KADOKAWA Technology Review
×
「世界一」を標榜した
英国の接触者追跡アプリは
なぜ失敗したのか?
Edward Howell on Unsplash
倫理/政策 無料会員限定
The UK's contact tracing app fiasco is a masterclass in mismanagement

「世界一」を標榜した
英国の接触者追跡アプリは
なぜ失敗したのか?

ビッグデータを活用した独自の接触者追跡アプリの提供を目指していた英国政府は、アップルとグーグルのAPIを利用した分散型のアプリの提供に方針を転換した。先進的な取り組みはなぜ失敗したのか。 by James Ball2020.06.24

世界最大級の単一支払者医療制度であるNHS(英国国民健康サービス:National Health Service)には強みがある。特に近年注目されてているのが、ビッグデータの活用だ。

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のアウトブレイクの初期に始まったNHSの無作為化臨床試験「リカバリー・トライアル(RECOVERY trial)」は、有望な救命治療法の1つであるデキサメタゾンの発見につながった。ほかにも、開始から10年近くが経過したNHSのがんデータストアは、がん研究の世界で最も豊富な臨床データの1つに数えられている。

したがってジョンソン政権が新型コロナウイルス感染者との接触者を追跡するスマートフォン・アプリを提案したとき、NHSが世界をリードするテクノロジーを開発するチャンスだと考えたのも驚くことではない。

だが、当初の接触者追跡アプリの計画を破棄し、シンプルな別の方法を採用するとの英国政府の発表は批判や怒りを浴び、接触者追跡テクノロジー全体への不信感を招くこととなった。いったい何が起きたのか。

ビッグデータ、ビッグアイデア

デジタル接触者追跡(感染者に接触した可能性があることを警告する携帯電話間通知)は真新しいテクノロジーであり、感染経路追跡の取り組みを補助する有用性はまだほとんど検証されていない。だが、もしアプリに別の用途、例えば感染症の拡散パターン探知やクラスター(集団)の特定、アウトブレイクの早期発見、さらには人口統計データやその他データの追加などでウイルス追跡に役立つ情報の収集などが可能になれば、アプリの可能性は劇的に広がるはずだ。

こうした考えのもと、英国版接触者追跡アプリでは中央集権型モデルが採用された。新型コロナウイルスの症状を発症した人や、検査で陽性となった人と接触した人に警告するため、匿名化データを保護されたデータストアに収集・蓄積することは十分可能だとNHS関係者や開発者は考えていた。

中央集権型なら、分散型モデルよりもはるかに多くのデータを分析できる。分散型はアプリユーザーに接触を通知することはできるものの、公衆衛生当局がデータへアクセスすることはほぼ不可能だ。グーグルとアップルが提案し、現在ではNHSも採用している分散型モデルは、中央集権型に比べてプライバシー侵害のリスクが極めて低い。プライバシー保護は国民のアプリへの信頼性を高め、より高い普及率を期待できる。

英国が中央集権型を採用した理由はほかにもあった。英国では検査機器が不足し、接触者追跡に従事する人員も比較的少ないことから、陽性者と接触した可能性のあるすべての人に通知する分散型を採用すると、NHSのシステム崩壊を招く恐れがあった。一方で、疑いではなく確定済み症例に基づいて警告を発する中央集権型は、医療体制の対処能力と合致していたのだ。

同時に、政府関係者は栄光を求めていた。政権は世界の舞台で勝利を宣言するために、よくできたアプリではなく「世界一」のアプリを目指していた。中央集権型システムの開発・導入の勢いは止められず、システム構築の課題はほとんど無視されてしまった。

技術的な問題と組織の大混乱

技術的な障害の1つが、ブルートゥース(Bluetooth)の性能問題だ。ほぼすべての接触者追跡アプリは、携帯電話のBluetoothを頼りに、誰が誰に近接しているかを追跡する。理論的には、それが常時実行されていれば、接触者追 …

こちらは会員限定の記事です。
メールアドレスの登録で続きを読めます。
有料会員にはメリットがいっぱい!
  1. 毎月120本以上更新されるオリジナル記事で、人工知能から遺伝子療法まで、先端テクノロジーの最新動向がわかる。
  2. オリジナル記事をテーマ別に再構成したPDFファイル「eムック」を毎月配信。
    重要テーマが押さえられる。
  3. 各分野のキーパーソンを招いたトークイベント、関連セミナーに優待価格でご招待。
人気の記事ランキング
  1. We finally have a definition for open-source AI 「オープンソースAI」問題ついに決着、OSIが定義を発表
  2. Here’s how people are actually using AI カネにならない生成AIブーム、LLMはどう使われているか?
  3. The US physics community is not done working on trust 物理学界で繰り返される研究不正、再発防止には何が必要か
日本発「世界を変える」U35イノベーター

MITテクノロジーレビューが20年以上にわたって開催しているグローバル・アワード「Innovators Under 35 」。2024年も候補者の募集を開始しました。 世界的な課題解決に取り組み、向こう数十年間の未来を形作る若きイノベーターの発掘を目的とするアワードの日本版の最新情報を随時発信中。

特集ページへ
MITTRが選んだ 世界を変える10大技術 2024年版

「ブレークスルー・テクノロジー10」は、人工知能、生物工学、気候変動、コンピューティングなどの分野における重要な技術的進歩を評価するMITテクノロジーレビューの年次企画だ。2024年に注目すべき10のテクノロジーを紹介しよう。

特集ページへ
フォローしてください重要なテクノロジーとイノベーションのニュースをSNSやメールで受け取る