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五十嵐歩美:すべての人に公平な社会を目指すアルゴリズム研究者
五十嵐歩美(東京大学)/写真提供:JSTnews
Trajectory of U35 Innovators: Ayumi Igarashi

五十嵐歩美:すべての人に公平な社会を目指すアルゴリズム研究者

東京大学大学院情報理工学系研究科准教授の五十嵐歩美は、限りある資源を数学理論に基づいて公平に分配する手法を追い求め、真に公平な社会の実現を目指している。 by Yasuhiro Hatabe2023.10.10

日常のさまざまな場面で「もの」や「こと」を「公平」に分配・分担する必要が生じる。例えば、全体的に均質な正円のチーズケーキを「公平」に分けることは、それほど難しいことではないかもしれない。しかし同じケーキでも、いろいろな種類の、人数で割りきれない数のフルーツが載っていたら「公平」に分けられるだろうか。

2021年の「Innovators Under 35 Japan (35歳未満のイノベーター)」の1人に選ばれた五十嵐歩美は、公平な資源配分アルゴリズムの研究者である。曖昧に使われがちな「公平」という概念を数学的に定義し、できるだけ多くの人を幸せにする資源配分の方法を数理的に解析する「公平分割理論」の取り組みが評価され、選出された。五十嵐が開発した、分けられない「もの」や「こと」(不可分財)をできるだけ公平に、「妬みがない」ように分配する計算手法は、現実のさまざまな問題への適用が期待される。

応用研究の一環として家事分担アプリを開発

IU35の選出当時、国立情報学研究所(NII)に在籍していた五十嵐は2022年10月に東京大学へ籍を移し、現在は准教授として活躍している。IU35受賞後に大きく変わったのは、それまでの理論研究から応用研究にも活動の幅を広げたことだ。

2021年、五十嵐は科学技術振興機構(JST)が主催する「サイエンスインパクトラボ」に参加した。研究者と企業やNPOなど社会課題の解決に取り組むプレイヤーが参加し、先端研究の社会実装を目指す共創プログラムだ。ここで出会ったシビックテック団体「コードフォージャパン(Code for Japan)」のメンバーとともに、家事分担アプリのプロトタイプを開発したことが1つの転機となった。

2022年5月に約1カ月をかけて開発し、公開したWebアプリ「家事分担コンシェルジュ」はNHKでも紹介され、大きな反響を呼んだ。

家事分担コンシェルジュは、利用者本人とパートナーの2人の家事分担を提案してくれるアプリ。利用者はまず、提示された一覧の中から家事項目を選び、どの家事を誰が担当しているか、その家事が好きか嫌いか、かかっている時間はどれぐらいかなど、現状を入力する。すると、計算によってより公平な分担が提案される。

家事分担コンシェルジュの画面。入力した家事の内容をもとに、理想的な分担が提案される。

共同開発したメンバーや、実際にアプリを使ったユーザーなど、研究者ではない人たちと意見を交わすことで、「自分では気づかない点を気づかされたことが大きかった」と五十嵐は話す。最も印象に残っているのは、「家事分担は、ケーキなどのうれしいものを分けるのとは違うということ」だという。

家事分担アプリの結果から分かったこと

アプリの利用者へアンケート調査を実施すると、「アプリが提案した配分は公平」と答えた人は全体の約30%だった。「衝撃でした」(五十嵐)。アプリが提案した家事分担に対して「現実的じゃない」とする声や、「不公平な状態からすぐに公平な状態に持っていくのが難しい」との声もあった。

アプリの提案を「公平だ」と答えた人たちが挙げたその理由も、想定とは少し違ったという。「負担度が同じくらいになっている」「どちらにとっても負担が減るように改善してくれている」といった回答だ。理論的には「妬みがない状態」を「公平」と定義するが、どういう状態を「公平」だと理解しているかが人によって異なることも分かった。

「公平の捉え方の違いは、応用例に依存するのではないかと考えています。人々が何をもって『公平だ』と納得するのか、理論的でなく実証的に研究してみることも視野に入れています。今後、家事分担アプリのバージョンアップを通して掘り下げて研究してみたいですね」。

得意な数学を社会に役立てられる分野に進みたい

中学生の頃から数学が好きで、得意科目だった。「論理を積み重ねて問題を解いていくプロセス、不透明さがないところが好きで」と五十嵐は振り返る。

母親が研究者だったこともあり、自然と自分も研究者になりたいとの思いが芽生えたが、「数学者になる自信はない。それなら数学を使って社会の役に立てるような分野へ進もう」と考えた五十嵐は、筑波大学へ進み、社会工学類で経営工学を専攻する。学部生時代にはゲーム理論や数理最適化について学び、米国カリフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD)への1年間の交換留学も経験した。

筑波大学で修士課程を修めた後は、英国オックスフォード大学計算機科学科の博士課程へ進んだ。公平分割理論に出会ったのはその頃だ。ハンガリーのブダペストで開催されたワークショップで、公平な資源配分に関するプレゼンを聞いた。そこで出会った研究者のプロジェクトに参画した五十嵐は、研究テーマの面白さと背後にある理論のエレガントさに気づき、引き込まれていく。

オックスフォード大学留学時代の仲間と
提供写真

長い年月を経ても価値が揺るがない「意味のある」研究を

研究を続ける上で大事にしている考え方を聞くと、「理論研究する上では、意味のあることをやろうと思っています」との答えが返ってきた。「世の中には多くの問題がありますが、より本質的に重要な問題に取り組もうとしています。少なくとも自分にとっては重要な一歩であるようなものを、できるだけ生み出していきたい」。

五十嵐が「数学を役に立てる」という時、見据える射程は長い。「例えば、公平な配分を導き出せることを数学的に証明する時に、数十年前の理論や知見を使うこともあります」。すぐには役に立たなくても、数十年後の研究に価値を与える可能性のある成果を残したいと考えている。

家事分担アプリのプロトタイプ開発は、五十嵐に応用研究の必要性を認識させる一方で、「理論も重要」と再認識させることにもつながった。プロトタイプ開発は単発の取り組みだったが、明らかになった新たな課題の解決に向けた研究を始めており、現在は企業と共同でバージョンアップを考えているそうだ。

「応用研究は人々に使ってもらえる実感を得られますし、気づかされることも多くあります。理論研究は、進みは速くないですが、数十年あるいは百年という単位の長い年月にわたって残り、人々に使ってもらえるものだと考えています。今後は、理論研究を着実に進めつつ、応用研究で得たフィードバックで軌道修正しながら、両輪で研究を進めていきたいです」。

選挙制度、投票メカニズムに対する問題意識

もう1つ、関心があるのが、選挙制度や投票についてだという。社会にとって重大な意思決定をする政治家を選ぶ仕組みだが、現在の選挙制度が最善というわけではない。例えば、似たような候補者が複数いると票を分け合ってしまい、対抗する1人の候補者を勝たせてしまう「票割れ」や、マイノリティの意見を吸い上げることが難しい。

欧米では、「市民参加型予算」という仕組みが取り入れられつつある。自治体の行政の資源を配分する予算編成を市民の投票によって決める取り組みだが、公平さが求められる最たるものだ。

「マイノリティの意見もうまく取り入れられる、より公平な投票メカニズムを研究している研究者がいます。国政選挙のような大きな仕組みを変えるには時間がかかるかもしれませんが、小さな取り組みを積み上げて制度を変えていくことで、よりよい意思決定ができるようになるかもしれない。私もそこに役立っていきたいと考えています」。

この連載ではInnovators Under 35 Japan選出者の「その後」の活動を紹介します。バックナンバーはこちら

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フリーランスの編集者・ライター。語学系出版社で就職・転職ガイドブックの編集、社内SEを経験。その後人材サービス会社で転職情報サイトの編集に従事。2016年1月からフリー。
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