KADOKAWA Technology Review
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「科学」対「国家」
中国科学技術大学と
ある中国人一家三代の物語
Family photo / USTC
カバーストーリー Insider Online限定
Science vs. the state: a family saga at the Caltech of China

「科学」対「国家」
中国科学技術大学と
ある中国人一家三代の物語

中国科学技術大学(USTC)は中国の中でも特異な歴史を持つエリート大学だ。USTCに親子3世代に渡って関わった中国人一家の物語が伝える、国家と科学の板挟みになっている中国の科学者の葛藤。 by Yangyang Cheng2019.03.07

2005年の残暑の厳しいある日。私は快適に空調が効いた満員の大講堂に座って、大学の担当者が2009年度卒生たちの入学を歓迎するスピーチを聞いていた。「みなさん、おめでとうございます。よく『金持ちは北京大学に行き、貧乏人は精華大学に行く。死ぬほど働くつもりの人は中国科学技術大学(USTC:University of Science and Technology of China)に行く』と言われます」。

私たちは笑い出した。もし北京大学が中国のハーバード大学で、精華大学が中国のマサチューセッツ工科大学(MIT)なら、中国科学技術大学は大学のコンパクトさと科学・工学への高度集中から「中国のCaltech(カリフォルニア工科大学)」として知られている。私はUSTCに入学できたことを誇らしく思っていた。しかし、このスピーチの後で全員が立ち上がって大学の校歌を歌ったとき、歌の終わりの訓戒的な歌詞の部分「常に人民から学ぶ。偉大な指導者、毛沢東(マオ・ツォートン)から学ぶ!」で、大学への誇りが気まずさに変わってしまった。

毛沢東の名前を聞いたおかげで後味が悪かった。私は国の政策のために自分の望む職業選択ができなかったことを思い出したのだ。法治国家でなければ法律家にはなれない。出版・報道の自由がなければジャーナリストにはなれない。民主的選挙がなければ、政治家にはなれない。だから、私は政治的コネがなくても、資金がなくても、成績さえ優秀な学生であれば選べる道を選んだ。科学を勉強するためにUSTCに入学したのだ。

校歌の歌詞のせいで、私や同級生たちはしばしば考え込むことになった。科学の研究は祖国に仕えるものでなければならないのだろうか、それとも知の探究は愛国主義を超越したものだろうか?

USTCの研究者たちは何世代にもわたって、この疑問に答えを出そうとしてきた。USTCは1970年に打ち上げられた中国初の人工衛星と、2016年に打ち上げられた世界初の量子通信衛星の両方を産んだ。USTCは中国初のシンクロトロン粒子加速器の本拠地だが、間もなく数十億ドルかけて新たに量子科学センターができる予定だ。これまで何十年もの間、大学と学生は折に触れてUSTCの科学的名声に物を言わせ、学問的な自由と政治的独立性を守ってきた。

しかし、USTCの近年の飛躍の歴史が示すとおり、中国において科学が最も繁栄するのは、それが国家に貢献している場合だ。現在私は米国に住み、働いている。この記事を書くために、たくさんの旧知の学友や現在のUSTCの研究者たちと話した。これから述べるUSTCの話を読んでもらえば、科学が中国の独裁政治を超越しようとする試みには限界があることが分かるだろう。

この記事は私の家族の3代にわたる歴史でもある。

苦難の歴史

USTCは1958年に立てられたばかりの原子力計画、宇宙計画に対する科学者の養成を目的に北京で創立された。中国の科学エリートたちが教授に抜擢された。初期の教授の1人、方励之(ファン・リーヂー)が物理学の教授として赴任してきたのは、彼が政治的に見て原子爆弾の開発について率直に話しすぎると指摘された後だった。「実は夫はUSTCへの赴任を喜んでいたのです! 殺人兵器の開発はしたくないと言っていました」と方教授の未亡人、李淑嫻(リー・シュシィェン)は私に話してくれた。

1966年に文化革命が起こると、科学は邪教、知識は反革命的だとされた。学校は閉鎖され、蔵書は焼き払われた。

USTCが国家防衛に中心的な貢献を果たしていても、大学を守るのにはほとんど役に立たなかった。USTCは文化革命が最も盛んだった1969年に北京から追い出された後、新たな本拠地を探すべく苦心した。知識人のグループがやってくるのを歓迎する町はなかった。最終的に大学を受け入れた安徽(アンフゥイ)省は最貧の地方の1つだったが、そこに至るまでに多くの省が食料不足を言い訳に受け入れを断った。大学の学部は安徽省のさまざまな場所に散らばって再建された。最も独立心の強い学生がいると知れ渡っていた現代物理学部は遠隔地の軍事農場に飛ばされた。「中国のロケットの父」として知られる銭学森(チィェン・シュェセン)が運営する近代力学部(Modern Mechanics)だけが唯一、省都の合肥(ホーフェイ)に置かれた。

これがUSTCと私の家族の運命が最初に交差したときだった。

私の祖父はその10年前に合肥に引っ越して安徽省の共産党学校で教えていた。文化大革命の熱狂が収まると、1972年にUSTCでの授業が部分的に再開された。政治的圧力にも関わらず、方教授は中国初の天文物理学グループをUSTCに設立した。1973年には私の祖父がUSTCの小規模な人文・社会科学部の教員になり、彼は生涯そこで経済学を教えた。

祖父が文化革命について語ったのは「強制労働に送られた。誰もが肉体労働をしなければならなかった」ということだけだった。祖父は政治に関心を持たなかったお陰で、最悪の事態に会わずに済んだ。祖父の同級生で、(祖父より)もっと政治に関りを持ち、はっきり発言した者たちは過酷な運命に遭った。「彼らは全員死にました。全員が死ぬまで拷問を受けて」と方教授の未亡人は当時を思い出し、中国の近代科学の基礎を築いた先覚者たちの名前を挙げた。「趙九章(ヂャオ・ジゥヂァン、気象学者)は死にました」「葉企蓀(イェ・チースン、物理学者)も死にました」「私に統計力学を教えてくれた王竹溪(ワン・ヂュシー、物理学者)も死にました。銭学森だけが普通に暮らせました」。

1976年の毛沢東の死後、中央政府は科学技術分野を緊急に立て直さなければならない必要性を感じ取った。1977年に中国で大学への通常の入学が再開されると、USTCには学生を選択する最優先権が与えられた。学生の願書がどこの大学を希望していようと、科学分野で最高の成績を持つ学生はUSTCに入学させられた。

「USTCはお金がほとんどなく、振り返ってみると学生の待遇は非常に悪いものでした」。当時の学生で、現在USTCの上級物理学者はこう話す(彼は海外の雑誌に話したことが中国国内に伝わることを恐れ、匿名を条件に話してくれた)。寮の狭苦しい部屋1つにつき7人の学生が住んでいた。この物理学者は、ほとんどの同級生と同様、文化革命の間、若い時期の何年も農場や工場で働いて過ごしたが、とにかく学校に戻って勉強をしたいと願っていた。「私たちは歩いている間も本を読んでいました。食べ物を手に入れるため行列しているときも本を読んでいました。毎日、空が白むころまで、街灯の下で英語の本を読んでいる学生が何人もいました」。

1980年代初め、鄧小平(ドン・シェンシン)が権力を掌握するころには、方教授は政治的な復権を得ていた。方教授は1984年にUSTCの上級副学長にな …

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