KADOKAWA Technology Review
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優生学への新たな扉を開く「社会ゲノミクス」が果たすべき責任
生命の再定義 Sociogenomics is opening a new door to eugenics

優生学への新たな扉を開く「社会ゲノミクス」が果たすべき責任

遺伝子データを利用して社会や経済の問題を解明しようとする研究分野である「社会ゲノミクス」が、急成長している。だが、かつて遺伝学に基づいた悪意のある優生学が犯した過ちを繰り返さないためにも、科学者は研究が社会にどんな影響を与えるかを推し量り、道義的な責任を果たす必要がある。 by Nathaniel Comfort2018.12.21

攻撃的な性格かどうか? 神経症の傾向はどうか? リスク嫌いなのか? 独裁的か? 学業の成績は? 社会ゲノミクスという成長分野は最近、こうしたことを予測できるとしている。

DNAの二重らせんが発見されてから多くの「DNA革命」があり、現在、私たちは次のDNA革命の真っただ中にいる。今回のDNA革命は、社会科学と自然科学の融合だ。23アンドミー(23andMe)などの消費者直販型の遺伝子検査を提供する企業のおかげで、ますます豊富になってきたゲノム科学のビッグデータを利用して、社会学者や経済学者、政治学者、心理学者が関心を寄せる複雑な行動を遺伝子的に解明しようと考えている。社会ゲノミクスの分野をけん引しているのはほとんどが若く、しばしばカリスマ的な研究者のグループだ。一般向けの本や新聞の論説を書いたり、インタビューに答えたり、注目を浴びる講演をしたりする。社会ゲノミクスの研究は、人間の生育に及ぼす影響は遺伝と環境のどちらが強いかという論争が、いまも決して死に絶えてはおらず、形を変えて新たな場所で繰り返されていることを示している。

社会ゲノミクスの支持者らは、必ずしも誰もが好意的には受け取らないであろう未来を想像している。ゲノムに基づき、いろいろな病気にかかるリスクや、行動性癖の予測が記入された「成績表」が出産時に手渡されるというものだ。社会ゲノミクスという新しい社会科学において、社会学者は学業成績や裕福さの遺伝的な要素を調べ、一方、経済学者は消費、貯蓄、投資などの行動の遺伝的な「リスクスコア」を調べるだろう。

厳しく規制しないかぎり、このゲノムの成績表が入学願書や求職申込み、健康保険料の割増金の計算に使われるかもしれない。ゲノムは、究極的な「既存欠陥(preexisting condition)」なのだ。

このような世界はわくわくするものかもしれないし、恐ろしいものかもしれない(あるいは両方だ)。しかし、一般的に社会ゲノミクス学者は良い面だけに焦点を当てる。そのくせ肩をすくめながら、「私たちにできることはありません」と言うのだ。「妖精はランプから出てきてしまい、再び元に戻すことはできません」と書いているのは教育心理学者のロバート・プロミンだ。

実際のところ、社会ゲノミクス自体がこのような考えなのだろうか? もしそうなら、社会ゲノミクスは社会政策の基礎として妥当だろうか? これらの質問に答えるためには、遺伝説に基づくこの新しい形態の社会科学を、コンテキストに沿って考える必要がある。つまり、社会ゲノミクスだけを考えるのではなく、その社会的、歴史的な見方を考慮しなければならない。そうすることで、何が問題で、どんな本当のリスク、本当の利益が生まれるのかを理解できるのだ。

奇妙な科学

もし社会ゲノミクスが「科学」であるとするなら、奇妙な科学だ。私たちの知っている科学は、いろいろな仮説の検証によって自然現象の原因を説明するものだ。同様に重要なのは、良い科学は作業仮説が誤りであることの証明にも同じだけの努力をすることだ。

社会ゲノミクスには実験がなく、受容あるいは棄却すべき帰無仮説もなく、データから一般原理への演繹もない。さらに地質学や進化生物学のように、長い歴史の記録を証拠にした歴史科学でもない。

社会ゲノミクスは演繹的ではなく、帰納的だ。最初に、事前の仮説なしに、フラミンガム心臓研究(Framingham Heart Study)や双子の研究など、ある期間にわたる個人や集団の発達や変化を扱った情報や、依頼者の遺伝子データと履歴データや生体測定データを集める23アンドミーのような消費者直販型DNA検査会社などの情報が収集される。

次に、アルゴリズムがデータを処理して、関心のある形質と、「一塩基多型(SNP:Single Nucleotide Polymorphism)」と呼ばれるDNAの微妙な変異との相関関係を出力する。最後に、社会ゲノミクス学者がするのは、ほとんどの研究者が最初にすることだ。つまり、主に個人の将来の行動について推測し、予測する。

社会ゲノミクスは我々が考えるような意味での因果関係は考慮せず、相関関係を扱う。DNAデータは、ゲノムと、関連するSNP変異とを比較した「ゲノムワイド関連解析(GWAS)」の形態で手に入ることが多い。社会ゲノミクスのアルゴリズムは次のように質問する。「形質(高い知性とか、同性愛とか、賭け事好きなど)と相関関係のあるSNPパターンはありますか?」

質問の答えは、ほとんどいつも「はい」となる。SNPの組み合わせの数は非常に多いので、任意の形質について、関連するSNPの組み合わせが見つかるのはほとんど必然的なのだ。

進化論生物学者のグレアム・クープは、ビッグデータから得られる「客観性」は誤っていることがあると指摘している。彼は著作の中で、GWASの成功のおかげで「さまざまな集団によって行動が相違する理由の一部は遺伝子によるものかどうか、という論争をもうすぐ決着できそうに思える」と述べている。ただし、「この質問に回答するのは、思っているよりずっと複雑だ」とも付け加えている。

クープは、誤った印象を与える多遺伝子の研究について、「おもちゃ」的な思考実験を例として挙げた。仮定した研究のための質問はこうだ。「なぜイギリス人はフランス人よりたくさん紅茶を飲むのですか?」

クープが作った想像上の研究者であるボブは、英国バイオバンク(UK Biobank)のような既存データベースのデータを使う。ボブは、イギリス人とフランス人それぞれの紅茶嗜好に関連した対立遺伝子(対立形質を規定す …

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