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世界を変えるはずだった
「デザイン思考」とは
何だったのか?
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Design thinking was supposed to fix the world. Where did it go wrong?

世界を変えるはずだった
「デザイン思考」とは
何だったのか?

企業や自治体から一時注目を浴びた「デザイン思考」の輝きは近年、失われつつある。組織内での「イノベーション劇場」が常態化し、多くの課題が大量の付箋では解決困難であることが明らかになった今、デザイン思考のアプローチにもイノベーションが求められている。 by Rebecca Ackermann2023.04.07

2011年のことだ。カイル・コーンフォースがアイディオ(IDEO)のサンフランシスコ・オフィスに初めて足を踏み入れたとき、まったく新しい世界に迷い込んだように感じた。当時、非営利団体「エディブル・スクールヤード・プロジェクト(Edible Schoolyard Project)」の理事をしていた彼女は、学校で野菜作りや料理を教え、子どもたちに栄養価の高い食事を提供する活動をしていた。コーンフォースがアイディオのオフィスを訪れたのは、世界的なデザイン・コンサルティング企業であるアイディオからスピンオフした非営利のデザイン事務所「アイディオ・ドットオルグ(IDEO.org)」を訪問するためだった。アイディオ・ドットオルグは、エディブル・スクールヤード・プロジェクトが2004年から使命として取り組んできた、学校給食の再構築を模索していた。だが、彼女にとって、アイディオのアプローチは未知のものだった。彼らが実践していたのは、1990年代に登場し、テクノロジー、ビジネス、社会的インパクトの分野で人気を博していた「デザイン思考(Design Thinking)」と呼ばれるイノベーションを生み出す6段階の方法論だ。

デザイン思考が浸透する鍵となったのは、誰もが無限に繰り返し利用できる小さな四角形の付箋(ポストイット)に代表される、美的感覚のある反復・再現だ。高価過ぎず、永続的過ぎず、どこにでもある付箋は、迅速に物事を達成するために、協調的で、平等な方法を約束する。コーンフォースがアイディオのワークショップに参加するためにオフィスを訪れた時、「至る所が付箋だらけで、至る所に試作品がありました」と言う。「私がとても気に入ったのは、付箋がコラボレーションと創造のためのフレームワークを提供してくれる点でした」。

しかし、アイデア自体に目を向けると、コーンフォースは疑問を抱いた。「『学校現場で働いている人の話を聞いていないのでは?』と感じました。課題のコンテキストがまるで理解されていないのです」。彼女は、協力関係にあった教育者や行政機関のコミュニティが持つ深い専門知識と、アイディオのようなコンサルティング企業が掲げるデザイン思考の方法論が持つ破壊的でスタートアップ指向の創造性が、相反することに気づいた。「彼らから見れば、私は古くさく頭の硬い人間のように映ったでしょう。そして私もまた、彼らが現実からかけ離れていると感じたのです」。

こうした緊張関係は、数年後の2013年、アイディオがサンフランシスコ統一学区(SFUSD)から委託され、ツイッターの共同創業者であるエヴァン・ウィリアムズのファミリー財団の資金援助を受けて学内食堂を新しく設計する際に再燃した。それから10年が経ち、SFUSDのプログラムは大きな影響をもたらしている。だが、プログラム初期に実施したデザイン思考を用いた外部からのアプローチだけでなく、学区内における緩やかで一貫した取り組みもまた、成功に大いに関係しているのかもしれない。

1990年代に設立されたアイディオは、「dスクール(d.school)」と通称されるスタンフォード大学ハッソ・プラットナー・デザイン研究所(共同創設者の1人はアイディオのデイヴィッド・ケリー創設者)と共に、2000年代から2010年代にかけてデザイン思考の手法の普及に尽力してきた。デザイン思考という方法論のコラボレーションや研究を重視する姿勢は、その何十年も前に流行した人間要素工学(human-factors engineering)にまでさかのぼる。そしてデザイン思考は、希望に溢れた部屋に集う大勢の優秀な人々が、集合的な想像力を獲得することに成功した。当時は、「歴史の弧(オバマ大統領の勝利演説)」を進歩へと曲げられる可能性に米国社会が沸き立っていた、オバマ政権の時代だ。その影響力は,保守的な米国中部地方にあるヘルスケア大手企業、ワシントンD.C.の政府機関、シリコンバレーの大手テック企業などにまで及んだ。多くの市役所が、経済問題を解決し、交通機関から住宅に至るまでのさまざまな課題に取り組むため、デザイン思考を専門とするコンサルティング企業を招いた。マサチューセッツ工科大学(MIT)やハーバード大学といった教育機関や、人材教育のジェネラル・アセンブリー(General Assembly)が学位課程や講座を設け、デザイン思考教育はデザイン思考自体を企業や団体に売り込むのと同じくらい儲かる可能性を示した。

デザイン思考はまた、「デザイン」の概念そのものを広げ、デザイナーを単なる空間や実際の製品、あるいは画面上の体験を生み出すだけの存在から、システムを再構築し、システムを使う人々の欲求を満たすことのできる、一種の霊媒師のような存在にまで昇華させた。こうしてデザイナーは、付箋で埋め尽くされた6段階からなるイノベーション手法の最初の段階でもある、ユーザーの悩みに共感することで、あらゆる難問に挑めるようになった。

「共感」の次は、課題の再解釈(How might we …?:どうすれば私たちは~できそうか?)、解決策の候補のブレイン・ストーミング、試作品の作成、エンドユーザーとのテスト、それから最終的な実装である。デザイン思考コンサルティング企業は、最後の段階を自ら実施することはなく、依頼された組織に一連の「推奨事項」を提供するに留まるのが一般的だ。

それと同時に、アイディオ、フロッグ(Frog)、スマート・デザイン(Smart Design)をはじめとするコンサルティング企業は、誰でも(コンサルタント料を支払っている経営陣も含めて)この手法に従うだけでデザイナーになれるという考えを広めた。当時のアイディオのティム・ブラウン最高経営責任者(CEO)が、2009年の著書『デザイン思考が世界を変える』(2014年、早川書房刊)で記しているように、デザインはおそらく「デザイナーに任せるには重要すぎる」ものになっていたのだろう。ブラウンCEOは自社の特徴や長所として、デザインを手がける対象となる業界に関する専門知識がまったくないことまで宣伝している。「私たちは、いわゆる『ビギナーズ・マインド(初心者の気持ち)』で見ているのです」とイェール大学経営大学院で語っている。

これは、デザイン思考をビジネス界に売り込むための巧妙な戦略だった。企業自身がデザインに特化した専門チームを雇用するのではなく、一時的にコンサルティング企業を雇い、デザイン思考の方法論を学べるからだ。またこの手法は、時間を費やした多くの人にとって力強いものに感じられた。私たちは皆、デザイン思考によって約束された創造力を持っており、他人の気持ちや感情に十分共感できれば、どのような課題でも解決できると感じられるのだ。

しかし近年、さまざまな理由から、デザイン思考の輝きは失われつつある。斬新だが浅慮な目先のアイデアばかりにとらわれ、非現実的で根拠のない提案にとどまっていると批判する者もいる。さらに、主にコンサルティング企業内の商業デザインに携わるデザイナーを中心に据え続けてきたことで、既存の不平等に挑戦するのではなく、むしろそれらをより強固なものにしてきたとの批判もある。時を経るにつれ、意味のある変革を実現することなく一連の項目にチェックを入れるだけの「イノベーション劇場」が企業内で常態化し、事例研究で取り上げられたさまざまな社会的インパクトのある取り組みが、試験プロジェクトの枠を超えられずに苦戦している。その一方、#MeToo運動やブラック・ライブズ・マター(BLM)運動、トランプ政権による政治的混乱によって、多くの深刻な課題は数世紀にわたる暗澹たる歴史に根ざしており、デザイン思考という魔法の杖の一振りで消し去るにはあまりにも根深いものであることが証明される形となった。

現在でも、イノベーションを推進する企業や団体、教育機関は、個人、企業、組織に対してデザイン思考の売り込みを続けている。2015年、アイディオは独自の「オンライン・スクール」であるアイディオU(IDEO U)を設立し、数々のデザイン思考講座を用意したほどだ。その一方で、dスクールやアイディオ自身をはじめとするいくつかの組織では、デザイン思考の原則と方法論の両方の改革を試みている。こうした新しい取り組みでは、将来にわたって多様なコミュニティに公平なサービスを提供し、さまざまな課題を解決できる一連のデザイン・ツールを模索している。それは、デザイン思考の本来の役割よりも、はるかに困難で、重要な問題だ。

デザイン思考がもたらす魔法のような可能性

デザイン思考が生まれた1990年代から2000年代は、職場はパーティションや閉ざされたドアで仕切られており、「ユーザー体験」という用語もアップルで使われ始めたばかりだった。1960年代までさかのぼればコラボレーションに関する説得力のある研究結果があったにもかかわらず、デザイン業界を含む多くの業界では、依然として仕事は主に単独で取り組むことが一般的だった。そのような中、デザイン思考は、デザイン業界とより広範なビジネス業界の双方に、それまでなかったコラボレーションというエネルギーを注入した。仕事はもっと希望に満ち、より楽しく感じられるはずであり、デザインはそうした状況を作り出す主導権を握るはずだと提案したのだ。

作家であり、スタートアップ向けアドバイザーも務めるジェイク・ナップは、2000年代にマイクロソフトでデザイナーとして働いていた頃、ある実現性の高いプロジェクトのため、パロアルトにあるアイディオのオフィスを訪れたことがある。彼は刺激に満ちあふれたオフィス空間に驚かされた。「すべてが真っ白で、窓からは陽の光が差し込むオープンな間取り。こんな仕事の仕方は見たことがありませんでした」。数年後、彼はグーグルに転職したが、アイディオでの勤務経験がある同僚からデザイン思考ワークショップの運営方法を学び、その後、グーグル社内でデザイン思考の手法に関する独自のワークショップを開催するように …

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