「データ所有権」では
プライバシーは守れない
個人が自身のデータを所有し、それをテック企業に貸し出すという「データ所有権」の発想でプライバシーを守ることは難しい。いまこそ基本的な権利としての「データ権」を確立する必要がある。 by Martin Tisne2019.03.20
ときは2023年の夏。レイチェルはお金に困っていた。ある夜、バーでお酒を飲みながら、携帯電話で職探しをしていると、メールが届いた。肝機能を研究している研究者が、バーのポイント会員の中から彼女の名前を見つけたのだ。レイチェルはナチョスのハッピー・アワー割引キャンペーンに応募していた。研究者は、レイチェルの携帯電話の健康データにアクセスさせてくれれば、週50ドルの報酬を支払い、向こう3カ月にわたってバーの飲み代を負担してくれるという。
最初、レイチェルはプライバシーの侵害に腹を立てた。だが、お金が必要だ。だから携帯電話に向かってうなずいた。うなずきは、微妙ではあるが明確な同意のジェスチャーであり、署名と同じ法的拘束力を持っている。そして、彼女はナチョスをつまみながら職探しを再開した。
だが、夏も終わりに近づくと、レイチェルは、友人が1人、また1人と仕事にありついているのに、自分は次から次へと採用の扉を閉ざされていることにいやでも気付かされた。細かい字で書かれた条項の細目を読まなかったせいで、知らないうちに調査研究の一部のデータが彼女の酒類購入履歴とともに、大手人材紹介会社の手に渡ってしまったのだ。いまや、人材紹介会社に送られた応募書類を選考するすべての雇用側企業は、彼女のプロファイルが「うつ病で信頼できない」となっていることを知っている。彼女の就職が決まらないのも不思議ではない。だが、たとえこのようなプロファイルを彼女が知ったところで、どこに助けを求めればよいのだろうか。
ある日の出来事
この記事を読んでいる人も、オンラインで文章を読んだり、ショッピングしたり、自分の運動記録をつけたり、あるいは、ポケットに携帯電話を入れてどこかに行ったりしただけのことで、レイチェルのように、今日1日分のデータを大量に生成した可能性がある。そのデータの一部は自分自身が意図的に作成したものだが、大半は、同意を得ていないのはもちろんのこと、自分が知らないうちに自分自身の行動によって生成されたものだ。
ここ数十年でデータが急増したことから、一部の改革論者は「自分のデータは自分のもの!」というスローガンを唱えるようになった。とりわけシカゴ大学のエリック・ポズナー教授、マイクロソフト・リサーチのエリック・グレイン・ワイル博士、「実質現実(VR)の父」と呼ばれるジャロン・ラニアーは、データを所有物として扱うべきだと主張している。フェイスブックの創業者のマーク・ザッカーバーグ最高経営責任者(CEO)も同じことを言っている。フェイスブックの利用者は「フェイスブックに投稿したすべての連絡先や情報」を所有しており、「それを共有する方法を管理できる」とフェイスブックは最近になって述べている。フィナンシャル・タイムズ(FT)紙は「フェイスブックが述べていることの重要な部分は、消費者自身の個人データの所有権を自分自身が持てることにある」と論じている。アップルのティム・クックCEOも、最近の講演で同様に「企業はデータがユーザーの所有物であることを認めるべきだ」と話している。
この記事では、「データ所有権」がデータについて欠陥のある、非生産的な考え方であることを主張する。データ所有権という考え方は既存の問題を解決しないばかりか、新しい問題を生み出す。私たちはデータ所有権の代わりに、自らデータ所有権を取得しなくても自分のデータが利用される方法を規定できる権利を持てる枠組みを必要としている。ハワイ州選出のブライアン・シャッツ上院議員(民主党)によって2018年12月12日に提出された議案である「データ・ケア法(Data Care Act)」は、細目の制定次第では、データ利用方法を規定できる権利に向けた望ましい第一歩になる。議案の共同提出者の1人であるアラバマ州選出のダグ・ジョーンズ上院議員(民主党)は次のように語る。「オンライン・プライバシーとセキュリティの権利は基本的な権利であるべきです」。
「所有権」という概念は、データに対する権限と支配力を人々が持つことを示唆しており、魅力的だ。だが、データを所有し、「貸し出す」というのは悪いアナロジーだ。特定の一部のデータがどのように使われるかを管理することは、多くの問題の1つにすぎない。本当の問題は、データがどのように社会と個人を形作るかだ。レイチェルの物語は、なぜデータ権が重要なのか、そして、どのようにすれば個人としてのレイチェルだけでなく、社会全体も保護するようにデータ権を機能させるかを教えてくれる。
明日のことはわからない
データ所有権が欠陥のある概念である理由を理解するために、まず、いま読んでいるこの記事について考えてみよう。電子デバイス上でこの記事のページを開く行為そのものがデータを生成する。生成されるデータは、ブラウザーの閲覧履歴の項目、Webサイトが読者のブラウザーに送信したクッキー、読者のIPアドレスからの訪問を記録するWebサイトのサーバー・ログなどだ。「デジタルの影」を残さずにオンラインで何かをすることは事実上不可能だ。オンラインで記事を読むことしかり、オンライン・ショッピングしかり、インターネットに接続された携帯電話をポケットに入れてどこかに移動することしかりだ。晴れた日に人につきまとう、つかの間の影を所有できないのと同じで、たとえば、自転車を所有するように、こうした影を所有できない。
個人のデータは単体ではマーケティング担当者や保険会社にとってそれほど役に立たない。だが、何千人もの人々の同様のデータと併せて分析することで、個人データがアルゴリズムを生み出し、ある人を(「飲酒習慣のあるヘビースモーカー」や「必ず時間を守る健康なランナー」などとして)分類する。たとえば、偏ったデータセットでアルゴリズムが訓練されたために …
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