KADOKAWA Technology Review
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「作らない」電池材料会社は
スタートアップの墓場で
成功できるのか?
Buck Squibb
カバーストーリー Insider Online限定
This Startup Developed a Promising New Battery Material—and a Novel Survival Strategy

「作らない」電池材料会社は
スタートアップの墓場で
成功できるのか?

ガソリン車から電気自動車への移行や再生可能エネルギーの普及を追い風に、蓄電池産業は将来性が約束されているにも変わらず、多くのスタートアップ企業が倒産や事業撤退を余儀なくされてきた。90年代にソフトウェア業界で成功を収めたケナン・サヒンは、電池材料のスタートアップ企業を「作らない」戦略によって成功させようとしている。 by James Temple2017.12.08

テクノロジー企業が多数集まるボストンの環状線上に本社を構えるエネルギー技術開発企業「ティアックス(Tiax)」の研究所の中を、ケナン・サヒンが歩いて行く。小さなベージュ色の部屋で、サヒンは一列に並んだ小さなマッフル炉(熱源の燃焼ガスや火炎を直接試料に接触させないために、耐火物の隔壁を備えた加熱炉)を指差した。ティアックスの研究者は、マッフル炉を使って混合金属材料を熱し、微妙に配合を変えたさまざまなニッケル系正極を作り出している。サヒンはニッケル系正極が、リチウムイオン電池のエネルギー密度やサイクル寿命、価格を改善すると信じている。

もしサヒンが正しければ、めったにない電池材料の進歩が実現し、電気自動車を市場の主流に押し上げるかもしれない。技術革新プロセスに対して辛抱強く緻密なアプローチをとり、15年という時間と数千万ドルにのぼる私財を投じたサヒンの成果である。

75歳のサヒンは、自己資金で設立した課金ソフトウェア企業ケナン・システムズ(Kenan Systems)を、1999年に15億ドルでルーセントに売却したことでよく知られている。それ以来、サヒンは多くの時間と資金を使って、黙々と電池技術の開発に取り組んできた。有望な技術進歩を生みだし、厳しい環境技術系スタートアップの市場をひっくり返すために、サヒンは2002年、ティアックスを設立した(「蓄電池ベンチャーが 成功できないこれだけの理由」参照)。

(全面開示事項:ルーセントへの売却後、サヒンはマサチューセッツ工科大学(MIT)に1億ドルを献金した。サヒンはMIT理事会の終身名誉会員である。MITはMIT Technology Reviewを所有している。)

ティアックスは設立当初から正極材料の開発をしてきた。この春、ティアックスは、ステルスモード(社外秘)で運営していたCAMXパワー(CAMX Power)を子会社として独立させることを発表した。サヒンは、運輸セクターを一変する一番の近道は、電気自動車の動力となる電池の電極(特に正極)の性能を向上させ、蓄電池コストを削減し、走行距離を伸ばすことだと布教して回っている。「電気自動車の駆動には正極材料が重要です」。16歳のとき、交換留学生として米国に渡ったサヒンは、その当時から残るわずかなトルコなまりでそう話す。

CAMXのテクノロジーと同じくらい注目すべきなのは、その市場生存戦略だ。正極粉末そのものを作る代わりに、CAMXは世界最大の化学企業ジョンソン・マッセイ(英国)とBASF(ドイツ)に委託して、電極材料を生産、販売することにしたのだ。これまで多くの蓄電池スタートアップが多額の設備投資をすることに取りつかれてきたが、CAMXはそれを避ける戦略をとる。そのためCAMXは正極技術の研究に集中できるわけだ。

たとえスタートアップ企業が技術革新を遂げたとしても、蓄電池産業への参入は大きな挑戦だ。新しい材料や部品を市場に投入するには、供給業者や製造業者、そして顧客は戦略を変更しなければならず、莫大な先行投資も必要となる。CAMXにとって本当の試練は、電池メーカーや自動車メーカー、エレクトロニクス企業が、最終的に新材料を確実に導入するかどうかどうかなのだ。

開発待ちの技術革新

サヒンは1969年にMITスローン経営大学院で博士号取得し、その後も数年間大学で研究を続けた。だが1982年、自身の研究対象だったエキスパートシステムとデータ処理の商業化を決心し、個人資金の1000ドルでケナン・システムズを設立した。

最終的にケナン・システムズは、通信や銀行などの主要企業向け取引システムを構築し、通信機器大手ルーセント・テクノロジーの目に留まった。その後数年間にわたり、サヒンはかの有名なルーセントのベル研究所の研究部門でソフトウェア技術の責任者を務めた。この間、サヒンは学術研究と民間産業の間には根本的な断絶があると考えるようになった。企業が研究開発施設を取り壊し、ベンチャーキャピタリストがリスクをとることを嫌うようになったため、サヒンが言うところの「開発待ちの技術革新」が積み上がったのだ。

ケナン・システムズを売却して3年後、サヒンは当初から考えていた有望なアイデアを補強するため、かつて著名だったコンサルティング会社アーサー・D・リトルのテクノロジー部門を1650万ドルで買収し、新しく設立したCAMXを始動させた。買収後、ニューヨーク・タイムズ紙のインタビューで「多くのすばらしい発明が停滞していることにもどかしさを感じています」とサヒンは話している。

現在も状況は悪化しているだけだという。

とりわけ、米国でのイノベーションの停滞問題は根深く、立ち上げ期の蓄電池スタートアップの成長が阻害されているとサヒンは考えるようになった。オンライン・ビジネスであれば大抵、短期間かつ低コストでディスラプション(変革のための破壊)が起きる。だが、新しい企業が開発に何年も費やし、製造コストが高く、昔ながらの既存企業が幅を利かせるエネルギー分野 …

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