「しょせんはロボット、しょせんは機械。そういうものと私たちが普通にコミュニケーションをとれるかというのは本来、不思議な話なわけです」。
3月8日、東京ミッドタウン日比谷のBASE Qで開催された「Emerging Technology Nite #11 ロボットとのコミュニケーションの未来——人間は機械と共生できるのか?」(主催=MITテクノロジーレビュー[日本版]、協力=三井不動産株式会社 / BASE Q)。講演の冒頭、豊橋技術科学大学 情報・知能工学系の岡田美智男教授はそう切り出した。
岡田教授は、前職の国際電気通信基礎技術研究所(ATR)在籍時から現職に至るまで長年研究を続けている「弱いロボット」のコンセプトがどのように生まれたか、研究から得られた「コミュニケーションを形づくる要素とは何か」について話した。
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ロボットと周りとの関係性の中に「人らしさ」を見いだす
岡田教授は、「ロボットをつくることが目的ではなく、研究の道具としてロボットを開発している」という。「人同士のようにはいかない」人とロボットとの関わりの中で生まれる違和感を手掛かりに、人同士がどのようにコミュニケーションをとっているのかを解き明かすことが岡田教授の大きな研究テーマだ。さらに、そこで得た人間科学的な知見を、ソーシャルなロボットや、人とロボットとの関わりに生かしていく目的もある。
一般的にロボットの研究は、その知性や行動において人に近づける、人らしさを追究する方向で進んできた。岡田教授いわく「足し算型」のデザインである。他方、岡田教授が志向してきたのは「引き算型」のデザインだ。
「ロボットに機能を追加していくのではなく、コミュニケーションの議論に関係ない要素を少しでもそぎ落とすことを考えてきた」。目で捉えられる実体としての姿、格好、顔などに表れる人らしさをあえて削ることで、目に見えない「周りとの関係性」から立ち表れる人らしさを際立たせようとしてきたのだ。
ロボットが人と補い合うことで目的を果たす
最近では、姿形だけでなく機能の引き算に踏み込んでいるとう。岡田教授は、そうして生まれたロボットの1つ「ゴミ箱ロボット」を紹介した。
ゴミ箱ロボットには腕がなく、自分ではゴミを拾えない。声は発するが言葉は喋らない。できるのは、ゆっくりヨタヨタとフロアを歩き回り、モノが落ちているの見つけたら体を震わせたり声を出したりしてアピールし、誰かがゴミを入れてくれたら少しだけ傾いてお礼のような仕草をするだけだ。
だが、子どもたちはその反応を面白がって、周りから一生懸命ゴミを集めてくる。色違いのゴミ箱ロボットを3体用意したら、子どもたちは勝手にゴミの分別まで始めた。自分ではゴミ拾いを完結できないけれども、周囲の人のアシストを上手に引き出して、結果としてゴミを拾い集めてしまう。そんなロボットだ。
「ひとりでできる」ことへの社会的な圧力
「私たちは生まれてこのかた、『ひとりでできる』ことを是とする文化の中で育ってきている」と岡田教授は言う。
子どもは親からひとりで靴下を履くことを期待され、学校の試験はだれの力も借りずひとりで臨む。高齢者も「まだまだ若い人の世話にはならない」などという。ロボットも同じだ。一人で動き回れて、賢くて、完璧に仕事をこなしてくれるのがロボットであるという思い込みと期待がある。
しかし何でも「ひとりでできる」ことはいいことばかりとは限らない。ゴミを拾ってくれるロボットとゴミを拾ってもらう人という立場が明確になったとき、両者の間には線が引かれ、距離が生まれる。途端に人のロボットに対する期待は要求となり、エスカレートしはじめる。もっと正確に、もっと効率よく。ゴミを落としたりしようものなら叱りつけてしまう。
「ロボットの完璧さや便利さが、人の傲慢さや不寛容性のようなものを引き出している可能性がある。過度の依存心を生み、人を受動的な存在にしてしまう」と岡田教授は指摘する。
ロボットも弱みを見せていい
ロボットにも苦手なこと、「弱い」ところはある。例えば、床に落ちているゴミをロボットが拾うことは簡単ではない。落ちているものを拾うことはできても、それがゴミなのか、捨ててはいけないものなのかの価値判断は相当に難しい。その部分は人のほうが圧倒的に優れている。だったら手伝ってもらえばいい。
これまでのロボット開発では、機能をどんどんリッチにしようとしてきた。だが、ロボットと人は補い合えると考えると、ロボットに備えるべき機能はどんどん減らせる。個体としての能力はチープでも、周りとの関係性がリッチになるから問題解決ができてしまう。これを可能にするのは、愛嬌やかわいらしさ、「放っておけない」と人に思わせてしまうヨタヨタしたロボットの動きや仕草だ。
「これまで技術者はロボットの弱みを隠そうとしてきました。でもそれを隠さずに自覚して開示してあげると、意外と人は喜んで助けてあげてしまう。ゴミを拾ってあげた人もうれしい気持ちになるし、ロボットも役割を果たせてなんとなくうれしい。そのような相互構成的な関係が面白いと思っています」(岡田教授)。
岡田教授は、ロシアの文芸評論家、ミハイル・バフチンの「不完結な言葉は内的説得力を持つ」という言葉を紹介した。「不完結な言葉」は、言葉の受け取り手がその言葉の解釈に参加できる余地を持つ。あるいは、伝える人と解釈する人が一緒になって意味を生み出す余地がある。そのような不完結なコミュニケーションこそが説得性を持つ、というのがバフチンの言葉の意味である。
「普段私たちは、メッセージを過不足なく言葉にして伝えたことをもって『コミュニケーションがとれている』と考えている。ただ、自己完結した言葉は聞き手との間での調整の余地がないため『強い』あるいは『きつい』印象になる。例えばゴミ箱ロボットが周りの人に『そのゴミ拾って』といいながら歩き回ったら、カチンとくるかもしれない」(岡田教授)。
人にコミュニケーションの受け手となってもらう設計を
岡田教授は、自動運転システムにも「弱いロボット」のコンセプトを導入できないかと自動車メーカーに提案したそうだ。現在の人工知能(AI)システムは、深層学習によって高度な判断を下すことができるが、その理由を説明できないことが欠点だといわれている。
だが、「目」を取り付けるだけでもソーシャルなロボットになりうるのではないか? 何の前触れもなく車が急減速すると同乗者は驚いてしまうが、取り付けた「目」が信号のほうを向いたことが同乗者に分かれば、信号が赤だから止まったのだということが分かる。あるいは「目」が歩行者をちらちら見ながら徐行運転していれば、「ちゃんと気づいているな」と同乗者は安心できる。
また、自動運転システムには、気象条件や照明条件によってセンサーの信頼度が下がる弱みもある。そこで、「ここは自動運転が難しい」と弱みを開示して人とコミュニケーションが図れれば、同乗者がその時だけサポートできる。ただ、「弱い」という言葉、そしてそれを開示するという点について、自動車メーカーの評価はいまのところあまり芳しくないという。
「弱みを見せられない社会になっている」と岡田教授はいう。そして、弱みを見せられないコミュニティや組織は「もろい」とも。皆が強がろうと無理をして、その結果精神的なダメージを負ってしまう。弱みを適切に開示できれば、お互いの弱い部分を補いつつ、強みを引き出し合う関係が生まれる。
「現在はロボットやAIには、高性能で『強く』あることが期待される。『弱い』部分を開示して、人に受け手になってもらえるような関係性が、これからのものづくりにおいて重要なのではないか」と岡田教授は提言した。
岡田教授と豊橋技術科学大学の学生が中心になって研究・開発してきた「弱いロボット」は、ICD-LAB(Interacion and Communication Design Lab)のサイトで見ることができる。
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- フリーランスの編集者・ライター。語学系出版社で就職・転職ガイドブックの編集、社内SEを経験。その後人材サービス会社で転職情報サイトの編集に従事。2016年1月からフリー。