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プログラミング教育は
格差解消につながったか?
AP Photo/Bebeto Matthews
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Learning to code isn’t enough

プログラミング教育は
格差解消につながったか?

歴史的に、プログラミングを学ぶことは貧困・格差の解消に役立つと言われてきたが、実際は安価なコンピューター労働者の供給にしかならなかった。新しいコンピューター教育は、プログラミング学習だけでなく、テクノロジーがもたらす格差の解消を目的としている。 by Joy Lisi Rankin2023.06.26

10年前、マイクロソフト、グーグル、アマゾンといった大手テック企業は、コード・オルグ(Code.org)の支援をはじめた。コード・オルグは、「幼稚園から高校まで、すべての学校の全生徒に対する一貫した主要教育として、コンピューター科学を学ぶ機会を」というビジョンを掲げ、プログラミング学習を提供する非営利団体だ。コード・オルグが創設されると、コードカデミー(Codecademy)、ツリーハウス(Treehouse)、ガール・デベロップ・イット(Girl Develop It)、ハックブライト・アカデミー(Hackbright Academy)など、プログラミングとコンピューター科学の学習に特化した非営利・営利団体が次々と現れた(コード・オルグの前年に創設され、参加者に「プログラミングを学んで世界を変えよう」と呼びかけたガールズ・フー・コード(Girls Who Code)は言うまでもない)。世間の親たちは今、子どもを参加させるプログラミング・サマーキャンプのトップ10を比較検討している。ベビー・コード(Baby Code!)が提供している子ども向けプログラミング絵本のボード・ブック(board books)シリーズで、さらに幼少期から学ばせようとする親もいる。なぜなら、「コンピューター・プログラムに興味を持たせるのに早すぎることはない」からだ。2016年、バラク・オバマ大統領はそうしたブームに乗るかたちで「すべての人にコンピューター科学を(Computer Science for All)」という取り組みを立ち上げた。そして、「デジタル経済で成功する」ために「必要なコンピューター・スキル」を生徒に身につけさせるため、数十億ドル規模の予算を提案した。

2023年、ノースカロライナ州はプログラミングを高校卒業の要件とすることを検討中だ。カリキュラムの変更が議会で認められれば、ネバダ、サウスカロライナ、テネシー、アーカンソー、ネブラスカの5州と同じ途を歩むことになる。これらの州も同様の方針を採用しており、プログラミングやコンピューター利用をバランスのとれた教育の基礎としている。こうした政策の支持者は、生徒たちの教育的・経済的な機会が拡大されると主張し、「何らかのコンピューター科学の知識」を必要とする仕事はますます増えていくとの見解を示している。

プログラミング・ブームは、新しいことではない。1978年、米国立科学財団(NSF)で専門家として働いていたアンドリュー・モルナー博士は、「コンピューター・リテラシー」と名づけた概念を「情報社会への効果的な参加の前提条件であり、読解力同様の社会的義務である」と主張した。そして、1960年代に端を発する2つのプログラムをモデルとして挙げた。1つはMIT人工知能研究所(現在のMITコンピュータ科学・人工知能研究所=CSAIL)を中心としたロゴ(Logo)・プロジェクトで、小学生の子どもたちにコンピューターを体験させることを主眼としていた(MITテクノロジーレビューはMITの子会社でMITから資金提供を受けているが、編集権は独立している)。もう1つはダートマス大学で、学部学生は学内全体に張り巡らされたコンピューター・ネットワークでプログラミングを学習した。

ロゴ・プロジェクトとダートマス大学の取り組みは、1960~1980年代にかけて立ち上げられたコンピューター関連の教育活動の実例だ。だが、これらの活動やその後に続いた数多くの取り組みは、多くの場合、社会の中で最も大きな権力を持った人々に利益をもたらすようになった。当時も現在も、単にプログラミングを学ぶだけで経済的に不安定な背景を持つ人々が、経済的に安定した未来をつかむための途が開けるわけではなく、教育制度の不備を補う万能薬になるわけでもない。

ダートマス:BASICとコンピューターのコミュニティを構築

1960年代はじめ、数学を専門としていたジョン・ケメニー教授(後のダートマス大学学長)は、ダートマス大学の学生たちのために学内に張り巡らすコンピューター・ネットワークの資金を調達するため、大学の理事たちにプレゼンした。当時のダートマス大学の学生は圧倒的に男性が多く、ほとんどが裕福な家庭の白人で、将来は米国の指導者を目されていた。「ダートマス大学のような教育機関の学生の多くは、産業界の幹部や、政府で重要な地位を占める高級官僚や議員になると見込まれるのですから、高速のコンピューター機器を自由に使いこなせるようになるのは必然です」とケメニー教授は主張した。

そして、ケメニー教授は将来大きな権力を手にするはずの学生が「高速コンピューターの可能性と限界を知る」ことは「不可欠」と主張した。1963〜1964年の間、ケメニー教授と同僚のトーマス・クルツ教授(数学)はダートマスの学生と緊密に連携し、学内を網羅するネットワークを設計・実装した。その一方で、ケメニー教授は、ネットワーク上で学生と教員が使用できる、容易に学べるプログラミング言語「BASIC」の開発を主に進めた。1964年の秋に入学してきた学生たちは、学内ネットワークとBASICを熱烈に歓迎した。

1960年代、ダートマス大学のネットワークの拡大につれて、学内には新しいコンピューター・センターができ、共有の娯楽空間や寮をはじめとする大学敷地内にネットワーク端末が設置されていった。システムは当時では革新的だったタイム・シェアリング・ネットワークだったため、1台のコンピューターに複数の端末を接続できた。端末を使う学生たちは、同時にプログラムを作成し、デバッグができた。

これは革新的な出来事だった。1968年までに、ダートマス大学の学部学生の80%と教員の40%が、日常的にネットワークに接続していた。新入生は初年度の数学課程の必修科目としてBASICのプログラミングを学んだが、コンピューター文化を本当に醸成したのは、学生がBASICやネットワークを習得する過程にあった。例えば、学内ではフットボールが大きな存在感を持っていたため(ダートマス大学は1962~1971年にアイビーリーグで7回優勝)、少なくとも「FTBALL」「FOOTBALL」「GRIDIRON(日本語版注:フットボールの別名)」という3つのコンピューター・ゲームが生み出され、ネットワーク上で熱心にプレイされた。ゲームの1つはケメニー教授自身が制作したものだった。

ネットワークへの接続とBASICの使用はとても簡単だったため、ダートマス大学の学生はコンピューターを身近に感じ、関心を高めた。ある学生は心理学の授業のために、仮説を検証するプログラムを書いた。別の学生は「XMAS」というプログラムを制作して、クリスマスカードを印刷した。親やガールフレンドへの手紙を印刷したり、ブリッジ、チェッカー、チェスといったさまざまなコンピューター・ゲームを楽しんだりする学生の姿も見られた。ダートマス大学の学生にとって、BASICのプログラミングを学ぶことからコンピューター体験が始まった。BASICを使って自身のニーズを満たしたり、仲間とのコミュニケーションを築いたりすることで、半世紀近くも前のソーシャル・ネットワーキングの先駆けとなった。BASICでのプログラミングは、一般教養の必修科目や課外活動に置き換わるものではなく、むしろ補完する存在だった。

食い違う結果:ダートマス・ネットワークの拡大

ダートマス大学のコンピューター・ネットワークが有名になるにつれ、ニューイングランド周辺の学校でも学習に活用しようとする動きが見られた。1971年4月までに、ニューイングランド、ニューヨーク、ニュージャージーの各州にで、高校30校と20大学がダートマス大学のネットワークに接続した。接続のために学校が用意するのは、1台の端末と、ダートマス内のメインフレーム・コンピューターと自校の端末をつなぐ電話回線だけだった(当時、長距離電話の料金がかなり高額だったため、ネットワーク接続における最大のコストになることが多かった)。BASICはダートマス大学の枠組みを超えて、ニューイングランドのさまざまな高校に広がっていったが、コンピューター文化に変化は見られなかった。

最初にネットワークに接続したのはフィリップス・エクセター(Phillips Exeter)、フィリップス・アンドーバー(Phillips Andover)、セント・ポールズ(St. Paul’s)といった私立高校で、1967年以前のことだった。それからの数年間で、私立・公立高校が混在して接続した。ケメリー教授とクルツ教授が確保したNSFの3年間にわたる助成金の援助を受けた「中等学校プロジェクト(SSP)」は1967~1970年に実施され、コネチカット州からメーン州までの公立・私立18校の高校が(ダーマスト大学のネットワークに)接続した。その目標は、できるだけ多くの生徒・教員にコンピューターとBASICを体験してもらい、その結果を観察することだった。

こうした高校がダートマス大学に時間単位での使用を求めたことは、各校の一部の個人やグループの関心や意欲の表れである。各校がネットワークへの接続だけではなく、プログラムへのアクセスも要求したのは、それが斬新で選ばれし者を意味するからだ。熱心に取り組む生徒も現れ、朝4時に起きてネットワークに接続する者までいた。しかし、ダートマス大学のネットワークへの接続は平等とはほど遠い状況だった。SSPに参加していた当時の私立校はすべて男子校で、ほとんどが白人だった。そのような学校の生徒は、男女共学の公立校の生徒の2倍近くの時間をネットワークに接続できた。私立の週72時間に対し、公立は40時間だけだった。

この時期、米国では女性に対する教育機会が拡大する前で、数学・科学学科に入学してくる男子高校生は女子高校生よりもはるかに多かった。数学・科学学科ではコンピューターが利用できた。つまり、ジェンダー間のみならず、人種間の格差もすでに存在していたシステムに、BASICも組み込まれたことになる。すべての人のためのコンピューターを目指していたものが、最終的には既存の不平等を拡大する結果になった。

ロゴ:亀1匹で、一気に世界を変えよう

ダートマス大学から1つ州を隔てた場所では、コンピューター科学者のシーモア・パパート博士、シンシア・ソロモン博士、ウォーリー・フォージーグが創設したロゴ・プロジェクトが、小中学生の学びに革命をもたらそうとしていた。当初、3人の研究者はプログラミング言語「LOGO」を開発し、1967~1969年にかけて、MITがあるマサチューセッツ州ケンブリッジ周辺の学校で5〜7年生の子どもたちがLOGOを検証した。「子どもたちは傑作な構文を生み出し、独自の算数クイズの制作が上達しました」とソロモン博士は述懐している。

だが、ロゴ・プロジェクトは決して「プログラミングを学ぶ」だけの取り組みにとどまらなかった。研究所全体や、新たな指 …

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