IBM、世界初の大規模誤り訂正量子コンピューター 28年実現へ
IBMはエラー訂正技術を取り入れた大規模量子コンピューター「スターリング」を2028年までに開発する計画を発表した。同社製チップで構築された200論理ビットを備え、2029年にはクラウド経由でユーザーに提供する。 by Sophia Chen2025.06.12
- この記事の3つのポイント
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- IBMが2028年までにエラー訂正機能を備えた大規模量子コンピューターを開発する計画
- 200論理量子ビットを備え1億回の論理演算を連続して正確に実行できると期待
- IBMは小規模なものから段階的に開発を進めていく予定である
IBMは6月10日、誤り(エラー)訂正技術を取り入れた量子コンピューターを2028年までに開発する詳細な計画を発表した。既存の量子コンピューターよりもはるかに高い計算能力を実現できるという。同社は、この大規模量子コンピューターを2029年までにクラウド経由でユーザーに提供したい考えだ。
複数のチップを搭載したモジュールのネットワークで構成されるこの大規模量子コンピューターは、「スターリング(Starling、ムクドリのこと)」と名付けられており、ニューヨーク州ポキプシーに新設されるデータセンターに収容される予定だ。「すでにその場所に建設を開始しています」と、IBMの量子イニシアチブ担当副社長であるジェイ・ガンベッタは明らかにする。
IBMの発表によると、スターリングは量子コンピューティング分野の飛躍的成長を実現するものになる。特に、同社はスターリングがエラー訂正を実装する初の大規模量子コンピューターになることを目指している。もしスターリングがこれを達成すれば、現在業界が直面している最大の技術的障壁を解決することになり、IBMはグーグル、アマゾンWebサービス(AWS)、そしてボストンに拠点を置くキュエラ(QuEra)やカリフォルニア州パロアルトのサイクオンタム(PsiQuantum)といったスタートアップ企業を含む競合他社に打ち勝つことができる。
IBMは、業界の他の企業と同様に、今後何年にもわたる多くの課題を抱えている。しかし、大規模量子コンピューターにエラー訂正機能を実装するための包括的な構成要素をすでに持っているIBMには優位性があるとガンベッタ副社長は考えている。つまり、アルゴリズム開発からチップのパッケージング工程に至るまでのあらゆる面を改善できるということだ。「量子誤り訂正の仕組みを解明できたことで、科学的な研究段階からエンジニアリングの段階へと移行しました」とガンベッタ副社長は語る。
量子コンピューターにおけるエラー訂正は、その独自の数値処理方法のため、これまで工学的な課題となってきた。古典コンピューターは情報を「1」と「0」の2進数というビット単位でコード化するのに対し、量子コンピューターは量子ビット(キュービット)を使用する。量子ビットは、1つで「0」と「1」の情報を同時に表現できる「重ね合わせ」という性質を持つ。IBMは、絶対零度に近い状態に保たれた非常に小さい超伝導回路で量子ビットを作り、チップ上に相互接続された状態で配置している。他の企業は、中性原子、イオン、光子など、他の材料を使って量子ビットを作っている。
量子コンピューターでは、ハードウェアが1つの量子ビットを操作しているにもかかわらず、計算に関与すべきでない隣接する量子ビットを誤って変更してしまうなど、エラーが生じることがある。これらのエラーは時間とともに増えていく。エラー訂正がなければ、新しい材料や医薬品を発見するための極めて精密な化学シミュレーションといった科学的または商業的価値をもたらすことが期待されているような複雑なアルゴリズムを、量子コンピューターは正確に実行できない。
しかし、エラー訂正にはハードウェアにかなりの余計な負荷がかかる。エラー訂正アルゴリズムは、単一の情報単位を単一の「物理」量子ビットに符号化する代わりに、情報単位をまとめて「論理量子ビット」と呼ばれる物理量子ビットの集合体で符号化する。
現在、量子コンピューティング分野の研究者は、最も優れたエラー訂正方式を開発するために競い合っている。グーグルが開発した「表面符号」アルゴリズムはエラー訂正には効果的ではあるが、1つの論理量子ビットをメモリに格納するために約100個の量子ビットが必要となる。アマゾンWebサービスの量子コンピューター「オセロット(Ocelot)」は、より効率的なエラー訂正方式を採用しており、メモリ内の論理量子ビット1個につき9個の物理量子ビットを必要とする(データ格納のための計算を実行する量子ビットでは余計な負荷がより大きくなる)。「低密度パリティ検査符号」として知られるIBMのエラー訂正アルゴリズムは、メモリ内の論理量子ビット1個につき12個の物理量子ビットの使用を可能にし、この比率はアマゾンWebサービスのそれに匹敵する。
スターリングの設計における特徴の一つは、リアルタイムでエラーを診断する能力、すなわちデコード(復号)である。デコードには、量子コンピューターからの測定信号がエラーに対応するかどうかを判断するプロセスが含まれる。IBMは、FPGA(Field Programmable Gate Array)と呼ばれる従来型チップで高速に実行できるデコードアルゴリズムを開発した。英国に拠点を置く量子コンピューティングのスタートアップ企業、リバーレーン(Riverlane)のニール・ギレスピーは、この研究はIBMのエラー訂正方式の「信頼性」を強化するものだと語る。
しかし、他のエラー訂正方式やハードウェア設計もまだ競争から脱落したわけではない。「どのアーキテクチャが勝利を収めるかはまだ明らかではありません」とギレスピーは語る。
IBMは、スターリングが古典コンピューターの能力を超える計算タスクを実行できるようにするつもりだ。スターリングはIBM製チップで構築される200論理量子ビットを備え、1億回の論理演算を連続して正確に実行できると期待されている。既存の量子コンピューターは数千回しか実行できない。
ガンベッタ副社長によると、このシステムはこれまでよりもはるかに大規模なエラー訂正を実証することになる。グーグルやアマゾンによるかつてのエラー訂正実証は、単一のチップ上に作られた、単一の論理量子ビットで実行されたものであった。ガンベッタ副社長はそれを「ガジェット実験」と呼び、「小規模なものです」と述べている。
それでも、スターリングが実用的な問題を解決できるかどうかは不明である。有用なアルゴリズムを実行するには、10億回のエラー訂正された論理演算が必要だと考える専門家もいる。イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校の物理学者であるウォルフガング・パフ助教授は、スターリングは「発展のための足掛かりとなる興味深いシステムですが、経済的価値を生み出す可能性は低いでしょう」だと述べている(量子コンピューティングハードウェアを研究するパフ助教授はIBMから研究資金の提供を受けているが、スターリングには関与していない)。
スターリングのタイムラインは実現可能だと、パフ助教授は考えている。その設計は「実験的および工学的な現実に基づいています。IBMは非常に説得力のあるものを考え出したようです」とパフ助教授は言う。しかし、量子コンピューターの開発は困難であり、IBMは予期せぬ技術的問題が原因で遅延が発生する可能性もある。大規模なエラー訂正量子コンピューターの開発は「初めてのことです」と同助教授は指摘する。
IBMのロードマップでは、スターリングの開発に向けて、まず小規模なものから開発する予定となっている。同社は2025年内に、チップ「ルーン(Loon、カイツブリ)」にエラー訂正された情報を堅牢に保存できることを実証する予定である。2026年には、情報の保存と計算の両方が可能なモジュール「クッカバラ(Kookaburra、ワライカワセミ)」を開発する。そして2027年末までに、クッカバラ型モジュール2つを接続し、より大型の量子コンピューター「コカトゥー(Cockatoo、オウム)」を構築する計画だ。この実証を成功させた後、その次は規模を拡大し、約100個のモジュールを接続してスターリングを開発することになる。
パフ助教授によると、この戦略は、量子コンピューターのスケールアップにおいて業界が最近採用している「モジュール性」を反映している。従来の設計のように単一のチップに量子ビットを配置するのではなく、複数のモジュールをネットワーク化してより大型の量子コンピューターを構築するというアプローチである。
IBMは2029年以降も見据えている。スターリングの後には、新たに「ブルー・ジェイ(Blue Jay、アオカケス)」の開発を計画している(「鳥が好きなんです」とガンベッタ副社長は話す)。ブルー・ジェイは2000個の論理量子ビットを搭載し、10億回の論理演算が可能になると期待されている。
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- ソフィア・チェン [Sophia Chen]米国版 寄稿者
- 米国オハイオ州コロンバスを拠点とする科学ジャーナリスト。物理学とコンピューティングを専門に取材している。2022年には、カリフォルニア大学バークレー校シモンズ計算理論研究所(Simons Institute for the Theory of Computing)で客員サイエンス・コミュニケーターを務めた。