インフルエンザにはあるのに、風邪にワクチンがない理由
インフルエンザの予防接種は受けるのに、普通の風邪から守る予防接種はなぜ存在しないのか? この素朴な疑問の背後には、科学者たちが何十年も格闘してきた難題がある。 by Jessica Hamzelou2025.11.05
- この記事の3つのポイント
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- 風邪の原因ウイルスは約280種類と多様で、年間を通じて流行するため開発が困難
- 軽症で自然治癒するため優先度は低いが、米国だけで年400億ドルの経済損失が発生
- 風邪ワクチンを開発中の研究チームもあり、実現可能性への希望が示されている
北半球に住む私たちにとって、鼻をすする季節がやってきた。天候が変わるにつれ、屋内で過ごす時間が増えている。子どもたちの夏休みが終わって数カ月が経った。そして風邪の病原体はいたるところに潜んでいる。
我が家の末っ子が今年から学校に通い始め、学校で描いた絵や植えたばかりの苗木と一緒に、家族全員に感染する厄介なウイルスも持ち帰ってくるようになった。私の顔に向かって娘は100回くらいは咳をしただろうか。そのとき、冬の終わりのない病気のサイクルを止めるために何かできることはないかと考え始めた。1カ月前にインフルエンザの予防接種を受けたのに、なぜ普通の風邪から守る予防接種はないのだろう?
科学者たちは何十年もこの問題に取り組んできた。とはいえ、風邪のワクチンを作ることは、非常に困難だと判明している。本当に困難なのだ。
しかし不可能ではない。まだ希望はある。説明しよう。
厳密に言えば、風邪とは鼻や喉に影響を及ぼす感染症であり、くしゃみ、咳、そして全身のだるさといった症状を引き起こす。風邪は、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のような特定のウイルスによって定義される感染症とは異なる。
それは、風邪を引き起こすウイルスが非常に多岐にわたるためである。ライノウイルス、アデノウイルス、さらには季節性コロナウイルス(すべてのコロナウイルスがCOVID-19を引き起こすわけではない)も含まれる。これらのウイルス・ファミリーの中には、さらに多くの異なる種類(型)が存在している。
たとえば、ライノウイルスは、ほとんどの風邪の原因と考えられている。これらはヒトに特化したウイルスであり、進化の過程でヒトに感染しやすくなり、鼻や気道で急速に増殖して発症するよう完全に適応してきた。英国インペリアル・カレッジ・ロンドンの分子免疫学者、ゲイリー・マクリーン博士によれば、ライノウイルスには約180種類の異なる型があるという。
さらに他の風邪ウイルスも考慮に入れると、全体でおよそ280種類の型が存在することになる。つまり、娘が私の顔に浴びせた咳の背後には、約280ものウイルスの可能性があるということだ。これらすべてに対するワクチンを開発するのは非常に困難であることが容易に理解できるだろう。
2番目の課題は、これらのウイルスが常に蔓延しているという点である。
科学者たちは、インフルエンザウイルスや新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)のワクチンを、当時流行している株に合わせて調整している。インフルエンザの流行期が始まる数カ月前に、世界保健機関(WHO)は各国に対し、ワクチンで標的とすべき株について助言する。北半球に向けた初期の勧告は、南半球で流行している株に基づいて出されることが多く、その逆も同様である。
しかしその方法は、マクリーン博士によれば、風邪には通用しない。なぜなら、風邪を引き起こす何百ものウイルスが、年間を通じて常に流行しているからである。
とはいえ、風邪のワクチン開発を試みた人がいなかったわけではない。1960年代から1970年代にかけて関心が高まり、科学者たちは風邪ワクチンの開発に真剣に取り組んだ。残念ながら、それらはすべて失敗に終わった。そして、それ以来目立った進展は見られていない。
2022年にある研究チームが、それまでに発表されたすべての風邪関連研究を精査した。その結果、臨床試験として認められたのは、1965年に実施されたたった1件の研究のみであった。
それ以降、関心は確実に低下している。そもそも、風邪のワクチン開発に労力を費やす価値があるのか疑問視する声もある。というのも、ほとんどの風邪は治療を必要とせず、1〜2週間以内に自然に治癒することが多いからである。私たちがより注力すべき、はるかに危険なウイルスは他に多数存在する。
また、風邪のウイルスは確かに変異し進化するが、それらが次のパンデミックを引き起こすと考えている人はいないとマクリーン博士は述べている。これらのウイルスはヒトに軽度の疾患を引き起こすように進化してきており、その進化戦略は長年にわたり成功してきた。一方で、インフルエンザ・ウイルスは重篤な病気や障害、さらには死を引き起こす可能性があり、風邪ウイルスに比べてはるかに大きなリスクをもたらす。そのため、より多くの注意を払う価値がある。
それでも風邪は依然として厄介で、日常生活を妨げ、健康に影響を及ぼす可能性がある。ライノウイルスは、ヒトの感染症の主な原因と考えられており、子どもや高齢者では肺炎を引き起こす可能性がある。さらに、医療機関の受診費、薬代、欠勤による損失を合計すると、風邪による経済的損失は非常に大きい。2003年の研究によれば、米国だけで年間400億ドルにのぼるとされている。
だからこそ、風邪ワクチンに関してすべての希望を捨てる必要はないというのは心強い。一部の科学者は確実に前進している。マクリーン博士らの研究チームは、喘息や肺疾患を持つ人々の免疫システムを風邪ウイルスに備えさせ、防御力を高める方法に取り組んでいる。また、エモリー大学の研究チームは、ライノウイルスのおよそ3分の1からサルを保護する効果を持つワクチンを開発した。
とはいえ、実現にはまだ長い道のりがある。少なくとも今後5年間で風邪ワクチンが実用化されると期待するべきではない。「我々はまだその段階には達していません」と、米ワシントン州シアトルにあるフレッド・ハッチがんセンター(Fred Hutch Cancer Center)の感染症研究者、マイケル・ベック博士は述べている。「しかし、いつか実現するかもしれません。その可能性は十分にあります」。
Zoom(ズーム)での通話の終わりに、鼻をすすりながら風邪で具合が悪く(そう、結局娘の風邪がうつったのだ)、落胆したような私の表情を読み取ったマクリーン博士は、「十分前向きな話だったでしょうか?」と尋ねてきた。彼はかつては風邪ワクチンについてもっと楽観的だったことを認めたが、希望は捨てていない。詳細は明かさなかったが、現在、ヒトを対象とした有望な新しいワクチンの臨床研究を進めているという。
「風邪のワクチン開発は実現可能です」とマクリーン博士は言った。
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- ジェシカ・ヘンゼロー [Jessica Hamzelou]米国版 生物医学担当上級記者
- 生物医学と生物工学を担当する上級記者。MITテクノロジーレビュー入社以前は、ニューサイエンティスト(New Scientist)誌で健康・医療科学担当記者を務めた。
