KADOKAWA Technology Review
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宇宙を「聴く」——
ソニフィケーションが変える
科学のアクセシビリティ
Stuart Bradford
カルチャー Insider Online限定
How sounds can turn us on to the wonders of the universe

宇宙を「聴く」——
ソニフィケーションが変える
科学のアクセシビリティ

天文学では、データを音に変換するソニフィケーション(可聴化)の取り組みが進んでいる。ソニフィケーションは、科学のアクセシビリティを高め、さらに教育や都市環境のナビゲーションにも広がる可能性がある。 by Corey S. Powell2023.11.23

シアトル・コンベンション・センターの広々とした大会場で、サラ・ケインは特大のコンピューター・モニターの前に立ち、天の川の誕生と進化を系統的に再現していた。クシャクシャの長い銀髪を振り乱しながら(「遠目でもすぐに私だとわかります」と彼女は冗談を言った)、ペンシルベニア大学の大学院生として進めたばかりの野心的な研究プロジェクト「銀河の化石探し」の概要を説明した。膨大な数の星の組成、温度、表面重力の測定を通して、他の星とは異なって見える689個を選び出すことができた。それらの異常な天体は、どうやら今とは状況が大きく違う宇宙の歴史のごく初期に形成されたようなのだ。最古の星を特定できれば、銀河系全体の進化を理解する上で役立つのだとケインは説明した。

2023年1月の米国天文学会(American Astronomical Society)の会合で実施されたケインのプレゼンテーションは、2度の短い中断があっただけでスムーズに進行した。1度目は、自分の盲導犬の気をそらす人がいないことを確認した。2度目は、観衆の1人にコンピューター画面上で正しいグラフをハイライトできるよう補助を頼んだ。「もちろん、私にはカーソルが見えないからです」 。

天文学は本来、ケインのような盲目の研究者を歓迎する分野であるはずだ。巨大な望遠鏡の接眼レンズに群がって観察する時代は、とうに過ぎている。今日、天文学研究の大半は、光の測定値を強度と波長ごとに分解し、最も有用と考えられる手法でデジタル化して分類することから始まる。しかし、天文学のアクセシビリティの可能性の大部分は依然として理論にとどまっている。科学の世界はおしなべて、図表、グラフ、データベース、画像など、目で確認することだけを想定してデザインされたものであふれている。だから、3年前、情報を音に変換するために設計された「ソニフィケーション(可聴化)」と呼ばれるテクノロジーに出会ったケインは大いに興奮した。以来、天文の情報をオーディオ形式で提供する「アストロニファイ(Astronify)」というプロジェクトに取り組んでいる。「これまでの方法ではアクセスできなかったデータにアクセスできるようにするものです。光度曲線を可聴化すれば、私は耳でその状態を理解できます」。

シアトルの天文学会議では、ソニフィケーションとデータ・アクセシビリティが繰り返しテーマになった。マサチューセッツ工科大学(MIT)の天体物理学者エリン・カラ助教授は、ブラックホール周囲の熱いガスから生じた光エコーを音で表現した。ハーバード・スミソニアン天体物理学センターの管理者アリソン・ビエリラは、視覚障害者(BVI)が日食にアクセスできるようにすることを目的としたソニフィケーションを発表した。リンカーン大学のクリスティーン・リム准教授(音楽博士)は、チリにある6億ドルを投じたルービン天文台が収集した天文データにソニフィケーションを取り入れる提案について説明した。天文台は2024年に観測開始予定だ。この会議は、科学のアクセシビリティという大きな広がりを見せるトレンドの縮図に過ぎない。「天文学はソニフィケーションをリードする分野ですが、その取り組みを一般化できないわけがありません」とケインは言う。



実際に同様のソニフィケーションの実験が化学、地質学、気候科学の分野で進行中である。高校や大学は、数学教育で聴覚データを示す可能性を模索している。ほかにも、危険でストレスの多い職業に従事する労働者を支援したり、都市環境で移動をスムーズにしたりするようなソニフィケーションが考えられる。これらのイノベーションは、多くの人にとって生活の質を向上させる拡張機能になるだろう。ただし、米国だけでも100万人が全盲で、それ以外に600万人の視覚障害者がいると推定されている。この人々の日常は、ソニフィケーションで一変する可能性がある。教育へのアクセス、今までは考えられなかったキャリアへのアクセス、さらには宇宙の秘密へのアクセスが開かれるかもしれない。

統計データの視覚的表現の歴史は長く、少なくとも1644年にさかのぼる。この年にオランダの天文学者ミハエル・フロレント・ファン・ラングレンが、ローマとスペインのトレドの間の経度距離のさまざまな推定値を示すグラフを作成した。数世紀にわたり、数学者や科学者はグラフの基準を作り出してきた。今では傾向線や円グラフの読み方に戸惑う人はいないくらい普及している。一方、データの適切なソニフィケーションが始まったのは、20世紀に入ってからだ。最初期で意義のある例は、1920年代に完成したガイガーカウンターで、不気味なカリカリという音で危険な放射線の存在を示す。最近では、医師がある種の医学的測定値を示すために音を用いるようになった。心電図のビープ音が最も象徴的だろう。現在の可聴ディスプレイのアプリケーションは、依然としてほとんどが何かに特化しているか、範囲が限られているかのいずれか、あるいはその両方だ。例えば、物理学者や数学者は音声分析を使用することがあるが、主にソート・アルゴリズムなどの技術的な操作を表現するためだ。消費財で言えば、今の自動車の多くはドライバーの死角に別の自動車が入ったときに音を発するが、こうしたソニフィケーションは、1つの問題や状況に特化したものである。

リンショーピン大学(スウェーデン)のソニフィケーション専門家であるニクラス・レーンベルク准教授は、家庭と職場の両方で音ベースのデータを広く普及させる方策を何年も探ってきた。大きな障壁は、音の意味に関して普遍的な基準がないままであることだと話す。「ソニフィケーションは、直感的ではないと言われがちです」と同准教授は嘆く。「線グラフは誰でも理解できますが、音を使った場合は伝わりにくいのです」。例えば、大きな数字は高音で示すべきか、深い低音で示すべきか。目覚ましのアラームや電話のメール通知などのシンプルな機能に関しては、好みの音声にカスタマイズするのは普通のことだ。その状況で、例えば、今後10日間の天気予報など、密度の高い情報に音を紐づけ、それぞれの意味について全員の同意を得るのは至難の業である。

ジョージア工科大学でソニフィケーション研究所を運営するブルース・ウォーカー教授は、ソニフィケーションの受け入れを妨げる別の障壁を指摘する。「このツールはエコシステムに適していません」。例えば、人が大勢いるオフィスや騒々しい工場では、聴覚ディスプレイは意味を持たない。学校の場合、教員がコンピューターにスピーカーやサウンドカードを接続したり、互換性がない、または次のシステムアップデートで削除される可能性がある専用ソフトウェアをダウンロードしたりする必要があるとなると、音声ベースの教育ツールの使用は現実的ではない。同教授は、自身のような研究者にも責任の一端があるという。「学術界は技術移転があまり得意ではありません。このような素晴らしいプロジェクトがあっても、多くはラボの棚に置かれたままになっています」(同教授)。

だがウォーカー教授は、ソニフィケーションが広く普及する時期が来たと考えている。「最近では何にでも音を出す機能が付いているので、新しい時代が始まるでしょう」と言う。「同じ音を出すなら、有益に用いたいものです」。

この機会を活かす上で、ソニフィケーションが有用な場合と、逆効果になる場合を熟慮する必要がある。例えば、ウォーカー教授は、接近に気づかれやすくするために電気自動車(EV)に警告音を搭載する案に反対している。EVは騒音公害を増やさずに歩行者の安全を守れるようにすべきだというのが同教授の主張だ。「EVの静粛性は特徴であって欠陥ではありません」。

データのソニフィケーションに関して一般の人々を興奮させるに十 …

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