KADOKAWA Technology Review
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ブタからヒトへ
世界初の異種移植へ近づく
ドイツの研究者たち
Laetitia Vancon
生物工学/医療 Insider Online限定
Meet the pigs that could solve the human organ transplant crises

ブタからヒトへ
世界初の異種移植へ近づく
ドイツの研究者たち

心臓や肝臓などの生死に関わる臓器の移植では、依然として人体に頼らなければならない。臓器不足の解消へ向け、遺伝子編集ブタを使った異種移植の実現という夢を追う、ドイツの研究者を訪ねた。 by Karen Weintraub2020.01.24

ドイツのミュンヘン市内中心部から37キロメートルほど北に進んだ位置に、かつて国営農場だった施設が、今もなお当時の風情を残したまま存在する。市内中心部とミュンヘン国際空港の中間にあるその施設の、古いファームハウスの窓を覗くと、室内には最先端の実験装置が所狭しと並んでいる。

農場の奥にある、ファームハウスより新しい建物の中で、獣医のバーバラ・ケスラー博士は履いていたスニーカーを脱ぎ、素足と素手に殺菌剤をスプレーする。細く引き締まった体型のケスラー博士は、外部から持ち込んだ服、時計、イヤリングなどをできる限り取り外してから、シャワールームの床に貼られたテープをまたぐ。そして、体と髪を洗う。頻繁な洗浄が楽にできるよう、髪型は坊主に近いバズカットにしてある。

シャワーを終えたケスラー博士は、綺麗に折り重ねられた支給ウェアの中から、自分のサイズの黒いズボン、赤いシャツ、黒いクロックスサンダルを選び出す。更衣室から出ると、超がつくほどのショートヘアにも関わらず、髪の毛が細菌を撒き散らさないように黒のニットキャップを被る。そして、廊下を大股で歩いてブーツ部屋へ進み、1回の使用ごとに徹底的に洗浄される膝上タイプのゴム長靴に慎重に足を入れる。

このような衛生措置はすべて、清潔さとは縁遠い動物だと思われているブタを守るためだ。ケスラー博士が屋内に設置された豚舎の扉を開けると、そこでは紛れもない養豚場の臭いが漂っている。

ケスラー博士はケージの扉を1つ開け、中にいるブタを見せてくれた。雌の子ブタが出てきて、あたりを探索し始める。この施設にいるブタには名前がない。ブタの世話係が愛着を持ちすぎないようにするためだ。名無しの子ブタは、金属製の扉の向こう側に戻るよう誘導される。素人目には、この子ブタは普通のブタと変わりないように見えるが、体は小さい。

重要なのは、雌ブタの体内だ。この雌ブタの臓器は、人体に移植されたときに受け入れられる可能性が高くなるよう4つの遺伝子操作が行われている。遺伝子操作のせいか、メス豚の見た目は、ややブタらしさを失っている。すべてが計画通りに進んだ場合、この雌ブタのようなブタの体内でせっせと血液を送り出している心臓が、いつか人間の体内で拍動するようになるかもしれない。

遺伝子改変ブタに由来するさまざまな種類の組織の移植は、すでに人体でテストされている。中国の研究者たちは、インスリンを分泌する膵臓の細胞を遺伝子編集ブタから取り出し、人間の糖尿病患者に移植した。韓国の研究チームは、ブタの角膜を人間に移植する準備が整っており、政府の承認待ちだと発表している。そして、米マサチューセッツ総合病院では、重度の火傷を負った患者の傷口を一時的に覆うために、遺伝子編集されたブタの皮膚が使用されたことが、2019年10月に発表された。発表した研究者によると、使用されたブタの皮膚は、入手がはるかに難しい人間の皮膚と同じくらい効果的に機能したという。

しかし、心臓や肝臓などの生死に関わる臓器に関しては、移植外科医は依然として人体に頼らなければならない。いつの日か、この雌ブタのような遺伝子編集ブタの体にメスを入れて取り出した心臓、腎臓、肺、肝臓を移植センターへ救急搬送し、死に瀕する重病患者を救うのが夢だ。

ベイビー・フェイの死

米国では現在、臓器提供者(ドナー)が見つからないために、毎年7300人が死亡している。そのうちの3分の2は腎臓移植希望者だ。多くの場合、唯一の希望は他の誰かの悲劇、つまりドナーを生み出す死亡事故である。

別の臓器供給源を探し求める外科医はまず、人間に最も近い動物であるサルに注目した。1984年、ベイビー・フェイという名の生まれたばかりの女児にヒヒの心臓が移植されたが、免疫が拒絶反応を起こし、20日後に死亡した。生まれて間もないベイビー・フェイの早すぎる死は世界中から注目を浴びた。多くの人が、最も近縁の動物を殺して人間を救うという考えを非難した。ワシントンポスト紙に掲載された心臓専門医による意見記事では、ヒヒの心臓移植手術は「医学的冒険主義」と表現された。医療倫理ジャーナル誌(JME)では、「ベイビー・フェイ:けだものビジネス」という見出しの記事が発表された。

その後、1990年代に、研究者とバイオテクノロジー …

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