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ウクライナ侵攻で激震、
ロシアのテック業界は
いかにして崩壊したか
Stephanie Arnett/MITTR
倫理/政策 Insider Online限定
How Russia killed its tech industry

ウクライナ侵攻で激震、
ロシアのテック業界は
いかにして崩壊したか

ロシアにはヤンデックスなど国際的な競争力を持つテック企業が存在していた。しかし、ウクライナ侵攻とそれに伴う国内の情報統制によって、政府は有力なテック企業を破壊。人材は国外に流出し、進出していた他国のテック企業もロシアから撤退している。 by Masha Borak2024.02.08

ウクライナ侵攻が始まってから7日後、ウラジミール・ベルギンは自身と家族の身の回りの品をまとめ、モスクワにある自身のアパートメントの賃貸借契約を解約し、子どもを幼稚園から退園させ、ロシア国外での新たな生活を始めた。それから間もなく、ベルギンはヤンデックス(Yandex)における自身の職、中小企業担当最高商務責任者(CCO)を辞した。ヤンデックスはロシアにおけるグーグルのような存在で、ロシア最大のテック企業である。ウクライナ侵攻によって、ベルギン元CCO自身に関すること、そしてヤンデックスに関すること、そのどちらについてもロシア国内で全てが変わっていくであろうことは明らかだったと、ベルギン元CCOはキプロスにある自身の新しい家で語った。「ロシアでは、何のルールも存在しないという、新しいルールを受け入れなくてはならなくなっています」。

ベルギン元CCOに限らず、ロシアのテック人材は続々と国外に脱出している。ウクライナ侵攻開始から数カ月のうちに、大量のIT人材がロシアから国外へと脱出した。ロシア政府が公開した統計によると、2022年のうちにおよそ10万人のIT専門職がロシアを離れた。これはテック関連の労働人口のおよそ10%に当たる数であり、実際の数字はこれ以上である可能性が高い。IT人材の脱出が起きるのと同時に、1000社以上の外国企業がロシア国内での事業を縮小した。原因の一部は、主要経済大国に課せられるものとしては過去に類を見ないほど広範にわたる制裁であった。

ウクライナへの本格的な侵攻が始まってすでに1年以上が経過している。記録に残っている民間人の死者数は8300人であり、現在も増え続けている。テック人材が何もかも残したままロシアから逃げだしたことは、ロシアが着々とへき地になりつつあることを警告している。つまり、ロシアは世界のテック業界、研究、資金、科学交流、そして重要部品に手が届かなくなりつつあるのだ。一方でロシアのテック業界でも有数の成功者であるヤンデックスでは分裂が始まっており、利益を上げていた事業がフコンタクテ(VK:VKontakte)へと売却されている。VKはヤンデックスの競合で、複数の国営企業が支配しているテック企業だ。

「まるで、自分の国が盗まれてしまったかのような気分です」。こう語るのはVKの幹部で、ロシアに家族を残しているイゴール(本人の希望により仮名を使用)だ。ウクライナ侵攻が始まった時は、瞬く間に20年分のロシアの未来が奪われてしまったかのように感じたと、イゴールは言う。

ロシアでは、テック業界はコネではなく実力で成功できると考えられている数少ない業界の1つだった。またテック業界は、開放的な精神を維持してきた。ロシアの起業家たちは世界中から資金を集め、世界のあちこちで契約を成立させてきた。しばらくの間は、ロシア大統領府もこのような開放的な精神を受け入れているようであり、ロシアに投資してもらうために国際的な企業を誘致していた。

しかし、ウクライナ侵攻が始まるはるか前から、ロシアのテック業界に亀裂が生じ始めていた。10年以上に渡り、ロシア政府はロシアのインターネットと大手テック企業を厳しく管理しようとしてきた。一時期はロシアを未来へと導く希望であったテック業界を脅していたのだ。MITテクノロジーレビューが話を聞いた専門家たちによれば、ロシアによるウクライナ侵攻は既に生じていた傷を悪化させただけだという。ロシア有数のテック企業群は孤立と混沌にさらされた。そして、ロシア国民は厳しく管理されたロシア国内のインターネットへと囲い込まれてしまった。そこではニュースは公式の政府関連の情報源からしか提供されず、言論の自由は厳しく制限されている。

「ロシアの指導者たちはロシアを成長させる道として、まったく異なる道を選んだのです」と話すのは、ルーベン・イェニコロポフだ。イェニコロポフはバルセロナ経済大学院の助教授で、以前はロシアのニュー・エコノミック・スクールで学長を務めていた。イェニコロポフ助教授によれば、孤立は戦略的な選択となったという。

テック業界はロシアにおいて最大とは言えないが、経済を牽引する主要な産業の1つではあったと、イェニコロポフ助教授は言う。2015年から2021年の間、ロシアのIT業界は同国のGDP成長率のうち3分の1以上を稼ぎ出していた。この金額は2021年には3兆7000億ルーブル(478億ドル)に達した。総GDPの3.2%に過ぎないとはいえ、テック業界が後退すればロシア経済は停滞していく。イェニコロポフ助教授はこう述べている。「ロシアの将来の経済成長にとって、最も手痛い一撃の1つとなるのではないかと、私は考えています」。

脱出が始まる

ロシアによるウクライナ侵攻が始まった2022年2月24日、モスクワ市中心部の少し南にある、赤レンガとガラスが並ぶヤンデックスのオフィス内は緊迫した雰囲気に包まれていた。当時ヤンデックスでコンテンツ・マーケティング部門の責任者を務めていたアナスタシア・ディズハルデンは、ほかの多くの従業員とともにその場にいた。しかしディズハルデンによると、働いていた人はほとんどいなかったという。ヤンデックスのオフィスの喫煙エリアには、いつもの5倍の人がいた。従業員の一部はウクライナ侵攻が始まったその日のうちに、ヤンデックスを退職した。

ウクライナ侵攻のニュースがヤンデックスのオフィス内を駆け巡る中、ディズハルデンと同僚たちは「クラール」と呼ぶ週一のミーティングに呼ばれた。ディズハルデンによればミーティング中、ヤンデックスの専務取締役兼副最高経営責任者(CEO)であるティグラン・フダヴェルディアンは従業員を安心させるため、ヤンデックスは今後も事業を続けると明言した。

Co-founder and former CEO of Yandex Arkady Volozh
ヤンデックスの共同創業者であるアルカディ・ヴォロズは、EUから制裁を受けた後、2022年6月にヤンデックスを退職した。
ALEXANDER MIRIDONOV/KOMMERSANT/SIPA USA VIA AP IMAGES

 

ヤンデックスはロシアにとって、誇りと言える会社だった。ヤンデックスは世界を股にかけて事業を展開しており、会社の一部はオランダに登記している。ヤンデックスの技術者たちは、米国の企業と互角に渡り合っていた。ヤンデックスはロシアの検索エンジン市場においてグーグルよりも大きなシェアを占めており、ヤンデックスが提供している90種類のサービス群は、ロシアのデジタル市場の大半を押さえている。ヤンデックスのサービスには、収益を上げているコンテンツ・プラットフォームのゼン(Zen)、そして多くのロシア人が1日の始めにネットで見る、オンラインニュース・プラットフォームのヤンデックス・ニュース(Yandex News)がある。しかし、これらヤンデックスの情報流通経路は、ヤンデックスにとってトラブルの種でもあった。

ロシアによるウクライナ侵攻が始まってから数週間の間、1日当たり1400万人がヤンデックス・ニュースを訪れた。過去に類を見ない数だ。しかしヤンデックス・ニュースを訪れた人たちは民間人の死や破壊行為のニュースを目にすることはなかった。代わりに、ロシアの解放者たちはウクライナを「非ナチ化」しているというニュースがあった。ヤンデックス・ニュースに掲載された情報のうちおよそ70%が、ロシア政府が管理している情報源からもたらされた、プロパガンダを後押しするものだった。10年に渡ってロシア政府が、自国の独立系メディアを取り締まってきた結果だ。ロシア政府は侵攻開始後も、公認する情報源に関する新たな法律を制定するなどの取り締まりを続けている。

ディズハルデンは、ヤンデックスが生き残るには、注意深く事を運ぶしかないと分かっていた。「もしヤンデックスが何らかの(反戦に関する)意見を発表すれば、ヤンデックスが終わるかもしれなかたんです」とディズハルデンは話している。

結局ヤンデックスは政府に追従したが、それには代償が伴った。ウクライナ侵攻から3週間後、フダヴェルディアン副CEOはウクライナ侵攻に関する情報を公衆から隠蔽したとして欧州連合(EU)から制裁を受け、自身の役職から退いた。4日後、ヤンデックス株はナスダックで取引停止となった。

2022年6月には、イスラエルに住んでいるヤンデックスの最高経営責任者(CEO)のアルカディ・ヴォロズも制裁を受け、退任した。退任前には従業員に対し、ヤンデックスは従業員に向けた緊急資金を用意していると明かし、従業員を安心させようとした。ディズハルデンの記憶によれば、ヴォロズCEOは「自分たちがどんな国に住んでいるか、私たちは常に把握していた」と述べていたという。

ヤンデックスの元従業員たちの推定によれば、ウクライナ侵攻後の最初の2カ月間だけで、3分の1もの従業員がロシアを離れたという(その多くはリモートでヤンデックスに勤め続けている)。ディズハルデンは家族がウクライナにおり、6月にロシアを後にした。ロシアで働く最後の日、モスクワ川を見下ろすヤンデックスのオフィスにいつもいるはずの従業員は、ディズハルデンの推定ではおよそ10%しかいなかったという。

以上のような変化をきっかけとして、ヤンデックスは自社のニュースとコンテンツのプラットフォームをVKへと売却することで自社から遠ざける計画を立てた。その見返りに、ヤンデックスはVKのフード・デリバリーサービスを獲得した。ヤンデックスとVKの取引は9月に完了した。

そしてウクライナ侵攻が始まってから9カ月後、ヤンデックスはそれまでとは異なる形となることを発表した。2023年夏までに、ヤンデックスは2つの組織へと分裂する。ロシア国内に残す組織と、オランダに本社を置く以前の親会社が所有する組織だ。ロシア国内の組織はヤンデックスの中核事業に対する支配権を保持し、ヤンデックスの幹部3人とプーチンに近い経済学者であるアレクセイ・クドリンによって構成される、特別経営パートナーシップが引き継ぐ。

現状、ヤンデックスの長期的な見通しは暗いと、元従業員たちは語っている。かつては進歩主義的だったヤンデックスは、ロシア国内では引き続き、ロシア政府に協力せざるを得なくなるだろう。ロシア国外では、ビジネスの確立に苦労している。「将来は無いと、私は考えています」とベルギン元CCOは語っている。

ヤンデックスは上記のような見解について、コメントしていない。同社はMITテクノロジーレビューの取材に対し、困難な一年であったにも関わらず従業員数を増やしていること、そして2022年の売上高目標を達成したと回答した。ヤンデックスはまた、ロシア国外でのビジネスを拡張する予定だとしている。

ロシア政府による統制の範囲は広がりつつある

ヤンデックスの件は、ロシア大統領府が自国のテック企業を管理しようとする試みの最新の例に過ぎない。ロシア大統領府は、ロシア人がネットの情報に自由に触れることができるようになることで起こりうる結果を恐れているのだ。ロシア大統領府によるテック企業管理の試みが始まったのは2011年、フェイスブックとツイッターが1990年代以降最大となる反政府抗議活動の開始を後押しした時のことだ。

テック業界の一部は抗議活動に参加していた。ロシアという国をよりリベラル、かつ民主主義的な道筋へと乗せる後押しとなることを期待してのことである。VK幹部のイゴールは、自身もその1人だったと語る。しかし数年後、イゴールは抗議活動への参加を止めた。「希望が無いように思えた」とイゴールは語っている。

その後、ロシアはより抑圧的な法律を課すようになり、ソーシャルメディアのユーザーを、その投稿内容を理由に逮捕するようになり、ユーザーデータを覗くことを求めるようになり、コンテンツ・フィルタリングを導入するようになった。これにより、フェイスブック、ツイッターおよびリンクトイン(2016年以降はロシアからブロックされている)といった西側のソーシャルプラットフォーム、およびロシア国内の競合企業に圧力がかけられることとなった。

よくロシア版フェイスブックと言われるフコンタクテは、創業者であるパーヴェル・ドゥーロフが2014年にフコンタクテから追い出され、ロシア大統領府に近いオリガルヒたちが主導権を握るようになって以来、「実質的に国営化されました」と、イェニコロポフ助教授は語っている。ドゥーロフ創業者はロシアを脱出した後、メッセージング・アプリであるテレグラム(Telegram)を開発している。ドゥーロフはロシアを「インターネット・ビジネスとは相容れない存在」だと表現した。ロシア国立研究大学経済高等学院の研究によると、「ユニコーン」と呼ばれるスタートアップ企業の創業者が自国を離れる例が一番多いのはロシアなのだという。

ロシア政府は何もかも自分たちで管理するべきだと考えていると、イェニコロポフ助教授は語っている。「テック企業を放っておくことができないんです」。

ルーネットの出現

2014年のロシアによるクリミア併合後にロシアに対し国際的な制裁が課せられるようになった後、ロシア政府は自国独自のインターネット、ルーネット(RuNet)のアイデアを喧伝し始めた。

ウクライナ侵攻と、その後に世界各国がロシアに課した制裁によって、ルーネットのアイデアは蘇った。2022年3月、ロシア大統領府はインスタグラム、フェイスブックおよびツイッターといった、海外のソーシャルメディア・プラットフォームへの通信を遮断した。ロシア人を情報が管理されたバブルの中へと封じ込める動きだ。

ロシアは前述のような人気ある国際的なWebサイトを、国内製の代替に置き換えようとしてきた。VKとロシア情報技術・通信省は、国内向けアプリストアである「ルーストア(RuStore)」を立ち上げた。グーグル・プレイやアップルのアップストア(App Store)の代替だ。ティックトック(TikTok)、インスタグラム、ユーチューブに対しては、それぞれヤッピー(Yappy)、ロスグラム(Rossgram)、ルーチューブ(RuTube)といった、国内製の類似品が存在する。

The two logos of Yandex can been seen framing the reception desk of the headquarters in Moscow
モスクワにあるヤンデックス本社の受付デスク。
REUTERS/EVGENIA NOVOZHENINA VIA ALAMY

イゴールによれば、ヤンデックス・ニュースは、ロシア人ユーザーが読めるコンテンツをロシア政府が一元的に管理する動きの一端を担うことになり、VKの他のニュース関連製品と統合されるという。

イゴールは「VKの主目的はプロパガンダを広めることです」と述べ、さらに、ロシア人ユーザーをロシア製のサービスに釘付けにすることで目的を達成するだろう、と続けた。VKにコメントを求めたが応じなかった。

ロシアはデジタル世界で自身の統治権を行使したがっているが、そのために利用する方法はオンライン・コンテンツの管理だけではない。2022年に制裁が課せられて以降、ロシア政府は急に、完全自己完結型のテック・エコシステムを構築するという目標を喧伝し始めた。ここで言うテック・エコシステムとは、サービスや金融からハードウェアやサプライ・チェーンに至るまで、あらゆるものを網羅したものだ。

ロシア政府は自国の電子産業に対し、「かつてないほどの額の資金」を供給すると約束した。その額は、2030年までに3兆1900億ルーブル(412億ドル)を超える可能性がある。しかし、自国の電子産業を作り上げるということは、他国に追いつくための困難な勝負に挑むということである。ロシア政府自身による推計でさえ、ロシアの半導体産業は他国に比べ、10年から15年遅れているとしている。ブリュッセルに拠点を置くシンクタンクであるブリューゲル(Bruegel)によれば、制裁を受ける前、ロシアは1年当たり約190億ドル分のハイテク製品を輸入しており、その中で最大の割合(66%)を占めていたのがEUおよび米国からのものだった。フィンランド銀行でシニア・エコノミストを務めるヘリ・シモラのような専門家たちは、テクノロジー製品の輸入は2022年以降、30%減少したと推計している。

「ロシアの経済は多くの面で、洗練されているとはとても言えない状態です。つまり、ハイテク産業はそこまで育っていないのです」と話すのは、ブリューゲルでリサーチ・フェローを務めるニコラス・ポワチエである。「多くの業界において、工業生産量はガタ落ちしました」。

さらにロシアは貿易規制によって、シスコ、SAP、オラクル、IBM、TSMC、ノキア、エリクソン、そしてサムスンといった、主要テック企業の製品を利用できなくなった。

ポワチエによれば、ロシアのテック・ビジネスをこれまでのような国際的な取引に頼らずに再建しようとする動きは、ソビエト連邦への先祖返りのようなものだという。しかし現代のロシアにおいては、本当に独力だけで動くのではなく、チップの密輸業者や、中国のようなパートナーに頼る可能性の方が大きいだろう。「ソビエト連邦時代にあった知恵はもう存在しません。人材が存在しないのです」とポワチエは語っている。

スコルコヴォの衰退

ウクライナ侵攻のはるか前、ロシア政府は自国のテクノロジー・エコシステムを、特別なプロジェクトで強化する取り組みを多数実行していた。ロシア政府が解体を検討している国営ナノテック企業のロスナノ(Rusnano)はその1つだ。だが、最も著名な例はスコルコヴォだ。ハイテク・ハブであり、シリコンバレーを再現しようという試みだった。

普通の時代であっても、そうした試みは苦戦するものだと話すのは、ベンチャー・キャピタル投資家であり、テック業界関連のWebサイト「イースト・ウェスト・デジタル・ニュース(East-West Digital News)」の共同創業者であるアドリアン・ヘンニだ。「称賛に値するような取り組みもいくつかありました」とヘンニ創業者は話す。「しかし、そうした取り組みは汚職と効率の悪さによって制約を受けていました。さらに、より普遍的な話になりますが、ロシアの政権があまりそうした取り組みを気にかけなかったという事実も、制約となりました」。

View of a facade of the Skolkovo Technopark and Skolkovo innovation center in Moscow city, Russia
ALAMY

スコルコヴォは、2010年当時ロシア大統領で、若く、デジタルに強く、西側を重視するテクノクラートのイメージを打ち出していたドミートリー・メドヴェージェフが始めた近代化プログラムの一環として立ち上がった。スコルコヴォはモスクワの南西、ロシア大統領府から車で30分足らずの位置にあり、世界のさまざまな場所で見かける洗練されたテクノロジー・パークのような見た目をしている。スコルコヴォの目標は、補助金、教育、オフィス・スペースを提供することで、ロシアのテック起業家にとっての出発点になることだった。

ロシアにとってスコルコヴォを軌道に載せることは、急な学習曲線を乗り越えるようなものだった。「ロシア語には『スタートアップ企業』という言葉がまったく存在しないのです」と話すのは、アレクセイ・シトニコフだ。スコルコヴォ科学技術大学(Skolkovo Institute of Science and Technology)、通称スコルテック(Skoltech)において、コミュニケーションおよびコミュニティ開発担当副学長を務めている人物だ。

しかし、西側のテック企業の重役やベンチャー・キャピタリストたちは、ロシアの期待に応えた。グーグル、インテル、ノキアおよびシーメンスの幹部たちが、スコルコヴォの評議会や理事会に加わったのだ。マサチューセッツ工科大学(MIT)は協力協定を結び、スコルテックの創設に助力した。このことは物議を醸し、米国連邦捜査局(FBI)に目を付けられることとなった(MITはスコルテックとの関係を2022年2月、ウクライナ侵攻開始後に打ち切った)。

メドヴェージェフの側近にイリヤ・ポノマリョフがいた。ロシアの下院の野党の一員であり、スコルコヴォ財団(Skolkovo Foundation)の総裁であるヴィクトル・ヴェクセリベルクの顧問だった人物だ。ポノマリョフは、ロシア中にテクノロジー・パークを建設するにあたり、その先鋒を任されていた。

「スコルコヴォはロシア中にテクノロジー・パークを作るという考えを発展させたものであり、テクノロジー・パークのネットワークにおいて、最も輝ける存在となったのです」とポノマリョフは語っている。

ポノマリョフはスコルコヴォに長居することはできなかった。スコルコヴォの立ち上げから1年が経った2011年、ポノマリョフはロシアの反政府抗議活動におけるリーダーの1人となり、その後間もなくスコルコヴォの資金を横領したと告発されることとなった。4年後、ポノマリョフはロシア下院でただ1人、クリミア併合に反対票を投じた。その後、ロシア政府はポノマリョフを横領で告発した。ポノマリョフが気付いたときにはすでに、自身の銀行口座が凍結され、米国で身動きが取れなくなっていた。さらにロシアへの再入国が禁じられた。ポノマリョフは、告発は政治的なものだったと主張している。2019年、ポノマリョフはウクライナ国民となった。そして現在、ポノマリョフは必要とあらば暴力によってでもプーチンを打倒すべく、ロシア国民に団結を呼びかけている。ポノマリョフと同僚たちがスコルコヴォで取り組んでいた取り組みや、より広範な起業家エコシステムに対して実行していた取り組みは、今となっては「無駄になってしまった」と、ポノマリョフは語っている。

Ilya Ponomarev surrounded by the media
イリヤ・ポノマリョフは元ロシア下院議員であり、2019年にウクライナ国民となった。現在では必要とあらば暴力によってでもプーチンを打倒するべく、ロシア国民に団結を呼びかけている。
OLEKSII CHUMACHENKO / SOPA IMAGES/SIPA USA VIA AP IMAGES

「起業家やベンチャー・キャピタル絡みの物事は何であれ、国際的な活動や、世界各地からの協力が大量に必要となりますし、1つの国に留めておくことはできないものです。まさにそれこそが、ロシアで起こったことなのです」とポノマリョフは述べている。

スコルコヴォを拠点とする、ロシアの成功したスタートアップ企業の数は増え続けていった。しかしウクライナ侵攻が始まった後、他国からの協力者の多くはスコルコヴォを離れた。さらに深刻なことは、他国のベンチャー・キャピタルが離れつつあることだ。2022年、ロシアの企業に対するベンチャー・キャピタル投資は57%減少し、11億ドルとなった。

メドヴェージェフは2022年12月、スコルコヴォは制裁によってもたらされた困難を踏まえ、「その活動を再設定する」と発表した。スコルコヴォは現在、ロシアのテック業界を自己完結型にするための政府資金の一部を分配する活動を支援している。2023年2月、スコルコヴォは米国による制裁の対象となった。スコルコヴォ科学技術大学のシトニコフや、ほかのロシアのテック業界のリーダーたち、例えばノヴォシビルスクにあるIT協会、シバカデムソフト(SibAcademSoft)の理事会で議長を務めるイリーナ・トラヴィナなどは、ロシアの企業はNATOの勢力圏の外にあるアジア、ラテン・アメリカ、中東などの市場と協力することで、ロシア国内で今後も繁栄していけるだろうと考えている。

帰還は未定

しかし、ロシアのテック業界の未来に何が待ち受けるのかを予測することは難しい。

ウクライナ侵攻開始後、ロシアでは多くの合併・買収が見られた。海外企業がロシアの市場から急いで撤退し、多くの場合、その際に自社の資産をロシアの競合他社に破格の値段で売却していったからだ。そのような資産の一例がアヴィト(Avito)だ。ロシアで最も人気のある個人間取引サイトで、世界最大規模を誇る。2022年10月、南アフリカの企業ナスパーズ(Naspers)の子会社がロシアから撤退する際に、アヴィトを推定価値60億ドルの数分の一である24億6000万ドルで売却した。この会社はさらに、保有していたフコンタクテの株も売却した。これらのような投げ売りによって、ロシア大統領府によるテック業界の管理が一層強くなった。

2022年の間、ロシア経済は予想に比べ善戦した。ヤンデックスのような一部のテック企業は、競合他社の撤退によって恩恵を得ていた。しかし、私が話を聞いた経済学者、テック起業家、およびIT人材の多くは、そのような恩恵は長くは続かないと見ている。ロシアによるウクライナ侵攻の終わりは見えず、75%のロシア人はいまだにウクライナ侵攻を支持すると話している

懸念点の1つに、ロシア人のネット・ユーザーの数が、ロシアの現在のデジタル産業を支えるには不十分ではないか、というものがある。また、多くのテック人材がカザフスタン、ジョージア、アルメニア、トルコなどといった国々へと脱出してしまったことも懸念されている。

ロシア政府は、他国へと去ったIT人材を説得し、呼び戻したいと考えだ。2022年11月、ニューヨークのタイムズ・スクエアにある街頭広告に、鮮やかな青空を飛ぶ飛行機が映し出され、ロシア語で書かれた「故郷に帰る時です!」というメッセージがぱっと表示された

広告はテック人材をロシアのタタールスタン共和国にあるエラブガ特別経済地区へと誘うものだった。しかし現状、IT人材がロシアへと戻っている様子はない。ロシアはウクライナ侵攻の前から、人材不足に苦しんでいた。ウクライナ侵攻前の2021年後半に発行されたガートナーの報告書によれば、2025年までにロシアにおける熟練デジタル人材の不足は50%悪化し、最大で専門家100万人分になる、とのことだった。

aerial view of Alabuga special economic zone in 2017
ロシアのタタールスタン共和国にあるエラブガ特別経済地区は、企業や開発事業者にインフラと税金の優遇措置を提供している。
ALABUGA.RU

人材確保の問題が迫っているにも関わらず、ロシア政府は2022年9月、テック業界を支援し、IT専門家をロシアに留めておくために設立した215億ルーブル(2億7720万ドル)の優遇措置プログラムを削減すると発表した

ウクライナ侵攻以降、何名かの著名人がロシアの市民権を放棄した。億万長者のテック投資家であるユーリ・ミルナーや、オンライン銀行ティンコフ(Tinkoff)の創業者であるオレグ・ティンコフなどだ。ほか多くの人間は沈黙を保っている。声を上げることで起きうる結果を考えると、沈黙せざるを得ないのだ。

ディズハルデンは現在、セルビアのベオグラードに住んでいる。セルビアはビザ取得の条件が緩かったため、多くのロシア人IT人材が移住した。ディズハルデンはいつ自身の故郷に戻れるのか、分からないという。ディズハルデンの故郷であるマガダンはロシア北東に位置しており、モスクワからは飛行機で8時間かかる。ディズハルデンは、ロシアを去ったディズハルデンの友人の多くは、帰りたがっているという。

「私はロシアに戻る準備が出来ています。いくつかの条件が満たされていれば、ですが」とディズハルデンは言う。「私はプーチンが大統領の地位に居座っている国には住みたくありません。私は戦争を始める国には住みたくないのです」。

マーシャ・ボーラクはフリーランスの記者で、テクノロジーと政治、ビジネスおよび社会の交わりについて報じている。 

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MITテクノロジーレビューは毎年、気候テック分野で注目すべき企業を選出し、その一覧を発表している。 今回で3回目となる本特集では、なぜこれらの企業を選出したのか、そして米国の政治的変化をどのように考慮したのかについても詳しく解説している。併せてお読みいただきたい。

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