KADOKAWA Technology Review
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コインベース創業者、「禁断の技術」胚編集に大胆な投資計画
Michelle Watt/Coinbase
Crypto billionaire Brian Armstrong is ready to invest in CRISPR baby tech

コインベース創業者、「禁断の技術」胚編集に大胆な投資計画

暗号通貨取引所コインベースの創業者ブライアン・アームストロングが、ヒト胚の遺伝子編集を専門とするスタートアップへの資金提供を表明した。2018年の中国でのCRISPRベビー事件以来タブー視されてきたこの分野への初の大規模商業投資となる可能性がある。 by Antonio Regalado2025.06.06

この記事の3つのポイント
  1. コインベースCEOが胚の遺伝子編集スタートアップへの出資を表明した
  2. 一塩基編集などの技術進歩により、より安全で精密な胚の遺伝子編集が可能になった
  3. 一部研究者は資金力のある企業の参入を歓迎しているが、倫理的な懸念も根強い
summarized by Claude 3

暗号通貨取引所コインベース(Coinbase)の最高経営責任者(CEO)で、億万長者のブライアン・アームストロングは、ヒト胚の遺伝子編集に特化した米国のスタートアップ企業に資金提供する用意があると表明した。もしこの出資が実現すれば、医学界で最も物議を醸しているアイデアのひとつに初めて大規模な商業投資が実施されることになる。

アームストロングCEOは6月2日のXへの投稿の中で、遺伝性疾患など、まだ満たされていない医療ニーズを対象とした「胚編集」プロジェクトの創設チームを作るため、遺伝子編集科学者とバイオインフォマティクス専門家を探していると発表した。

「この分野で米国を代表する企業が生まれる時期が来たと考えています」とアームストロングCEOは投稿した。

2018年に中国で世界初の遺伝子編集ベビーが誕生し、その秘密裏の実験が国際的な非難を浴び、主導した科学者が投獄される事態となって以来、タブー視されてきたこの分野にとって、潤沢な資金を持つ支援者による今回の発表は大きな転換点となる。

コロンビア大学の遺伝子編集科学者で、アームストロングCEOへの説明を実施したチームを率いるディーター・エグリ准教授によると、アームストロングCEOの計画は、近年の編集技術の進歩によって、より安全かつ精密に胚のDNAを改変できるようになったことが動機の一部となっている可能性があるという。

「一塩基編集(base editing)」と呼ばれる新たな編集手法では、DNAの1塩基を巧みに改変できる。一方、従来の編集手法では、DNAの二重らせん構造が切断されて損傷し、遺伝子全体の消失につながっていた。「現在では何をすべきか、はるかによく分かっています」とエグリ准教授は語る。「これで研究がすべて完了したわけではありませんが、状況はまったく異なるものになっています。まったくの別物になったのです」。

資金不足

ヒト胚の遺伝子編集は、最終的には設計によって調整された遺伝子を持つ人間を生み出すことを目指しているが、これまで厳しい非難の目にさらされ、資金不足に陥ってきた。ほとんどの国で違法であり、米国では事実上禁止されている。

実験室での胚の研究は合法であるものの、実際に遺伝子編集された赤ちゃんを生み出すことは、ほとんどの国で全面的に違法となっている。

米国では、CRISPR(クリスパー)ベビーの禁止は、米国食品医薬局(FDA)が遺伝子編集ベビーの誕生を試みようとする申請を検討することを禁じるだけでなく、認知することさえも禁じる法律によって運用されている。しかし、科学者がこの技術の説得力のある利用法を実証できれば、あるいは億万長者が働きかければ、このルールは変更される可能性がある。

アームストロングCEOはXへの投稿の中で、ピュー研究所(Pew Research)が7年前に実施した世論調査の結果を示した画像を掲載した。それによると、米国人は病気の治療に役立つのであれば、赤ちゃんの遺伝子改変に好意的な人が非常に多いことが示されている。ただし、同じ調査結果で、胚を使った実験には大多数の人が反対していることも示されている。

これまでのところ、米国で胚編集を公然と推進している企業はなく、連邦政府も胚に関する研究には一切資金を提供していない。胚の遺伝子編集に関する研究は、エグリ准教授の研究室とオレゴン健康科学大学のわずか2つの学術機関によって進められてきた。

この2つの研究機関での研究は、民間からの助成金と大学の資金を合わせたわずかな資金で運営されてきた。2つの研究機関の研究者は、この技術を発展させることができる十分な資金力を持つ企業というアームストロングCEOのアイデアを支持すると述べた。オレゴン健康科学大学の生殖医療専門医で、米国生殖医学会の元会長であるポーラ・アマト教授は、「私たちは心から歓迎します」と述べた。

「さらなる研究が必要であり、それには人材と資金が必要です」とアマト教授は語り、たとえそれが「テック界のセレブ」によるものであっても構わないと付け加えた。

胚の編集は、理論的には深刻な小児疾患を引き起こす可能性のある遺伝子エラーを修正するために使用できる。しかし、ほとんどの場合、胚の遺伝子検査によってそのようなエラーを回避することもできるため、実際にそのようなDNA改変技術が必須となる「満たされていないニーズ」を見つけるのは難しいだろうと多くの人が主張している。

むしろ多くの科学者は、この遺伝子編集技術に対するより大きな需要は、心臓病やアルツハイマー病といった一般的な疾患への抵抗力を高めることを目的とした胚の段階での利用だろうということは簡単に考えつく。しかし、これは一種の機能強化であり、改変された遺伝子は世代を超えて受け継がれるため、より物議を醸すことになる。

つい先週、複数のバイオテクノロジー業界団体と学術団体が、遺伝的に受け継がれるヒトゲノム編集に対して10年間のモラトリアム(一時停止)を求めた。この技術は実際の医療用途がほとんどなく、「未知の影響を伴う長期的なリスクをもたらす」というのがその主張だった。

そして、望ましい形質を「プログラム」したり、悪い形質を排除したりする能力は、新たな形態の「優生学」になる危険性があり、「進化の流れを変える可能性がある 」と訴えた。

制限なし

MITテクノロジーレビューはアームストロングCEOに電子メールでコメントを求めたが、回答は得られなかった。アームストロングCEOが率いるコインベースも同様に返答しなかった。同社は2021年に上場した暗号通貨取引プラットフォームであり、フォーブス誌が100億ドルと推定するアームストロングCEOの資産の源となっている。

この億万長者のアームストロングCEOもまた、時に突飛なアイデアにまで巨額の投資をすることで、科学や生物学の分野で大きな注目を浴びてきた数多くのテック起業家の一人である。アームストロングCEOは以前、ブルームバーグが「寿命延長ベンチャー」と呼ぶニューリミット(New Limit)を共同創業した。同社は今年さらに1億3000万ドルを調達して、古い細胞を胚のような状態に再プログラムする方法を模索している。

アームストロングCEOは同社をブレイク・バイヤーズと共に立ち上げた。バイヤーズは、バイオテクノロジー的アプローチや人間の意識をコンピューターにアップロードする方法などを含む「不死」の研究に、世界のGDPのかなりの部分を費やすべきだと主張している。

アームストロングCEOは昨年後半から、今度は生殖補助医療に関連する新たなベンチャー事業を模索する意向を公に表明し始めた。そして12月に、アームストロングCEOとバイヤーズが「人工子宮」、「胚編集」、「次世代IVF(体外受精)」に取り組む起業家と会う用意があるとXで発表した

投稿では、「禁断の技術を語る夕べ」とでも呼べるようなオフレコのディナーパーティーへの参加者を募っていた。応募者はグーグル・ フォームに記入し、「これまでに開発した素晴らしいものは何ですか?」といったいくつかの質問に答える必要があった。

このディナーパーティーの参加者の中には、エグリ研究室のポスドク研究員で、胚における一塩基編集の実験に取り組んでいるステパン・ジェラベック博士もいた。 もう一人の参加者、ルーカス・ハリントン博士は、CRISPR遺伝子編集の開発でノーベル化学賞を受賞したジェニファー・ダウドナの指導の下、カリフォルニア大学バークレー校で研鑽を積んだ遺伝子編集科学者だ。ハリントン博士によると、自身が運営に携わるベンチャーグループ「サイファウンダーズ(SciFounders)」も、胚編集企業の立ち上げを検討しているという。

「私たちは、胚編集が安全に実施できるかどうかを実証的に評価する企業の存在に関心を持っており、そのための企業の育成を積極的に検討しています」とハリントン博士はメールで明らかにした。「この技術を安全に評価するためには、正当な科学者や臨床医が尽力する必要があると考えています」。

遺伝子編集技術の急速な進歩を受け、ハリントン博士はまた、この技術に対する禁止やモラトリアムを批判している。こうした措置によって遺伝子編集技術の応用を阻止することはできず、むしろ「影に」追いやり、安全性の低い利用につながる可能性があるとハリントン博士は指摘する。ハリントン博士によると、「複数のバイオハッカー・グループが、この技術の追求のためにひそかに少額の資金を調達している」と言う。

対照的に、アームストロングCEOのXでの公式声明は、より透明性の高いアプローチを示すものだ。「かなり真剣のようです。彼は何かをまとめ上げたいと考えているようです」とエグリ准教授は述べ、コインベースのCEOであるアームストロングが自身の研究室での研究に資金を提供してくれることを期待している。 「アームストロングが公に投稿したのはとても良いことだと思います。温度感を感じ、どのような反応が返ってくるかを見ることができ、世間の議論を喚起できるからです」。

編集エラー

研究者が実験室でヒト胚にCRISPRを試験しているという最初の報告は2015年に中国からもたらされた。理論上、ヒトの遺伝子改変がいかに容易であるかが明らかになり、大きな波紋を呼んだ。2年後の2017年には、オレゴン健康科学大学の研究チームが、実験室で患者の卵子と精子細胞から作られた胚に存在する危険なDNA変異の修正に成功したと発表した。

しかし、その画期的な発見は、見た目通りのものではなかった。エグリ准教授らによるより慎重な試験の結果、CRISPR技術は実際には細胞に大混乱を引き起こし、多くの場合、染色体の大部分を消失させていることが明らかになった。これに加えて、細胞ごとに異なる編集が起こる「モザイク現象」も発生していた。当初は精密なDNA編集のように見えたものが、実際には目に見えない損傷を引き起こす危険なプロセスだったのだ。

中国で3人の遺伝子編集ベビーが誕生した後、CRISPRベビーの倫理性について世間では議論が巻き起こった一方で、研究者は基本的な科学的問題とその問題を解決する方法について議論していた。

それ以来、米国の2つの研究機関と中国の複数の研究所は、一塩基編集に切り替えた。この方法は、理論上、胚に単一の変更だけでなく、複数の有利な遺伝子変異を与えることも可能である。

企業の仕事

胚を編集する方が、成人患者の治療を試みるよりも簡単だと確信している研究者もいる。唯一承認されている遺伝子編集治療である鎌状赤血球症の治療には200万ドル以上かかる。対照的に、胚の編集は非常に安価になる可能性があり、胚が形成される初期段階であれば、体細胞全体にその変更をもたらす可能性がある。

「本を印刷する前に文章を修正するようなものです」とエグリ准教授はたとえる。「考えるまでもないことだと思います」。

それでも、遺伝子編集は、赤ちゃんを生み出すという点でまだ実用段階には至っていない。そこに到達するには、編集システム(タンパク質と短いガイド分子(RNA)を含む)の慎重な設計や、胚に望ましくないDNA変更がないかチェックする体系的な方法など、さらなる研究が必要である。もし実現するなら、アームストロングCEOが資金提供した会社は、まさにその種の産業的取り組みを行うのに適しているだろう。

「何かを完璧に、楽々とこなせるレベルまで最適化する必要があるでしょう」とエグリは言う。「まさに企業がやるべき仕事です」。

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アントニオ・レガラード [Antonio Regalado]米国版 生物医学担当上級編集者
MITテクノロジーレビューの生物医学担当上級編集者。テクノロジーが医学と生物学の研究をどう変化させるのか、追いかけている。2011年7月にMIT テクノロジーレビューに参画する以前は、ブラジル・サンパウロを拠点に、科学やテクノロジー、ラテンアメリカ政治について、サイエンス(Science)誌などで執筆。2000年から2009年にかけては、ウォール・ストリート・ジャーナル紙で科学記者を務め、後半は海外特派員を務めた。
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