中国テック事情:文化大革命を50年後にライブツイートする英国人
およそ50年前に起きた中国の文化大革命の様子を、まるでリアルタイムの出来事のようにライブツイートし続けるツイッター・アカウントがある。こうしたニッチなアカウントの存在がツイッターの魅力の1つだ。 by Zeyi Yang2022.12.27
この記事は米国版ニュースレターを一部再編集したものです。
最近伝えられた中国関連の大きなニュースは、ゼロコロナ対策の大部分が解除された中国国内における、新型コロナウイルス感染症の感染者急増に対する反応の様子である。北京では感染者が急増しており、解熱剤が品切れ状態となっている。新型コロナウイルス感染者は、自分の症状を熱心に共有することで、ほとんどがまだこのウイルスに感染したことのない、中国に住む14億人の人々に情報を伝え、教育している。
ゼロコロナ政策についてはこれまでも伝えてきたので、ここで一休みして、他の話をしてもいいだろう。時限爆弾が刻々と時を刻んでいる、ツイッターのことである。
実を言うと、私はツイッターに深くハマっている。そして、イーロン・マスクのリーダーシップの下でツイッターが崩壊するのではないか という憶測が飛び交う中、何がこのプラットフォームを特別なものにしているのか考えるようになった。それは、有名人や政治家とまるで一緒の部屋にいるかのように話せるということだけではない。何らかの同じことに興味を持つ見ず知らずの人たちとつながれることもまた、その要因の1つである。
そのような理由で、最近、英国のサウサンプトンに住む30歳の物流アナリスト、ジェイコブ・サクストンと話をした。彼のツイッターアカウント:Cultural Revolution OTD 1972(@GPCR50)は、かなりニッチである。このアカウントは、中国で破壊的な政治運動が続いていた1966年~1976年の出来事を、まるでリアルタイムで起きていることのようにライブツイートしている。もちろん、その50年後、つまり現在のことではない。
ツイートのいくつかは現在のことのように思える内容だったため、注目を浴びた。例えば、1972年7月24日に毛沢東が言った、「国は無料で避妊具を人々の家に届けるべきだ。なぜなら、多くの人が恥ずかしがって買いに行けないから」という発言などだ。その他にも、奇妙な逸話や、現代の問題に対する歴史的な口実、深刻な暴力と悲劇を伝える小話などがツイートされている。
この、歴史的な出来事と、遡及効果のある「ライブ・ツイート」というアイデアの組み合わせに、興味をそそられる。特に、このアカウントの場合、ツイートしているのが中国の歴史にバックグラウンドを持たない人であるということが、興味深い理由だ。私は中国で育ったが、文化大革命の歴史は学校でほとんど教えられなかった。しかし、ジェイコブのフィードを読むと、実際にその歴史の中を生きているように感じられる。それは、中国やイラン、ウクライナで今起きている大きなニュースを明らかにするツイートのスレッドと、何ら変わらないように思えるのだ。
これこそがツイッターの魔力なのだ。そして分かったことは、他にも私と同じような変わった人たちが少なくとも6700人いて、歴史の繰り返しを探していたり、あるいは単に中国についての知識を学び直したりしているということだ。
11月末にジェイコブにオンラインで取材し、活動を始めてから6年の間のツイッターの変化や、彼自身が考えるこのプロジェクトの性質、そしてツイッターが閉鎖された場合のアカウントの将来について話を聞いた。以下がその内容である。ただし、長さを調整し、分かりやすくする目的で多少の編集を加えている。
——このアカウントを始めた時期とその動機は?
2016年の初めです。だから、1966年2月(の50年後)ですね。当初は誰か他の人、例えば実際の歴史家がやるのではないかと思っていただけなんですが……。当時は「on this day(この日の出来事 )」をツイートするアカウントがたくさんあって、けっこう流行っていたので。でも、誰もやらないので、自分がやろうと思ったんです。
——そもそも中国の歴史に興味を持ったきっかけは?
ある時、思ったんですよね。自分は歴史について何も知らない、と。特に、米国や中国、フランスについて何も知らない。だから、古本を何冊か買いました。その中で、20世紀の中国史の本だけはものすごくおもしろかったんです。米国史の本は読んでいなくて、たぶんまだ本棚にあるはずです。
私は歴史家ではありません。ちゃんとした歴史家なら、どのことに関しても、もっとマシな仕事をしただろうと思います。だからいつもちょっと恥ずかしく思ってはいます。
——どのような流れでツイートのスケジュールを立てていますか? また、ここ何年かでどのような変化がありましたか?
11月下旬から12月のツイートをしていますが、ドアストッパーになるような分厚い本を読んで、その月に起こった主な出来事の概略を書き出していきます。それから少しずつ、例えば1晩で数日分(の出来事)を(整理します)。つまり、いろいろ読んで、何かを書き込むだけです。
大きな変化としては、1972年になって、「今」起こっているような出来事が少なくなりました。ものごとがほぼ正常に戻っていたのです。一方で、1966年や1967年は、(その年に関するツイートを書くのに)かなり時間がかかりました。仕事を休まなければならなかったし、すべてのことについて綿密に計画を立てるようにしていました。大きな時間単位の中で目まぐるしく起こる小さな出来事に対応するのが、本当に大変でした。
——歴史的な出来事から50年目が過ぎてしまってから、初めてその出来事について知ったということはありましたか? そんな時はどうしましたか?
少しごまかして「振り返ると…」と(書くように)したり、(元の出来事と)同じような出来事を探したりしますが、ちょっと言い訳っぽいですよね。
スプレッドシートを使ってすべての計画を立てているので、もし何か見逃していたら、それを入力します。そうすれば、少なくともある程度はうまくいくと思っています。
——そのスプレッドシートは今、どれくらいの大きさですか?
5880行です。
——それはすごい量ですね。
数年前までは、たくさんのことを複数の行に分ける必要がありました。当時は、ツイッターに140字という厳しい制限があったからです。ちょっと短すぎますよね。例えば、「Beijing Aeronautics Institute Red Flag(編注:北京で最も有名な学生紅衛兵集団の1つである北京航空航天大学紅旗のこと)」という大学の派閥名を言わなければならない時、動詞を入れる前にすでに75%に達してしまっているのです。
——ツイッターが長さ制限を280文字に拡大して、本当に助かったでしょうね。
ええ。でも、今でも150字くらいには収めています。常に簡潔に書く必要がありますから。それにしても、140字は短すぎました。
——アカウントを立ち上げた2016年当時のツイッターはどんな感じでしたか?
大統領選でドナルド・トランプが選ばれるまでは、ツイッターが2026年まで生き残れるかあまり確信が持てませんでした。でも、今はなくてはならないものだと感じています。技術的に崩壊するかもしれないという話があるのは知っています。それについてはよく分かりませんが、当時はプラットフォームとして長続きしないかもしれないと感じていました。
しかし、ツイッターはほとんど、最も重要な国を統治する方法の一部になりました。今はもう違うのでしょうが。
——いつ、このアカウントへの投稿をやめるつもりですか?
タイミングは、これまで何度もありました。やめるには絶好のタイミングでしたが、今はもう、そのような良いタイミングがありません。だから、このままやり通して、(文化大革命の)終わりまで続けるしかありません。あるいは、ツイッターが消滅するまで。選択肢はその2つです。
——もし明日、ツイッターが消滅したら、別のプラットフォームに移動しますか?
他のプラットフォームには移らないと思います。このプロジェクトの肝は、すべて(のツイート)が大きくて、長くて、連続した(並びの)中にあることです。公開しなくても、スプレッドシートには記入し続けると思います。いずれにせよ、(もっと多くのフォロワーを持つ)他の「war on this day(この日の戦争)」アカウントと比べれば、私は基本的に独り言を言っているに過ぎません。だから、文字通り自分1人でやっていることを、もう少し続けるだけです。
プラットフォームは変えないと思いますが、どこか別の場所で最初からやり直し、1つの連続したスレッドで10年半すべてをやろうとするかもしれません。50年後にまた始めるかもしれませんね。
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中国関連の最新ニュース
1.中国は新型コロナウイルス感染の大きな波と闘う困難な冬を迎えることになる。風邪薬や解熱剤、自宅用抗原検査キットは、全国ですぐに売り切れてしまう状態だ。(ロイター通信 $)
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- 中国が旅行を非常に困難にしていたロックダウンを終了したため、中国人たちも国内航空便や鉄道便のチケット購入に殺到している。(財新 )
- そして、プライバシーが勝利した話。中国は健康コード追跡システムの柱の1つである、通信事業者からの個人の位置情報の収集を廃止すると発表した。(CNN)
2.半導体サプライチェーンで大きな比重を占めるオランダと日本の両国が、中国のチップ開発を抑え込むためのさらなる措置を求める米国政府の要請に同意した。(ブルームバーグ )
3.台湾の半導体大手TSMCが、アリゾナ州の新工場に400億ドルを投じる。発表の際、創業者のモリス・チャンは、あからさま過ぎる次の言葉も残した。「グローバリゼーションはほとんど死んでおり、自由貿易もほとんど死んでいる。多くの人がまだ復活を願っているが、私は復活しないと思う」(ファスト・カンパニー)
4.香港で検閲が強化され、金融アナリストでさえ自由に話ができない。一部のアナリストによると、ズーム(Zoom)に相当する中国のサービス「テンセント・ミーティング」は、特定の単語を検出すると突然遮断されるという。(ブルームバーグ $)
- 香港の民主派新聞『アップル・デイリー』を運営していたメディア界の大物、ジミー・ライが、詐欺罪で懲役5年9カ月の判決を言い渡された。(AP)
5.最も成功した中国のベンチャーキャピタルファンドの1つで、テンセント、バイトダンス、JD.com、ディディ(DiDi)に投資しているヒルハウス(Hillhouse)は、焦点を国外に移しつつある。(ジ・インフォメーション )
6.中国は暗号通貨を認めていないにもかかわらず、FTXのユーザーの8%は中国本土に住む中国人である。彼らは今、慌ててお金を取り戻そうとしている。(サウスチャイナ・モーニング・ポスト )
障害者にとってのパンデミック
中国が新型コロナウイルスを封じ込めるために講じた措置は、障害を持つ人々のニーズを考慮せずに策定されることが多かった。それは、パンデミック中に人々を支えてきた技術システムの多くでも同様だった。中国メディア『コネクティング(Connecting)』が報じているように、上海の視覚障害者たちは、厳格なロックダウンと頻繁な感染検査から生じる困難を克服するのに苦労してきた。
今年実施された2カ月にわたるロックダウンの間、多くの人が食べ物を調達するのに食料品配達アプリに頼っていた。しかし、視覚障害者の場合、画面読み上げソフトを使って注文するのは時間がかかり、終わった頃にはアプリ上のすべての商品が売り切れてしまっていた。また、上海市民は感染検査の結果を記録する現地のシステムにログインするため、顔認識カメラに向かって目を瞬かせる必要があった。眼球摘出手術を受けた人たちは、ログインに時間がかかることもあった。
同時に、障害者の中には、特定の技術の発展から恩恵を受けている者もいる。ロックダウンで地元企業が壊滅的な打撃を受ける中、伝統的な「盲人マッサージ」業界(中国では何十万人もの視覚障害者がマッサージ師として働いている)は、口コミの短編動画を利用する新たな広告チャネルを見つけた。現在では、ドウイン(抖音)などのプラットフォームが、盲人マッサージの顧客の3分の1をもたらしている。
あともう1つ
中国で先日人気だったお菓子は何か分かるだろうか? 上の写真を見ると、すぐに黄桃の缶詰、もしくは瓶詰だと分かるかもしれない。
新型コロナウイルス感染が主要都市で広がる中、人々が黄桃を大量に購入している。中国北部の一部の家庭では、子どもが病気の時に黄桃を食べさせる伝統が今も残っているのが、その理由のようだ。もちろん、この缶詰の果物に新型コロナウイルス感染症の症状を抑える効果はないが、ネット上では冗談で、健康保険の適用範囲に加えるべきとの声もある。桃缶通の私の意見では、普通においしい食べ物である。
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- ヤン・ズェイ [Zeyi Yang]米国版 中国担当記者
- MITテクノロジーレビューで中国と東アジアのテクノロジーを担当する記者。MITテクノロジーレビュー入社以前は、プロトコル(Protocol)、レスト・オブ・ワールド(Rest of World)、コロンビア・ジャーナリズム・レビュー誌、サウスチャイナ・モーニング・ポスト紙、日経アジア(NIKKEI Asia)などで執筆していた。