KADOKAWA Technology Review
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Kasparov Thinks Deeply about His Battle with a Machine

AIに負けたチェスの天才カスパロフが考える、機械と共生する未来

IBMのコンピューター「ディープ・ブルー」とチェスの元世界チャンピオン、ガルリ・カスパロフの歴史的対局を、カスパロフ側から回顧することは、ずっと待ちわびられていた。カスパロフの新著は、日々性能を増していく知性を宿す機械と共生する未来について考える糧となるだろう。 by Jonathan Schaeffer2017.07.13

IBMのコンピューター「ディープ・ブルー(Deep Blue)」と、チェスの元世界チャンピオン、ガルリ・カスパロフ(Garry Kasparov)の1997年の有名な対局を、カスパロフ側から回顧することは、ずっと待ちわびられていた。ディープ・ブルーの勝利に終わった全6局の公開対局は、人工知能の歴史における画期的出来事とされてきたが、(人間の)チェス界にとっては悲しみの一日として記憶されてきた。

しかし、重要な事柄というのは概して白黒つけがたいものだ。新著『Deep Thinking』で、カスパロフと長年の共著者ミグ・グリーンガードは、対局前と対局中、そして対局後のカスパロフの体験とチェス用人工知能(AI)の歴史的概観を結びつけ、日々性能を増していく知性を宿す機械と共生する未来について考える糧となる、良質で読みやすい本に仕上げている。

ディープ・ブルーとの対局結果への洞察を目当てにこの本を購入するであろうチェス愛好家たちの多くは、今まで一般に知られていなかったカスパロフの一面を知って驚くことだろう。カスパロフは、年月を経て円熟味を増したのだ。絶頂期のカスパロフは、態度に自信が溢れ、傲慢だとみなされることもよくあった。容赦ない完璧主義者で、自らの行動や公の発言を省みなかった。ところが、Deep Thinkingには、カスパロフがディープ・ブルーとの対局についてかなりの内省をしたことが明確に表れている。かつての非難は承認へと代わった。文中の数カ所で、カスパロフが自らの振る舞いを謝罪していることはかなりの驚きだ。次のような文章で、ディープ・ブルーとの熱戦のさなかに彼が呈した苦言の多くを取り下げている。

「ディープ・ブルーは不正行為をしましたか?」という質問を、数え切れないほど何度も受けてきた。これに対する私の正直な答えはいつも「さあね。分からないよ」というものだった。 しかし、20年間の省察、新たな事実の発覚、そして分析を経た今、その質問に対する私の答えは「ノー」である。

それでも、カスパロフの腹中ではまだ競争心の炎が燃えている。それは対局後の顛末に対する怒りからも明らかだ。自らが希望し、また大衆も望んだ再戦の機会を、カスパロフは得られなかった。しかしカスパロフはこの点を非難し続けるのではなく、「科学こそがこの裏切りの真の被害者だ」として、遺憾の念を示している。

AIおよびテクノロジー分野の人々は「マシン・インテリジェンスが終わり、人間の創造性が始まる地点」というキャッチフレーズに興味をそそられてこの本を買うかもしれない。本書では、人間と人工知能の共生関係の可能性について、良質にして簡潔な考察が展開される。そこでは、「アウトソーシング」 とは忠実なコンピューターの召使いに電話番号を記録させるといった単純な認知的作業を指すのか、それとも人間と機械が対局するチェスの試合のように、両者が協力して意思決定をする平等なパートナー関係の構築を意味するのだろうか、といったことが述べられている。

AIテクノロジーやAIが人間の生活を向上させる可能性についてのカスパロフの見方は、全体を通じて楽観的である。最近、AIにまつわる悪評が相次ぐ中、読んでいて気分がいいものだ。以下に引用する文章に、AIに対するカスパロフの姿勢がよく表れている。

私たちが、自分たち自身の生み出したテクノロジーに追い越されつつあると感じているとすれば、それは十分に努力していないからであり、夢や目標に対する野心が足りないからである。機械に何ができるかを恐れるより、機械がまだできないことは何かについて悩むべきなのだ。

時間が経過して明瞭さがいくらか損なわれているかもしれないが、 カスパロフの回顧録がついに出版されることになったのは喜ばしい。しかし、この本が出たところで、カスパロフとディープ・ブルーの対局への世間の評価は、本質的には変わらない。これまで、人間を打ち負かすチェッカーやチェスのプログラムを作ることは、イディオ・サヴァン(知的障害や発達障害を持ちながら、特定の分野にのみ突出した才能を発揮する人)を生み出すことと同義だった。 功績の一つ一つが、多くの人材と年月を要する大規模なソフトウェアまたはハードウェア開発プロジェクト、あるいはその両方であった。明らかに、この種の進歩は計測不能である。

さらに、チェスのようなゲームは、人間が扱う問題のほんの一部分を表しているに過ぎない。ゲームには明確なルールがあり、決して変わらない。対戦の場となるボードは小さく、偶然はなく、隠された情報もなく、結果は勝ちか負けしかない。こうした条件は、現実世界には全く当てはまらない。2014年にグーグルにより買収された英国のAI企業ディープマインドが開発した囲碁対局プログラム「アルファ碁(AlphaGo)」には、より広範に活用できる可能性があるかもしれない。しかし、ディープ・ブルーは汎用的な問題解決能力を一切備えていなかった。ディープ・ブルーは歴史上の興味深いデータ・ポイントではあるが、AI分野への長期的な影響力をほとんど持たないのはこのためだ。

チェスの世界で至高の地位を築いたガルリ・カスパロフは、2005年に引退したあと、チェスよりはるかに難しいゲーム、政治に挑んだ。チェスプレーヤーとしてのキャリアの中で、多くのキングの駒を、そしてチェス王者の候補者たちをチェックメイトしてきたカスパロフは今、ウラジミール・プーチン政権打倒に心血を注いでいる。カスパロフが自らのキャリアを劇的に変える決断を下せるということ、新しい挑戦のために自分を鍛え、行動計画を立てられるということ、常に変化する、個人的なリスクに満ちた、いちかばちかの環境のなかでその計画を実行できるということが、人間と機械の間に残っている差異を雄弁に物語っている。この本の執筆もまた同様だ。ディープ・ブルーとアルファ碁はどちらも素晴らしい研究成果だが、カスパロフが一人の人間として成し遂げられる物事には、まだまだ遠く及ばない。

ジョナサン・シェファー博士は、アルバータ大学教授・理学部学部長。アメリカ人工知能学会のフェローでもある。

 

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クレジット Photograph by Noam Galai | Getty
jonathan.schaeffer [Jonathan Schaeffer]米国版
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