KADOKAWA Technology Review
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脳と機械との接続で始まる
人類の進化の新しい形
Whitten Sabbatini
カバーストーリー Insider Online限定
The Surgeon Who Wants to Connect You to the Internet with a Brain Implant

脳と機械との接続で始まる
人類の進化の新しい形

将来、人間が脳内にチップを埋め込み、コンピューターとシームレスにやり取りできるようになると真剣に考えている脳神経外科医がいる。すでに、思考するだけで「スペースインベーダー」ゲームをしたり、脳に埋め込んだ電極の信号で人間の意思を解読できるという初期証拠を得たりするなどの研究成果をあげている。 by Adam Piore2018.02.13

映画「ブレードランナー2049」が公開された週末の次の月曜日の朝。手術着とマスクに身を包んだエリック・リューサート医師は、まぶしい照明が照らす手術室の真ん中で背を曲げ、手術台の上の麻酔をかけた患者に覆いかぶさっていた。

脳外科手術の患者だ。リューサート医師は、髪の毛を剃った頭皮に、最初に切開する箇所を示す線を引くと、隣りにいる研修医に向かって尋ねた。「私は彼のことを人間だと思いましたが、確信が持てませんでした。君は彼がレプリカントだと思いませんでしたか?」

「私は、絶対にレプリカントだと思いました」と研修医は答えた。レプリカントとは、ブレードランナーの映画に出てくる、バイオ工学で生み出されたリアルで不気味なアンドロイドのことである。

リューサート医師は研修医に油性マーカーを渡し、メスを手に取ると、「すごく興味深いのは、未来というと必ず空飛ぶ車が出てくることですね」と言った。「それに、未来の暗黒の部分しか捉えていません。生物学やレプリカントについては説明しますが、未来の大きな部分を捕まえそこなっています。たとえば神経補綴(ほてつ)をなぜ扱わないのでしょうね?」

44歳の科学者であり脳神経外科医であるリューサート医師が長い間考え続けてきたテーマだ。リューサート医師は現在、セントルイスにあるワシントン大学の教授であり、脳神経外科医としての仕事に加え、2つの小説と「社会が将来の変化に向けて準備する」ための戯曲(受賞歴あり)を出版している。最初の小説は『RedDevil 4(レッドデビル4)』(未邦訳)というテクノスリラーで、そこでは9割の人間がコンピューター・ハードウェアを自分の脳に直接埋め込むことを選ぶ。埋め込みによって人間とコンピューターがシームレスに接続され、自宅に居ながら広範囲の感覚を体験できることになる。リューサート医師は今から数十年経てば、こうしたコンピューター埋め込み手術が、まるで美容整形手術やタトゥー(刺青)のように、思いついたらすぐにでも受けられるようになると考えている。

「私は人の体を切り開くことが仕事ですから、こういうことを想像するのも簡単なのです」。リューサート医師はいう。

しかし、リューサート医師はこれまでに、こうした未来を単に想像する以上のことを成し遂げてきている。リューサート医師は難治性てんかんの患者の手術を専門とする。手術を受ける患者は全員、てんかん発作の前に起こる神経発火パターンの情報をコンピューターで収集するために、電極を大脳皮質に埋め込んだ状態でメインの手術の前の数日間を過ごす。メインの手術までの期間中、患者は病院のベッドに寝たきりとなるが、これは通常極めて退屈なことだ。15年ほど前、リューサート医師は突然ひらめいた。患者に依頼して実験対象になってもらったらどうだろう。患者たちは退屈がまぎれるし、私も夢の実現に近づくことができる。

リューサート医師は患者にしてもらうタスクを考え始めた。それから、患者の脳の信号を分析することで、脳が人間の考えや意思をどのように符号化しているか、また脳の信号をどう使えば外部デバイスを制御できるかについて何がわかるかを考えた。脳の意図した動きが分かるほど確実なデータを得られるだろうか? 患者の心の中の独り言まで聴取できるだろうか? 認識そのものを解析することは可能なのだろうか?

これらの質問に対して結論のまったく出ない場合もあったが、それでも希望の湧く答えが得られた。少なくともリューサート医師自身が自分の考えが正しいと確信するに足る程の希望だ。だがその考えは、もし彼が自信過剰や思い違いは許されない生死をかけた手術をしている脳外科医でなかったら、狂人扱いされかねないようなものだった。リューサート医師は脳外科手術が危険で恐ろしく、患者への負担が重いことを誰よりもよく知っている。しかし、脳を理解しているからこそ、脳の限界も、それを乗り越えるためのテクノロジーの可能性も、はっきりと見ることができる。リューサート医師の主張によれば、世界がいったんその有望性を理解し、テクノロジーが十分に発展しさえすれば、人類は有史以来ずっとしてきたことを今後もするだろう。すなわち、人類は進化する。今回は脳にチップを埋め込むことで。

「真に流動性のある神経統合が起ころうとしています。単なる時間の問題です。大きな枠組みでは10年か100年かかるとしても、人類の歴史の道筋の中で起こる肉体的な発展なのです」。

脳コンピューター・インターフェースという奇抜な野望を抱いているのは、もちろんリューサート医師だけではない。2017年の3月には、テスラ(Tesla)とスペースX(SpaceX)の設立者であるイーロン・マスクが、心とコンピューターの融合を促進するデバイスの開発を目指す「ニューラリンク(Neuralink)」というベンチャー企業を立ち上げた。フェイスブックのマーク・ザッカーバーグCEO(最高経営責任者)も同様の夢を表明しており、心で思うだけでテキストを入力できるインターフェースの開発に社内のエンジニア60人が当たっていることを、2017年の春に明らかにしている。オンライン決済会社、ブレインツリー(Braintree)の設立者であるブライアン・ジョンソンCEOは、個人資産を投じて「カーネル(Kernel)」を設立し、知能や記憶力を強化する人工神経を開発しようとしている。

ただし、これらの開発計画はすべて初期段階にあるため、秘密のベールに包まれている。そのため、どれだけの進歩があったのか分からないし、目標そのものがおよそ現実的なものなのかどうかすら判断できない。脳コンピューター・インターフェースには数えきれないほどの課題がある。イーロン・マスクやマーク・ザッカーバーグなどの人々が考えているデバイスには、単にシリコン製のコンピューターと、人間の脳という灰色のぐちゃぐちゃな物体を機械的にシームレスにつないで交信をするための優れたハードウェアさえあればよいわけではない。脳の1000億近いニューロンが絶えず発している膨大なデータを理解する計算能力も必要だ。さらなる問題がある。脳がどんな符号を使っているのか、まだ分かっていないのだ。つまり、人間の心を読む方法を発見しなければならないわけだ。

そうではあっても、たとえばリューサート医師は自分が生きているうちに脳コンピューター・インターフェースが実現すると考えている。「現在のテクノロジーの変化のスピードなら、20年後に現在の携帯電話のすべての機能が米粒1つの大きさの中に入ってしまうことも想像に難くありません。もしそうなれば、最小限の侵襲性で頭の中に入れることも可能になり、脳コンピューター・インターフェースの実現に近づくでしょう」。

脳を読み解く

科学者には昔から知られていることだが、人間は神経発火のおかげで動き、感じ、考えることができる。だがニューロン同士、あるいはニューロンと体の他の部分が伝達する符号を解明すること、つまりそうしたやり取りを実際に聞く方法を開発して脳細胞がどのように人間の体を機能させているか正確に理解することは、今に至るまで神経科学における最も困難な問題のひとつである。

1980年代初期に、ジョンズ・ホプキンス大学のアポストロス・ジョーゴプーロスというエンジニアが、現在の脳コンピューター・インターフェース革命に至る布石を敷いた。ジョーゴプーロスは、たとえば手首を右にさっと動かしたり、腕を下方向に押すなどの特定の動作をするのに先立って、運動皮質の比較的高レベルの処理をするニューロンのどれが発火しているか特定した。この発見が重要な理由は、それらの信号を記録して動作の方向や強さを予測できるからだ。こうした神経発火パターンの中には、比較的低レベルの多数のニューロンが一緒に働く振る舞いを導いて、個々の筋肉、そして最終的に手や足を動かすものもある。

ジョーゴプーロスは数十個もの電極を配列してこれらの高レベル信号の追跡した。そして、サルが3次元空間でジョイスティックをどちらに動かすか、動きの速さや、それが時間的にどう変化するかまで予測できることを示した。

これこそ間違いなく、麻痺患者が補装具を思考によって制御するのに使えるデータに思えた。1990年代、この研究にジョーゴプーロスの弟子の1人、アンドリュー・シュヴァルツ(Andrew Schwartz)が取り組んだ。現在ピッツバーグ大学の教授を務める神経学者シュヴァルツは、1990年代後期にサルの脳に電極を埋め込んで、手足の装具を思考だけで制御するように訓練することが実際に可能である …

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