KADOKAWA Technology Review
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ゴールまで60センチの悲劇
火星サンプルリターン計画は
なぜ軌道から外れたのか?
Xinmei Liu
宇宙 Insider Online限定
America was winning the race to find Martian life. Then China jumped in.

ゴールまで60センチの悲劇
火星サンプルリターン計画は
なぜ軌道から外れたのか?

月へ向かうアルテミス2号が世界の注目を浴びる陰で、NASAのもう1つの野望が息絶えようとしている。50年をかけて準備した火星サンプル・リターン計画の資金は打ち切りとなり、生命の痕跡を示す可能性のある岩石は火星に取り残されたままだ。「ゴールラインまで60センチのところで任務を完遂できない」と科学者は嘆く。 by Robin George Andrews2026.04.03

この記事の3つのポイント
  1. NASAの火星探査車パーサビアランスが2024年7月に発見した岩石は、地球外生命の痕跡である可能性を示す最も有力な手がかりとなった
  2. 火星サンプル・リターン計画は費用が110億ドルに膨張、完了時期も2040年代に延期され、2026年予算は配分されず事実上ストップに
  3. 中国が2031年に火星サンプルを地球に持ち帰る計画を発表し、米国は地球外生命発見競争で首位の座を明け渡す可能性が高まった
summarized by Claude 3

多くの人にとって、岩石はただの岩に過ぎない。しかし地質学者にとって、それははるかに重要な存在だ。結晶が詰まったタイムカプセルであり、形成されたまさにその瞬間の惑星の状態を明らかにする力を持っているのだ。

米国航空宇宙局(NASA)は数十年にわたり、他に類を見ないタイムカプセル探しを続けてきた。火星に広がるタイムカプセルである。

NASAの探査車は、数十億年前には川や湖、そしておそらくは海や大洋さえも存在していたものの、今では悪夢のような黄土色をした砂漠を巡ってきた。そして、「かつて火星の地表には微生物が這いずり回っていたのか?」という重大な疑問の答えを見つけようとしてきた。

2024年7月、火星にやって来てから3年あまりを経て、探査車「パーサビアランス(Perseverance)」は奇妙な岩の露頭を発見した。普通の結晶や堆積層ではなく、この岩には斑点があった。実際には2種類の斑点があった。1つはケシの実のような斑点、もう1つはヒョウの斑紋を思わせるものだった。ありふれた化学反応が、こうした奇妙な特徴を生み出した可能性もある。しかし地球上では、こうした痕跡はほぼ例外なく微生物の活動によって形成される。

なんてことだ、というのが率直な思いだ。

確かに、これらの斑点は地球外生命の決定的な証拠ではない。しかし、宇宙において生命が地球だけのものではない可能性を示す、これまでで最も有力な手がかりとなる。そして、最も根本的な問いである「我々は孤独なのか?」に、まもなく答えが出るかもしれないことを意味していた。「もし答えが出れば、人類の歴史が覆ります」と、惑星探査・防衛および地球外生命探査を推進する非営利団体「惑星協会(Planetary Society)」で宇宙政策責任者を務めるケーシー・ドライアは言う。

しかし、これらの種や斑紋のような模様が地球外生命の化石化した痕跡であるかどうかを確認する唯一の方法は、その岩石のサンプルを地球に持ち帰り、研究することだ。

パーサビアランスは、まさにその実現を目的とした、言うなれば「宇宙での強奪」を成し遂げるための野心的な計画の第一段階だった。米国と欧州が共同で計画した「火星サンプル・リターン(MSR)」と呼ばれるこのミッションは、ルーブ・ゴールドバーグ風のロボットを次々と火星に送り込み、(地球の微生物や物質が混じっていない)未汚染の岩石を採取するというものだ。探査車の役割は、最も(生命の痕跡が)有望な岩石の発見とそのサンプル採取である。そして、それをゲッタウェイ・ドライバーという別のロボットに渡し、火星から持ち出して地球へ届ける。

しかし、わずか1年半余りが経過した今、このプロジェクトは瀕死状態にあり、2026年には予算はまったく配分されず、議会の支持もほとんど得られていない。その結果、あの有望な岩石は永遠に火星に取り残されることになるかもしれないのだ。

「私たちは50年かけて、これらのサンプルを持ち帰る準備をしてきました。いつでもできる状態です」と、NASAと緊密に連携するアリゾナ州立大学の惑星科学者フィリップ・クリステンセン特別教授は語る。「いま、ゴールラインまで60センチメートルのところですが、残念ながら任務を完遂できません」。

このことはまた、地球外生命の証拠を探す競争において、米国が事実上、最大の地政学的ライバルである中国に首位の座を明け渡したも同然なことを意味する。中国は独自のMSRを全力で推進している。それは米国と欧州の計画よりも簡素で、火星から採取する岩石サンプルの品質も劣る可能性が高い。しかし、人々の記憶に残る見出し、つまり科学誌や歴史書に載るような見出しはそんなことではない。「このままのペースで進めば、彼らが私たちより先に成し遂げる可能性が非常に高いでしょう」とクリステンセン特別教授は嘆く。「最初に成し遂げることこそが重要なのです」。

もちろん、地球外生命の発見は、その発見者が誰であろうと、人類の知識を大きく前進させる。しかし、すでに熱を帯びている国家間の競争には、プライドという小さくない問題が絡んでいる。また、言うまでもなく、米国の多くの科学者や議員は、将来の研究や科学の進歩が外国に主導権を握られ左右されることを必ずしも望んでいない。地球外微生物の発見を特に気にしていない人たちにとっても、MSRや中国の類似ミッションは、イーロン・マスクだけでなく多くの人が長年抱いてきた夢、つまり宇宙飛行士を火星に送り込み、最終的には、そこに宇宙飛行士が滞在できる長期基地を建設するという目標に向けた技術的な足掛かりとなる。ライバルがすでに拠点を構えた後に、ようやく火星に降り立ったり、そもそもそこに到達できなかったりすれば、大きな痛手となるだろう。

「もしMSRを完遂できないなら、どうやって人間を火星に送り込み、無事に帰還させるというのでしょうか?」と、コロラド州ボルダーにあるサウスウエスト研究所(Southwest Research Institute)の惑星地質学者で、NASA傘下の火星探査プログラム分析グループの議長も務めるビクトリア・ハミルトン博士は話す。

セントルイス・ワシントン大学の惑星科学者ポール・バーン准教授も、「人類を火星から帰還させるなら、まずサンプルを持ち帰る方法を考え出さなければならないのは間違いありません」と話す。

米国と中国の十数人のプロジェクト関係者や科学者たちが、米国が新たな宇宙開発競争で優位を失った経緯を語ってくれた。それは、壮大な夢と有望な発見に満ちている一方で、管理の不手際、目を疑うほどの費用、そして究極的には怒りと失望を伴っていた。

「私はキャリアの大半を火星の研究に費やしてきました」とクリステンセン特別教授は言う。火星には、彼を魅了するものが数えきれないほどある。しかし、火星を調査することで、生命の起源をめぐるホメロス的な探求が、これまで以上に深まるだろうと彼は考えている。

確かに、現在の火星は世界終末後のような荒廃地であり、致死的な放射線に覆われた乾燥した寒冷な砂漠である。しかし数十億年前、穏やかな空の下で噴火する灼熱の火山の斜面に水が打ち寄せていた。その後、火星内部は急速に冷却され、すべてが変わった。火星全体の磁場は風船の空気が抜けるように崩壊し、太陽によって保護層である大気が剥ぎ取られた。

火星の表面は現在、私たちが知る生命にとって著しく過酷な環境となっている。しかし、宇宙から遮断され、より暖かく湿潤な地下深くには、微生物がゆっくりと動き回っているかもしれない。

科学者たちは長年にわたり、地球に落下してきた火星隕石を複数保有してきたが、どれも純粋なままの状態ではなかった。それらはすべて、地球に至るまでの過程で宇宙放射線によって損傷を受け、その後地球の大気圏で焼け焦げになっている。さらに、別の問題もある。「現在、火星由来の堆積岩、つまり化石を含む可能性のある岩石は地球にありません」と、ロンドン自然史博物館(London’s Natural History Museum)の惑星科学者サラ・ラッセル教授は話す。

それらの岩石を手に入れるには、人間(あるいはロボット)が火星の地上に降り立つ必要があるのだ。

50年前の1976年に2機のバイキング(Viking)着陸船が火星に着陸したことで、NASAはSF映画の世界を初めて現実のものとした。その実験の1つは、放射性標識を施した栄養素を土壌サンプルに投下することだった。もし微生物がいれば、それらが栄養素を貪り食い、着陸船が検知可能な放射性廃棄ガスを放出するだろうと考えたのだ。興味深いことに、この実験は微生物のような何かが栄養素と相互作用している可能性を示唆したが、結果は決定的なものではなかった(そして今日では、生物が原因だったとはほとんどの科学者が考えていない)。

それでも、火星に生命が存在する真の可能性について、科学者たちの好奇心を高めるには十分だった。その後数十年にわたり、米国は火星に次々とロボットを送り込み、軌道を周回する探査機、着陸機、探査車(ローバー)など、その数は増え続けた。しかし、彼らがどれほど熱心に第二の地球の岩石を研究したとしても、それらロボットは生命の痕跡を決定的に検出できるようには設計されていなかった。そのためには、有望と思われる岩石を採取し、何らかの方法で厳重に密封された容器に入れて地球の研究所へ持ち帰る必要があった。

このミッションは、NASAの要請で実施された最初の「惑星科学10年計画調査(Planetary Decadal Survey)」の発表を受けて、2003年に米国の惑星科学コミュニティにおける最優先課題となった。このミッションの科学的意義は、生命の痕跡を発見できるとは思っていなかった人たちにとってさえも明白であった。「火星には生命は存在しないと思います。しかし、もし生命が存在する、あるいは存在していたとしたら、それは非常に重要な発見となるでしょう」とクリステンセン特別教授は話す。そして、存在しない場合でも、「なぜいないのか?」という疑問が残る。

クリステンセン特別教授はこう付け加えた。「生命が火星で誕生しなかった理由を理解することで、地球に生命が誕生した理由をより深く理解できるかもしれません。この2つの惑星の決定的な違いは何だったのでしょうか?」

そうしてMSRが誕生した。米国はこれに全力を傾け、欧州宇宙機関(ESA)もチームに加わった。それから10年ほどかけて、複雑な計画が練り上げられた。

まず、NASAの探査車が火星でかつて生命が住み得る環境だった場所に着陸する(後にイェゼロ・クレーター=Jezero Craterに決定)。探査車は縦横無尽に動き回り、湖底や河床で見られるような層状の岩石を探し、ドリルで岩石を円柱状にくり抜き中核(コア)を採取して密閉容器(サンプル・チューブ)に保管する。次に、2機目のNASAの探索機が火星に着陸し、探査車のサンプル・チューブを(複数のいずれかの方法で)受け取り、そのサンプルを火星軌道に打ち上げるロケットに移送する。軌道上では、欧州が提供する周回機が、このロケットを野球のグローブのようにキャッチした後、地球に帰還して「EES(地球突入システム)」という頑丈なカプセルに守られた岩石を大気圏に投下する。カプセルはパラシュートで誘導され、待ちわびる科学者たちの元へ届けられる。遅くとも2030年代半ばまでには実行される予定だった。

「簡単に言えば、これは火星で過去の生命の痕跡を探すのに最も有望な場所の1つで実施される、科学的に可能な限り最も綿密なサンプル採取ミッションです」と、カリフォルニア州にあるNASAのジェット推進研究所(JPL)の主任科学者ジョナサン・ルニーンは語る。「そしてもちろん、堆積物から生命の証拠が見つかれば、それは歴史的な発見となるでしょう」。

ミッションは幸先の良いスタートを切った。2020年7月30日、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のパンデミックの渦中、NASAの探査車パーサビアランスが、フロリダ州ケープカナベラルからロケットに搭載され打ち上げられた。NASAのジム・ブライデンスタイン長官(当時)は言葉を飾ることなく、「我々は今、未曾有の事態に直面しています。それでも我々は文字通り忍耐強く取り組み、このミッションを守り抜いてきました。それほど重要なものだからです」と記者団に語った。

しかし、その同じ月の初め、火星探査ミッションは熾烈な競争へと変貌を遂げていた。中国が、独自のサンプル・リターン用探査機の準備を進めていたのだ。

そして、その頃を境にMSRの運命は崩れ始めた。

中国は競争力のある宇宙計画の開発においては比較的後発だったが、一旦動き出すと、時間を無駄にしなかった。2003年には、自国製の特注ロケットで初めて宇宙飛行士を宇宙に送り込んだ。それから20年、中国は独自の宇宙ステーションを打ち上げ、月の女神にちなんで名付けられた「嫦娥(じょうが)計画」の一環として、複数 …

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