KADOKAWA Technology Review
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25年前、スパコンに負けた
元チェス王者が見抜いた
AIと人間の「終局」
Amrita Marino
知性を宿す機械 Insider Online限定
What the history of AI tells us about its future

25年前、スパコンに負けた
元チェス王者が見抜いた
AIと人間の「終局」

25年前、IBMが誇るチェス専用スーパーコンピューター「ディープ・ブルー」に負けたカスパロフは敗戦の中で、AIと人間の真の終局を見抜いていた。ディープ・ブルーはのちの深層学習革命によって駆逐されたが、学ぶべき教訓がある。 by Clive Thompson2022.03.03

1997年5月11日、チェスの世界チャンピオンであるガルリ・カスパロフはマンハッタンのエクイタブル・センター(Equitable Center)にある豪華な革張り椅子に座り、不安げに髪を撫でつけながら落ち着かずにいた。カスパロフは、IBMのスーパーコンピューター「ディープ・ブルー(Deep Blue)」との対戦における最終局を迎えていたのだ。それは、これまで均衡を保ってきた人間とコンピューターとの対決における、重要な一戦であった。カスパロフの戦況は芳しくなかった。彼は、序盤の失策による自責の念に駆られ、窮地に追い込まれていた。

通常、一流のチェス対局は最低でも4時間はかかる。だが、カスパロフは1時間も経たないうちに自分の運命を悟り、投了を宣言した。その後、チェス盤の上に身を乗り出して、ディープ・ブルーの開発に携わり、コンピューターの駒を動かしていたIBMのエンジニア、ジョセフ・ホーンと固い握手を交わした。

その後、カスパロフは椅子からよろめくように立ち上がり、観客席に向かって歩き出した。そして落胆した様子で肩をすくめた。この歴史的な瞬間について、カスパロフは後にこう語った。ディープ ・ブルーは「神のような手を指してきた」と。

人工知能(AI)に関心のある者にとって、このグランドマスターの敗北は、鐘の音のように響き渡った。ニューズウィーク誌はこの対戦を「頭脳による最後の抵抗」と呼び、別の見出しではカスパロフを「人類の守護者」と称した。AIが世界一強いチェスプレイヤーに勝利できたのなら、コンピューターがあらゆる分野で人間を追い越す日も近く、IBMがそれを先導するものと思われた。

もちろん、そんなことは起こらなかった。実際、25年後の今になって振り返ってみると、ディープ・ブルーの勝利はAIの勝利というよりも、ある種の弔いの鐘であったことがわかる。ディープ・ブルーは、膨大な量のコードを手作業で入力して作成する旧来のコンピューター知能の最高到達点であった。そしてやがて、別形態のAIであるニューラル・ネットワーク、特に「深層学習」と呼ばれる技術に取って代わられることになった。

ディープ・ブルーは、幅を利かせていたにも関わらず小惑星により絶滅に追い込まれた巨大な恐竜であった。一方、ニューラル・ネットワークは、生き残り、地球を変えていく小型哺乳類であった。しかし、AIが当たり前のように普及した現在でも、コンピューター科学者たちは、機械が本当に「思考」できるようになるかについて議論し続けている。そして、この問いへの答えが出るとき、ディープ・ブルーが真の勝者となるのかもしれない。

1989年、IBMがディープ・ブルーの開発に着手したとき、AIは低迷していた。AI分野は、大げさな喧伝と屈辱的な崩壊という目まぐるしい変容を幾度となく繰り返していた。1950年代の先駆者たちは、AIはすぐに大きな進歩を遂げると主張してきた。数学者のクロード・シャノンは、「10年か15年のうちに、SFのロボットからそれほどかけ離れていないものが研究室から生まれてくるだろう」と予言した。しかし、それは実現しなかった。発明家が失敗を繰り返すごとに、投資家は焦燥感を抱き、新規プロジェクトへの資金提供を中止した。こうして、「AIの冬の時代」が1970年代、そして1980年代にも到来した。

今になって理解できるのだが、当時のAI開発者が失敗した理由は、日常生活の乱雑さを純粋なロジックで処理しようとしたためだった。人間はそのように処理していると考えていたのだ。そのため、エンジニアはAIが下すべきあらゆる判断について、根気よくルールを書き出していた。

しかし、現実の世界は、そのような方法で管理するには、あまりにも曖昧で微妙であった。エンジニアたちは、精巧な傑作である、いわゆる「エキスパートシステム」を入念に作り上げ、それなりにうまく機能させていた。そう、現実が想定外の展開を突きつけるまでは。例えば、あるクレジットカード会社が、クレジットカード申請を自動承認するシステムを作ったとしよう。しかしそのシステムは、犬や13歳の子供にカードを発行していたことが発覚する。プログラマーは、未成年者やペットがカードを申し込むとは想定しておらず、そのような特別な事例に対応するルールを書いていなかったのだ。エキスパートシステムは、新しいルールを自ら学習することはできない。

手作業によるルールをもとにしたAIは「脆弱」で、想定外の事態に遭遇すると破綻してしまう。1990年代初頭には、エキスパートシステムによるトラブルで、またしてもAIに冬の時代が到来した。

「AIをめぐる多くの話題は、『よせよ、ただの誇大広告だろ』といったものでした」。こう述べるのは、シアトルにあるアレン人工知能研究所(Allen Institute for AI)の最高経営責任者(CEO)であるオレン・エツィオーニだ。エツィオーニCEOは当時、コンピューター科学の若手教授としてAI分野でのキャリアをスタートさせたばかりだった。

そのような冷笑のなか、ディープ・ブルーは奇妙なほど野心的な前人未到の計画として登場した。

このプロジェクトの発端は、カーネギーメロン大学でマレー・キャンベル、フェン・ホシャング・ス(許峰雄)らが開発したチェス対戦用コンピューター「ディープ・ソート(Deep Thought)」の研究であった。ディープ・ソートは非常に優秀で、1988年にはチェス用AIとしては初めてグランドマスターのベント・ラーセンを破った。カーネギーメロン大学のチームは、チェスの指し手を評価する優れたアルゴリズムを開発し、それを高速に処理するカスタムハードウェアも作成した。「ディープ・ソート」という名は、ダグラス・アダムスのSF小説「銀河ヒッチハイク・ガイド」に登場する馬鹿らしいほど謎めいたAIに由来する。このAIは、生命、宇宙、そして万物についての究極の疑問に対して「42」という答えを導き出した。

IBMはディープ・ソートの存在を知り、あらゆる人間に勝てる優れたコンピューターを開発するプロジェクト、「グランド・チャレンジ」の発足を決めた。1989年、IBMはスとキャンベルを雇い、世界最高のチェスのグランドマスターに勝利するよう依頼した。AI業界ではかつてより、チェスは思考能力を示す象徴となるとされてきた。純粋な思考の次元で二者が対峙するゲームであるからだ。もし、カスパロフを打ち負かすことができれば、新聞の見出しを飾ることは間違いないだろう。

ディープ・ブルー開発のために、キャンベルのチームはチェスの局面をより速く計算する新たなチップを作らねばならなかった。さらに、次の手を評価するアルゴリズム改良のために複数のグランドマスターを雇う必要があった。効率性は重要だった。チェスで考えうる盤面は、宇宙に存在する原子の数よりも多い。スーパーコンピューターであっても、しかるべき時間内にそのすべてを計算することは不可能だった。ディープ・ブルーは、チェスをするために、1手先を予測し、そこから可能な手を計算し、有望でないと思われる手を「枝刈り」し、有望な道をより深く進むという過程を何度も繰り返す。

「私たちは、5年かかると考えていましたが、実際には6年ちょっとかかりました」とキャンベルは述べる。1996年になると、IBMはようやくカスパロフと対戦する準備が整ったと判断し、2月に対戦を設けた。キャンベルのチームは必死になり、急いでディープ・ブルーを完成させようとした。「実際にその舞台に上がったとき、システムはまだ稼働して数週間しか経っていませんでした」とキャンベルは言う。

結果として、ディープ・ブルーは1勝したものの、カスパロフが3勝し対戦を制した。IBMは再戦を求め、キャンベルのチームはさらに1年かけて、より高速なハードウェアを開発した。改良が完了する頃には、ディープ・ブルーは30台のPowerPCプロセッサーと480個のチェス用カスタムチップで構成されていた。さらに、チェスの局面を解析する優れたアルゴリズムの開発のために、4、5人のグランドマスターを常時雇用していた。1997年5月、カスパロフとディープ・ブルーの再戦時には、コンピューターの処理速度は倍になり、1秒間に2億通りの手を評価できるようになっていた。

それでもまだ、IBMは勝利を確信していなかったとキャンベルは振り返る。「引き分けを期待していました」。

現実はさらに劇的なものだった。第1局ではカスパロフが優勢だった。しかし、第2局の36手目で、ディープ・ブルーはカスパロフが予想もしなかった手を指した。

カスパロフは、コンピューターが従来してきたチェスの指し方に慣れていた。それは、コンピューターの総当たり的に計算する能力から生まれたスタイルだ。コンピューターは短期的な戦術においては人間よりも優れている。ディープ・ブルーは数手先の最善手を容易に推測できた。

しかし従来のコンピューターは、何手も何手も先のゲームの形勢を考える戦略性を苦手としていた。その部分では、まだ人間が優位に立っていたのだ。

少なくともカスパロフはそう考えていた。第2局でのディープ・ブルーの一手に衝撃を受けるまでは。あまりに洗練された一手に、カスパロフの心に不安がよぎった。 …

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