義足エンジニア・遠藤 謙が「人類最速」の先に見据えるもの
MITテクノロジーレビュー主催の世界的なアワード「Innovators Under 35」を2012年に受賞した義足エンジニアの遠藤 謙さんは、イノベーターに最も必要な資質を「しつこさ(Grit)」だと語った。 by Yasuhiro Hatabe2021.08.20
MITテクノロジーレビューが主催する世界的なアワード「Innovators Under 35(イノベーターズ・アンダー35)」の日本版「Innovators Under 35 Japan」が、今年も開催される。8月31日まで、公式サイトで候補者の推薦および応募を受付中だ。
1999年に始まったグローバル版のInnovators Under 35は、過去20年以上にわたって優れたイノベーターたちを選出しており、その中には複数の日本人も含まれている。2012年にInnovators Under 35の前身である「TR35」を受賞したXiborg(サイボーグ)代表取締役/ソニーコンピュータサイエンス研究所研究員の遠藤 謙さんもその一人だ。
サイボーグが義足をサポートする陸上競技のアスリートも参加予定のパラリンピック開催を目前に控えた遠藤さんにインタビューし、現在の競技用義足を取り巻く状況や、研究開発に懸ける思い、若手イノベーターへの期待について聞いた。
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テクノロジーは社会にある障害を乗り越える鍵の一つ
──ここ1、2年で力を入れて取り組んでいることについて教えてください。
現在、サイボーグがサポートしている5人のアスリートのうち、海外の2人がパラリンピックに出場する予定です。彼らの義足をつくることがここ数年の主な取り組みの一つで、去年までは選手のところに行ったり、日本に来てもらったりして調整を重ねてきました。でも1年の開催延期が決まり、選手は去年使うはずだった義足を使って1年間トレーニングを続けてきた。なので直近でパラリンピックに向けてしたのは微調整くらいですね。
最近は、子ども向けワークショップの準備をしたり論文を書いたりと、別のことで忙しくしています。
──パラリンピックの開催が延期になったことでどんな影響がありましたか。
1年延びたことによって、パラリンピックやオリンピックに短期的なビジネス・リターンを見込んで関わっていた人たちが距離置くようになり、その結果として僕たちがやるべきことがはっきりしたと思っています。「やるべきこと」とは、パラリンピックを通じて社会に対して良いこと、いわゆる「レガシーを遺す」ことです。
「障害者が速く走る」ことが社会的にどういう意味を持つのか。それは、「健常者のほうが速い」という思い込みが、テクノロジーによって覆され得るのだということ。それがスポーツの世界では現実的に見えてきた。
今の社会はマジョリティのために設計されていて、社会的マイノリティと呼ばれる人たちが活躍しづらい状況があります。そうした困難を越えて障害者が社会で活躍するうえで、テクノロジーは一つのキーだと思います。パラリンピックを通じて、マイノリティの人たちが社会で活躍する下地をつくる、そういうことにつながるムーブメントを社会に起こさなければいけないと考えて、活動を続けています。
──パラリンピックの「ここを見てほしい」といったポイントはありますか。
「観戦していてスポーツとして楽しめるかどうか」ですね。今までパラリンピックに関心を持つ人は、障害や福祉といったキーワードから入ってきた人たちが多かった。そうではなくて、オリンピックで陸上競技を見て面白いと思っている人が、それと同じように面白いと思って義足競技を観戦するようになることが、今後の大事な方向性の一つだと思います。
パラスポーツを観戦するときに、「障害があるのに頑張っているのだから応援しないといけない」という空気が生まれますよね? でも、面白くなかったら別に見なくてもいいんじゃないか、と僕は思うんです。僕が関わっている陸上競技については、シンプルにスポーツとしての魅力があると考えています。ぜひ一度競技を見てみて、面白いと感じたら注目してほしいですね。
目指すは健常のアスリートよりも速い「人類最速」
──技術面では、現在の競技用義足のどんなところが課題になっているのでしょうか。
「速く走るためにはどうしたらよいか」という課題に近いですね。スポーツ選手が自分の記録を塗り替えるためにどんな練習をするかと考えると、フォームを変えたり必要な筋肉を鍛えたりと、選手によって多様なアプローチがあることが想像できるはずです。義足を装着するアスリートの場合は、それに加えてどういう義足をどのように使うか? という課題設定があります。
現在の競技用義足の主な素材はカーボンファイバーですが、その密度や強度、重さなどを素材づくり自体の難しさ、形状の設計の難しさがあり、さらにそれぞれの選手がいかに速く走るかを考えていくことになります。
例えば、「この義足を同じ形状で50グラム軽くしてみる」という選択肢は、たとえウサイン・ボルト選手であってもできないことです。その意味で、義足選手がとれる選択肢はずっと広いわけですが、それを全部試すわけにはいきません。また、一つ仮説を立てて、実際に義足をつくり、走ってみて検証するのに何カ月という時間がかかります。
だから、仮説を立ててアプローチを決めるうえで、クレバーになる必要があります。僕だけじゃなく、コーチや義肢装具士さん、そして選手本人がみんなクレバーになって、課題解決のために知識を持ち寄って話し合えること、それができるチーム作りがすごく大事です。
──現在取り組んでいる義足づくりの先にどのような目標を見据えているのですか。
一つは、「人類最速」。僕は、人類で一番速く走る人の足は義足だと考えています。その科学的根拠もおぼろげですが見えてきていて、いずれ証明したいと考えています。
義足で速く走ることというのは、サイエンスの視点だと、筋肉の使い方やそれに対する人工物の設計の最適化問題なんですね。この課題はすごく面白いし、人類の可能性を拡げる領域だと思っています。
そして人類最速を成し遂げた時、マイノリティが社会で困難に直面せざるをえない状況を一つ克服するという、社会課題の解決につなげることが最終的な目的です。
「ギソクの図書館」を運営して得た手応えと見えてきた課題
──今日取材しているここ、新豊洲Brilliaランニングスタジアムには、「ギソクの図書館」も設置されています。この取り組みについても教えていただけますか。
「ギソクの図書館」は、クラウドファンディングで資金を集めて2017年10月に設立しました。
「走る」って、アスリートだけがする特別なことじゃなくて、人間の原始的な動きの一つなんですよね。生活の中で日常的に行う動作。でもそれが障害によってできない人がいる。そういう人たちが「走りたい」と思っても、競技用義足は非常に高価なので、いきなり購入するのは難しい。そこで、まずは体験できる場所があるといいよね、ということでつくったのが「ギソクの図書館」です。
──設立から数年経って、いかがですか。
よかった点もあれば、新たに見えてきた課題もあります。
よかったことは、義足を使う人にとって「ここに来れば走れる」という場所になれたこと。こういう場所は世界的にもまれで、必要とされていると強く実感しました。つくる前は誰もピンときていなかったニーズに対して、⾃分たちが解決策を考え、実現まで持って⾏いくという⼀つのサイクルができたことも楽しかったですね。
見えてきた課題はコストです。ここに来なければならないという移動のコスト、義足を配るコストが思っていたより大きかった。新型コロナの感染拡大に伴って移動のコストはさらに高くなり、「ここに来れば走れる」という価値が下がってしまった。
だから、今は別のアプローチを考えています。特にこの1年は、そのグランドデザインを描くことに力を注いでいます。
いつでもどこでも最先端の高度な技術が求められているわけではない
──遠藤さんが取り組んでいる領域以外で、注目している社会課題やテクノロジー、あるいはアプローチはありますか。
具体的なテクノロジーを挙げるのは難しいですが、僕は昔から「適正技術」というアプローチが好きです。
適正技術とは何かというと──例えば、かつてインドはイギリスの植民地でしたよね。ある時、インドの経済を発展させようと、イギリスで生まれた最新技術をインドに持ち込んだのですが、当時は社会に浸透しなかった。その理由は、技術が発達していないところに最新技術を持っていったとしても、導入コストが現地の経済水準に見合わなかったり、壊れた時に誰も修理ができないという状況があったからです。
そのように、ある国にとって良い技術が他の国にとっては限らない、それぞれの場所や社会、タイミングに応じて適正な技術があるという考え方です。経済学者F・アーンスト・シューマッハーの著書『スモールイズビューティフル』には、このような失敗事例が数多く記されています。適正技術はこの本の中では中間技術と呼ばれていました。
なぜこれが大事かというと、一極集中の資本主義でつくられたテクノロジーは格差を生むからです。そして格差を生むものでは貧困問題は解決されなかったんです。世界のそこらじゅうにある社会課題を一発で解決できる技術があるわけではなくて、それを普及させるためのプロセスまで考慮された適正技術がなければならない。
技術というと、何かすごく高度な技術のことをいう人が構多いと思いますが、僕は適正技術の考え方やアプローチが好きだなと思っています。
イノベーターに必要なのは「しつこさ」
──最後に、遠藤さんが考える「イノベーター」の条件とはどのようなものでしょうか。
一つだけ挙げるなら、「しつこさ」「粘り強さ」。英語でいうところの「Grit」ですね。好きだからとか、面白いからじゃなくて、何かこう、執念のようなもの。狂気といってもいいかもしれない。
好きだから続けるという人もいるかもしれないですし、面白くて追究している人もいると思いますが、そういうものはどこかで尽きる可能性がある。原動力は人それぞれ違うと思いますが、自分なりの折り合いをつけながら、しぶとくやる続けられる人は強いなと思います。
IU35の受賞者には、10年後とか20年後にちゃんと実を結ぶような課題を持って、それに対して愚直に、しつこく取り組める人、その覚悟がある人に選ばれてほしいと思います。
MITテクノロジーレビューは[日本版]は、才能ある若きイノベーターたちを讃え、その活動を支援することを目的とした「Innovators Under 35 Japan」の候補者を募集中。詳しくは公式サイトをご覧ください。
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- 畑邊 康浩 [Yasuhiro Hatabe]日本版 寄稿者
- フリーランスの編集者・ライター。語学系出版社で就職・転職ガイドブックの編集、社内SEを経験。その後人材サービス会社で転職情報サイトの編集に従事。2016年1月からフリー。