては軍事的な報復もあり得るとの見方がある。これが中国政府への抑止力となるのだ。「TSMCは今や最も知られた台湾企業であり、台湾の主権という概念に組み込まれています」。米台ビジネス・カウンシル(US-Taiwan Business Council)のルパート・ハモンド=チャンバーズ会長は語る。

現在、台湾の専門家や一部の市民の間では、この「シリコンの盾」が(そもそも実在するとして)ひび割れ始めているのではないかという懸念が広がっている。TSMCは米国政府からの圧力を受け、アリゾナ州にある米国拠点での製造能力拡大に多額の投資をしている。また、日本やドイツにも工場を建設中であり、2016年以降は旧世代のチップを生産する中国本土の工場も維持している。

TSMCの海外事業拡大により、台湾国内での同社の存在感が薄れることで、米国をはじめとする国々が「台湾は守るに値しない」と判断するのではないかとの懸念が、台湾国内にはある。TSMCの対米投資には、台湾側に対する見返りの保証は一切なく、台湾野党の幹部らは、与党・民主進歩党(DPP)が台湾の将来を危険にさらしていると批判している。TSMCの海外展開が、ホワイトハウスの姿勢への不安感と時を同じくしていることも、こうした懸念に拍車をかけている。ドナルド・トランプ大統領は「米国ファースト」の理念を掲げており、中国が武力で台湾を奪おうとした場合に米国が介入するか否かについての明言を避けている。2月には「そのような立場に身を置きたくはない」と述べた。

一方で、中国政府の台湾への関心は衰えていない。中国は半導体の自給体制を整えつつあるが、現状は過渡期であり、国内企業は台湾製を含む外国製チップに依存している。こうしたチップの一部は輸出規制に従って輸入されているが、中には密輸されているものもある。また中国共産党(CCP)は、台湾を「取り戻す」ことを、あたかも家族との再会のように描写し続けている。ナンシー・ペロシ下院議長が2022年に台湾を訪問して論争を巻き起こした際、中国外務省は「祖国の完全なる再統一は、すべての中国人に共通する願いであり、神聖な責務である」との声明を発表した。中国政府の動機の全貌を知ることはできないが、そこに戦略的な利点があるのは明らかだ。台湾を掌握すれば、中国は海軍の航行や潜水艦の運用にとって極めて重要な深海域へのアクセスを得ることになる。加えて、米国のAI企業にとっては、高性能チップの入手が大きく制約される可能性もある。

中国が軍事力を増強する中、台湾は国際社会から無視されない存在になろうとしている。台湾政府は、半導体産業を最大の武器とし、台湾が世界にとって戦略的に不可欠な存在であることを強調する姿勢を強めている。頼清徳総統は、今年初めに日本テレビのインタビューで「国際社会は、台湾海峡での紛争回避のためにあらゆる手を尽くさなければなりません。代償があまりに大きいのです」と述べた。一部の国際社会はこのメッセージを受け止め、そこにある機会を活用している。今月初め、防衛技術企業アンドゥリル・インダストリーズ(Anduril Industries)は台湾に新たな事務所を設立すると発表した。同社はそこでパートナーシップを拡大し、自律型兵器を販売する予定である。

半導体業界も、台湾への関与を積極的に示している。たとえば、他のテック企業のCEOがトランプ大統領の2度目の就任式に出席する中、エヌビディアのジェンスン・フアンCEOはTSMCの会長と会談する道を選び、同社の海外本社を台北に置く方針を5月に発表した。近年では米国政府当局者も、台湾の安全保障環境と半導体産業との結びつきに、以前より大きな注意を払うようになっている。ジャーマン・マーシャル・ファンドのインド太平洋プログラムのマネージング・ディレクターであるボニー・グレーザーは「ある時点から、誰もがTSMCへの依存に気づき始めました」と語る。彼女によれば、その認識は過去10年の間に徐々に形成されてきたが、特に2021年3月に強調されることとなった。当時の米国インド太平洋軍司令官フィル・デービッドソンが、合衆国上院軍事委員会で「2027年までに中国による侵攻が起こりうる」と証言したのだ。安全保障上の脅威が存在する一方で、半導体製造能力が台湾に過度に集中していることは、依存リスクとしても懸念されている。

現在、台湾は複雑にもつれ合う利害と時間軸の交差点に立たされている。中国は台湾の領有を歴史的必然と主張するが、その実現の時期は依然として不確かである。一方で米国と台湾の関係の焦点は、AIが主導する未来に移りつつある。しかし台湾の視点から見れば、前例のない地政学的不安定の中、まさに今、自国の命運をかけた戦いが進行している。今後数年のうちに、半導体製造におけるTSMCの支配力が、台湾が「守るに値する存在」であると世界に証明する材料として十分かどうかが問われることになるだろう。

相互依存の上に成り立ったイノベーション

TSMCは議論の余地のないサクセス・ストーリーである。創業者のモリス・チャンは、米国で学び働いた後、政府の支援と安価で優秀な労働力を見込んで、台湾で新たなビジネスを立ち上げた。1987年、チャンは革新的なビジネスモデルをもとにTSMCを設立した。当時は、チップの設計と製造を自社で一貫して行なうのが一般的だったが、TSMCはファウンドリとして、すなわち顧客が設計したチップを受託製造するという方式を採用した。

製造に専念したことで、TSMCは自社の業務を最適化し、製造プロセスに関するノウハウを蓄積していった。そしてついにはイ …

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