MITメディアラボ所長の伊藤穰一は、辞任を迫られている。性的搾取の疑いがある投資家、ジェフリー・エプスタインから研究資金を調達していたことを明らかにしたためだ。だが、9月4日になり、1985年にメディアラボを共同設立し、20年間所長を務めていたニコラス・ネグロポンテが、伊藤所長にエプスタインからの出資を受けることを勧めていたことを明らかにした。ネグロポンテは、「時計を巻き戻せたとしてもなお、私は『受け取れ』と言うでしょう」と付け加えた。彼はさらに強調して、「『受け取れ』とね」と繰り返した。
9月4日の午後、メディアラボの総会の最後に述べられたネグロポンテの発言は、参加者の多くに衝撃を与えた。少なくとも参加者の一部は、エプスタインに性的搾取の疑いがあることを知っていたとしても、資金援助を支持しただろう、との意味でネグロポンテの発言を受け止めていた。
この記事でも9月4日の公開当初、そのような趣旨でネグロポンテの発言を紹介した。ネグロポンテはMITテクノロジーレビューのコメントの要請には応じなかったが、その後ボストングローブの取材に応じ、発言はエプスタインから資金援助を受けるという最初の決定の正当性だけを主張するものだったと認めた。「今日明らかになっている事実を考えると(中略)、誰も彼からお金を受け取るべきではありませんでした」とネグロポンテは回答した。 「しかし、(性的搾取が明らかになっていなかった)当時の状況を考えれば、時計を巻き戻したとしても、彼のお金を受け入れていたでしょう」。
いずれにしても、ネグロポンテの発言により、少なくとも対外的には、エプスタインとの関係が主に伊藤の責任であったとする見方が変わる可能性がある。ネグロポンテはもはやメディアラボの所長ではないが、彼の発言は、非常に多くの知的著名人がエプスタインとつながりを持つに至った理由を理解する一助となる。
やれやれ
8月に自殺したエプスタインは、7月に逮捕され、数年間にわたり性的目的の人身取引をしていたとして起訴されていた。彼は2008年に、未成年の少女を買春したとして有罪判決を受けていた。エプスタインは多くの有名な科学者のパトロンであり、遺伝学者のジョージ・チャーチ、生物学者のマーティン・ノヴァク、物理学者のローレンス・クラウス、進化生物学者のロバート・トリバーズなども彼の支援を受けていた。
2011年からMITメディアラボを率いている伊藤は、8月、メディアラボと自身のベンチャーの両方でエプスタインから資金を受け取っていたことを明らかにした(伊藤はMITテクノロジーレビューのボードメンバーを兼務しているが、テクノロジーレビューの資金はMITの一般予算から拠出されており、エプスタインの資金は使われていない)。伊藤がこの事実を明らかにしたことは、MITシビックメディアセンター(Center for Civic Media)を運営する、著名なテクノロジー活動家イーサン・ザッカーマンの辞任につながった。ザッカーマンは、エプスタインと会わないよう、2014年に伊藤を説得したと語っている。また、メディアラボの客員研究員であるJ.ネイサン・マティアスも、本件を受けて辞任した。ザッカーマンもマティアスも、辞任に関するコメントの要請には応じていない。
9月4日の会議は、論争を巡る関係者の緊張を和らげ、根本原因の解決に取り組むことを可能にするべく、極めて練られたものであった。皆で深呼吸をするところから、会議は始まった。その後、主催者が、90日間の行動計画を参加者に示したのち、伊藤が質問に答える形となった。
辞任を検討したかどうかという質問もあった。伊藤は、一度は検討したが、正義を取り戻す方法について、公民権運動の指導者をはじめ、多くの人々に相談した結果、メディアラボに留まり、再建プロセスを支援するべきだとの結論に至ったと述べた。伊藤は、終始、謝罪的かつ嘆願的な口調で、資金を受け入れた自身の過ちに何度も言及し、関係者に対して与えた苦痛や、自らの不勉強を認めた。「自分という存在は解決策の一部でもありますが、問題の一部でもあります。私自身が、非難すべき対象なのです」。部屋は静かで哀しい雰囲気が漂い、彼のコメントに対して誰も返答しなかった。
その後に続いた質問で、伊藤は、メディアラボ運営のために52万5000ドルの資金をエプスタインから調達したと述べた。その資金は振り分けられ、ラボの全員が何の注意も払わずに使用していた。
全体を通して、会議は穏やかに進行していた。しかし、主催者の一人が会議を終わらせようとしたときに、ネグロポンテは自ら立ち上がり、話し始めた。彼は自分が「金持ちの白人」の特権を持つと評し、その特権をどのように駆使して、億万長者の社会的集団に入り込んだかを述べた。そして、こうしたつながりのおかげで、メディアラボは、マサチューセッツ工科大学(MIT)の中で唯一、授業料を徴収せず、人々に給料を全額支払い、研究者が知的財産を保持できる場所であったのだと述べた。
ネグロポンテは、米国の億万長者の80%以上とファーストネームで呼び合うくらいに知り合っていることに誇りを持っていて、エプスタインと時間を過ごすようになったのは、これらの社会的集団を通じてであったと語った。長年にわたる付き合いの間に、ネグロポンテとエプスタインは2回夕食をともにし、2人きりでエプスタインのプライベートジェットに乗り、科学について熱心に語った (エプスタインが2008年に有罪判決を受けた前か後のどちらの話であるかは言及しなかった)。交流を通じて、ネグロポンテはエプスタインとの親交を温め、伊藤に金を受け取るよう、自信を持って熱心に勧めるようになったのだという。
この時点で、ネグロポンテは、現在でも伊藤に同じアドバイスをするだろうと発言していた。会議の参加者はたとえエプスタインに性的搾取の疑いがあることを知っていたとしても、同じ行動をとっただろうとの趣旨で発言を理解しており、矛盾した発言だと受け取っている。ネグロポンテはボストングローブに対しては、「恥ずべき行為でした。彼のお金を取ったことを後悔しています」と語っているからだ。
ネグロポンテのコメントが聴衆を驚かせたことは明らかだった。前列の女性は泣き始め、MITメディアラボの研究科学者であるケイト・ダーリンは、「ニコラス、黙りなさい!」と叫んだ。会議ですでに発言していたザッカーマンは、ネグロポンテと対峙し、ちょっとした小競り合いにまで発展した。ネグロポンテは、資金調達の世界ではこうしたタイプの出来事は常軌を逸脱したことではなく、ビジネス関係を断ち切るのに十分な理由ではないと主張した。ダーリンが再び「黙りなさい!」と叫ぶのと前後して、ネグロポンテは「やれやれ」とつぶやいて席に着いた。その後、すぐに会議は解散した。
「未来の工場」の未来
メディアラボは1985年に設立され、1980年代から1990年代にかけて学際的な研究で有名になった。「他には類を見ない評判と名声があります。ハイテク業界のクールな若者たちは、長い間、メディアラボをほめたたえてきました」。ワシントン大学の技術史家マーガレット・オマラ教授はこう話す。とりわけ、ラボの理想主義的な気風がその理由だ。
カウンターカルチャーのアイコンであるスチュワート・ブランドは、メディアラボについての本を執筆した。ネグロポンテはかつてワイアード(WIRED)に影響力のあるコラムを持っており、また、WIREDの初期の投資家でもあったが、メディアラボのクールなオーラを構築するキーパーソンだった。ウィスコンシン大学ミルウォーキー校の科学史家トーマス・ハイ教授は次のように述べている。「ネグロポンテは、ラボがしていたことを外部に投げかけ、宣伝し、企業から資金を調達することに非常に長けていました」。
9月4日のネグロポンテのコメントにより、エプスタインのスキャンダルをめぐって、MITがより広範な文化的な報いに直面している事実が浮き彫りになっている。伊藤は当日、エプスタインの資金を受け入れる決定を自分一人で下したわけではなく、多くのアドバイザーに検討を依頼し、大学からも完全なデューデリジェンスレビュー(適正さの評価)を受けたと述べた。彼の顧問の多くは、警告することはなく、資金を受け取るよう勧めたという。伊藤の謝罪以来、メディアラボのメンバーであるジョナサン・ツィットトレインやロザリン・ド・ピッカード、ハーバード大学のローレンス・レッシグ教授など、テクノロジー・コミュニティの著名なメンバーが、伊藤を支持する非公式の請願書に署名している。しかしながら、その他のメディアラボと意見を同一にしている人々は、伊藤の辞任を公に求めている。
MITのラファエル・レイフ学長は8月下旬、MITコミュニティ宛てのメールで大学の「判断の誤り」を認めた。 MITはエプスタインから20年にわたって80万ドルを受け取った。その一部は伊藤が所長になる以前のもので、そのすべてがメディアラボまたはMITのセス・ロイド教授に渡されていた。MITのマーティン・シュミット副学長はエプスタインの寄付を調査するためのグループを組織しており、エプスタインの被害者または他の性的虐待の被害者のための慈善団体に、受け取った資金と同額を寄付する予定である。
2019年9月7日、伊藤所長は辞任を発表した。
※この記事は2019年9月7日12時時点での米国版記事の内容に基づいています。以降の米国版記事の更新・差し替えがあった場合にその内容を反映していません。
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- MITテクノロジーレビューの人工知能(AI)担当記者。特に、AIの倫理と社会的影響、社会貢献活動への応用といった領域についてカバーしています。AIに関する最新のニュースと研究内容を厳選して紹介する米国版ニュースレター「アルゴリズム(Algorithm)」の執筆も担当。グーグルX(Google X)からスピンアウトしたスタートアップ企業でのアプリケーション・エンジニア、クオーツ(Quartz)での記者/データ・サイエンティストの経験を経て、MITテクノロジーレビューに入社しました。