宇井吉美:「介護したくなる」社会を目指す排泄センサー起業家の現在
abaの創業者兼CEOの宇井吉美は、排泄センサー「ヘルプパッド」の国内外での普及を進めるとともに、介護に関わるすべての人の願いを受け止め、叶えていく新たな挑戦を始めている。 by Yasuhiro Hatabe2026.03.26
aba(アバ)の創業者兼CEO、宇井吉美は、においで排泄を検知するセンサー「Helppad(ヘルプパッド)」を開発し、介護職の排泄ケアを支えてきた。その取り組みが評価され、2021年に「Innovators Under 35 Japan(35歳未満のイノベーター)」の1に選ばれた。
宇井は10代の頃、うつ病と診断された祖母と同居していたの介護に携わった。祖母がつらそうにしていても、何をすればいいのか分からなかった。その無力感が、テクノロジーで介護を変えたいという思いに変わり、千葉工業大学に進む原動力になった。介護現場を知るために受けた実習先で、ある介護職員から「おむつを開けずに中が見たい」と言われたことが、排泄センサー開発の出発点となった。
介護の現場で「分からない」をなくす──それが、社名の「aba(Awakened Bunch Activity=未来に対して何をすべきか分かっている者たち)」に込めた思いであり、宇井の一貫したテーマだ。あれから15年以上。その取り組みは1つのセンサー製品にとどまらず、介護をめぐる世界を変えようとする挑戦へと発展している。
センサー方式を刷新、ヘルプパッド2の技術革新
2023年10月、abaは初代ヘルプパッドを大幅に改良した「ヘルプパッド2」の販売を開始した。最大の変化は、においの検知方式を刷新したことにある。
初代ヘルプパッドは、シートの下に通したチューブを使いポンプで空気を吸引し、ベッド横に設置したセンサーににおいを送って排泄を検知する仕組みだった。当時のガスセンサーはサイズが大きく、熱を持ちやすかった。そのため利用者の体の下には置けず、空気を吸い込んでにおいをセンサーまで運ぶ設計にした。
しかしこの方式には、おむつの外に尿や便が漏れた場合に空気と一緒に吸い込んでしまう問題があった。ヘルプパッド2では空気の吸引をやめ、MEMS(微小電気機械システム)技術の進歩によって小型化・低発熱化したガスセンサーを、シートの中に直接埋め込む方式に変えた。
そのきっかけは、実はヘルプパッドとは別の研究開発から生まれたのだという。車いすでも使いたいという現場の声に応えるべく、abaは車いす向けの排泄センサーの開発を進めていた。車いす上ではバッテリー駆動が前提となり、消費電力の大きいポンプは使えない。そこで小型化・低消費電力化を模索した結果、センサーをシートに直接埋め込む方式を採用した新生ヘルプパッドが生まれたという。
ヘルプパッドの特徴の1つが、におい検知技術の核心がハードウェアではなくソフトウェアにある点だ。センサー自体はエアコンや空気清浄機にも使われる汎用品だが、排泄の有無や尿と便の識別を可能にしているのは、クラウド上の独自AIアルゴリズムである。センサーの素子ににおい物質が付着し離れていく際のにおい物質の変化量を、温度・湿度のデータと組み合わせて解析することで、排泄パターンを判別する。人ごとにチップを変えるわけにはいかないからこそ、ソフトウェア側で個人差に対応できることが強みになっている。
国内1000台を突破、アジアへの展開も
ヘルプパッドの普及は着実に進んでいる。ヘルプパッド2の発売から約1年で累計出荷台数は1000台を突破し、現在、導入施設は150カ所を超えた。特別養護老人ホームを中心に、全国40以上の都道府県で利用されている。
製品の導入にとどまらない支援体制の構築も進んだ。ヘルプパッド2の発売に合わせてカスタマーサクセス部を新設し、排泄データをもとに、利用者1人ひとりに最適なおむつ交換のタイミングを介護職員と一緒に検討する伴走型の支援を提供している。「センサーを入れれば終わりではない。データを見ながら、その方にとって一番いいタイミングを一緒に探していく」と宇井は話す。この現場での知見の蓄積は、将来的に、要介護者の生活リズムに合わせた介護スケジュールを自動提案するシステムの開発につながる布石でもある。
海外からの引き合いも増えている。シンガポールでは輸出に必要な認証を取得し、中国、韓国、台湾からも関心が寄せられている。宇井によると、アジア各国の介護現場は20〜30年前の日本に近い状況にあるという。人手が多い分、3時間おきに一律でおむつをチェックするといったやり方が主流で、空振り(排泄していないのにおむつを開けること)や漏れが頻発している。おむつを使う限り、排泄ケアの課題は国境を問わない──今後、高齢化の進展とともに各国でも介護の担い手の確保が課題になっていくとみており、日本で培ったノウハウが、そこで生きると考えている。
願いをつぶやくことすらできない現場で
宇井にはずっと忘れられない場面がある。ある夜、介護施設を訪問した際、親しくしていた介護職員から外出レクリエーションの企画書を見せてもらった。予算から人員配置まで丁寧に練り込まれていたが、「誰にも言うつもりはない」と職員は言った。人手不足で月に10日ほど夜勤に入る状況では、イレギュラーな企画は回らない。「でも宇井さんには見せたかった」。
叶わなかったという以前に、願いを口にすることすらできない。宇井はその企画書をどう受け止めればよいのか、長く考え続けた。それから約10年を経てたどり着いたのが、介護の願いを意味する「ねかいごと」というプロジェクトだ。毎年11月11日の「介護の日」に合わせて、介護に関わるすべての人から願いを集め、それを叶えうる製品やサービスを手がける他社も巻き込みながら、テクノロジーの力で願いを実現していく取り組みである。
さらに宇井は、介護に関わる人が集う常設の場を東京都内に開設する計画を進めている。着想の原点は、祖母が亡くなる1年前、宇井が約2カ月間にわたって祖母と一緒に過ごした体験にある。そこは自宅でも介護施設でもない、デイサービスの敷地内に泊まり込む「お泊まりデイ」と呼ばれる場所だった。家族や知人が入れ替わり立ち替わり訪れ、プロの介護職員とともに祖母を支えた。あの場所のような、産後ケア院の介護版のような場所があったらいい。家族と本人とプロが一緒に過ごし、疲れたら休み、元気があれば学ぶ。そんな第3の場所をつくりたいと宇井は考えている。
テクノロジーで「介護したくなる」社会へ
abaのビジョンは「テクノロジーで誰もが介護したくなる社会をつくる」。実は当初は「介護できる」だったが、「したくなる」という感情を込めた表現に変えた。自らも介護職として働いた経験から、宇井は介護が支える側と支えられる側の双方を生き生きとさせる仕事だと知っている。「できる」という言葉では、その豊かさが零れ落ちてしまう。
ビジネス面では、日本の介護保険制度や補助金に依存しすぎない事業モデルの構築を課題に挙げる。「補助金で4分の3の助成が出るような環境は、一般的なビジネス環境よりも恵まれている。ただメーカーがこの環境に慣れてしまうと、原価を下げる努力も、売り方を工夫する意欲も生まれにくい」と宇井は話す。日本国内でしかビジネスができないメーカーにとどまれば、世界での競争力は自ずと失われていく。自らが先陣を切って海外でノウハウを積み、その知見を介護テック業界全体に還元していきたいという。
祖母の介護で何をすべきか分からなかった1人の孫の願いから始まったプロジェクトが、いまや国境を越えて広がろうとしている。その原動力は、介護の現場に耳を傾け続ける姿勢と、聞こえてきた声を、決して手放さず答えを出すという覚悟にある。
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この連載ではInnovators Under 35 Japan選出者の「その後」の活動を紹介します。バックナンバーはこちら。
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- 畑邊 康浩 [Yasuhiro Hatabe]日本版 寄稿者
- フリーランスの編集者・ライター。語学系出版社で就職・転職ガイドブックの編集、社内SEを経験。その後人材サービス会社で転職情報サイトの編集に従事。2016年1月からフリー。