KADOKAWA Technology Review
×
厳しい制約下での圧倒的こだわり——世界初の中国語フォント誕生秘話
Louis Rosenblum Collection, Stanford University Library Special Collections
コンピューティング 無料会員限定
Behind the painstaking process of creating Chinese computer fonts

厳しい制約下での圧倒的こだわり——世界初の中国語フォント誕生秘話

80年代初期にパソコン向け中国語フォントの開発に挑む人たちがいた。当時のパソコンは現在のものとは比べものにならないほど性能が低く、アルファベットと記号を表示するのがやっとだった。数え切れないほどの制約がある中で中国語フォントを作り上げるには、気が遠くなるほどの細かい作業が必要だった。 by Tom Mullaney2021.06.08

ブルース・ローゼンブラムが「アップル II」の電源を入れると、ピッと高い音が鳴り、続いてフロッピーディスク・ドライブがカタカタカタと音を立てた。カチカチとキーボードを叩くと、サンヨー製の12インチモニターが光を発し、縦横16×16の緑色の格子状のマス目を映し出す。現れたのは「グリッドマスター(Gridmaster)」のプログラム。このプログラムは世界初の中国語フォントの一つを開発するために、ブルース・ローゼンブラムがベーシック(BASIC)言語で書き上げたものだ。彼は「サイノタイプ(Sinotype) III」という、中国語の入出力が可能な世界初のパソコン実験機に向けてフォントを開発していた。

ローゼンブラムがグリッドマスターを開発したのは、1970年代後半から1980年代前半のことだ。その当時、中国製のパソコンはまだ存在していなかった。そこで、ローゼンブラムのチームは「中国語対応」のパソコンを作るために、アップルIIのプログラムを中国語で操作できるように作り直していたのだ。そのためにやらなければならないことは、数え切れないほどあった。アップルIIのDOS 3.3では中国語の入出力はまったくできなかったため、ローゼンブラムはオペレーティング・システム(OS)をゼロから開発する必要があった。同様に、中国語のワープロもゼロから作り上げる必要があり、ローゼンブラムは数カ月間にわたって、ひたすら作業を続けた。

グリッドマスターは単純なプログラムだったかもしれない。しかし、何千もの漢字のデジタルビットマップを作り上げるには、デザイン上の大きな課題があった。実際、マサチューセッツ州ケンブリッジにあるGARF(Graphics Arts Research Foundation)が開発したサイノタイプIIIのためにフォントを開発する作業は、サイノタイプIII自体のコーディングよりもはるかに長い時間を要した。フォントがなければ中国語の文字を画面に表示することも、ドットマトリクス・プリンターで印刷することもできない。

漢字の字体をデザインするとき、デザイナーはビットマップを構成する256(16×16)のピクセル(画素)1つ1つについて塗りつぶすか否か決めなければならない。しかもこの作業を、フォントに収録する漢字すべての数だけ繰り返す必要があった。ビットマップとは、グリッド(格子線)上に並んだピクセル群を使ってシンボルや画像を形作るデジタル画像の表現形式だ。一般にJPEGやGIF、BMPなどのファイル形式で保存できる。数千種類の漢字それぞれに対して256回の決定が必要だったため、文字通り数十万に上る決定を繰り返すことになり、開発には2年以上かかった。

ブルース・ローゼンブラムがグリッドマスター(「今思えば、控えめに言っても使いにくい」と彼は語った)を開発したことが、ブルースの父であるルイ・ローゼンブラムとGARFに、フォント開発を臨時雇用者に委託することを可能にさせた。アップルIIがあり、フロッピーディスクからグリッドマスターを起動できれば、臨時雇用のデータ入力担当者は遠隔地で新しい漢字ビットマップを作成し、保存できた。漢字ビットマップが作成・保存されると、ローゼンブラム父子は、ブルースが設計した第2のプログラムを使ってビットマップとそれに対応する入力コードをシステムのデータベースに入力することで、サイノタイプIIIに漢字ビットマップをインストールできた。

サイノタイプIIIは市販されることはなかった。にもかかわらず、この中国語のビットマップフォントの開発など、サイノタイプIIIの開発のために必要だった骨の折れる作業は、工学的難問を解決するための大変な国際努力の中核と言えるものだった。その難問とは、世界で最も話者が多い言語の一つである中国語をいかにしてコンピューターで処理するかということだ。

欧米でコンピューターとワープロが市場に出回り …

こちらは会員限定の記事です。
メールアドレスの登録で続きを読めます。
有料会員にはメリットがいっぱい!
  1. 毎月120本以上更新されるオリジナル記事で、人工知能から遺伝子療法まで、先端テクノロジーの最新動向がわかる。
  2. オリジナル記事をテーマ別に再構成したPDFファイル「eムック」を毎月配信。
    重要テーマが押さえられる。
  3. 各分野のキーパーソンを招いたトークイベント、関連セミナーに優待価格でご招待。
人気の記事ランキング
  1. A long-abandoned US nuclear technology is making a comeback in China 中国でトリウム原子炉が稼働、見直される過去のアイデア
  2. Here’s why we need to start thinking of AI as “normal” AIは「普通」の技術、プリンストン大のつまらない提言の背景
  3. AI companions are the final stage of digital addiction, and lawmakers are taking aim SNS超える中毒性、「AIコンパニオン」に安全対策求める声
MITTRが選んだ 世界を変える10大技術 2025年版

本当に長期的に重要となるものは何か?これは、毎年このリストを作成する際に私たちが取り組む問いである。未来を完全に見通すことはできないが、これらの技術が今後何十年にもわたって世界に大きな影響を与えると私たちは予測している。

特集ページへ
日本発「世界を変える」U35イノベーター

MITテクノロジーレビューが20年以上にわたって開催しているグローバル・アワード「Innovators Under 35 」。世界的な課題解決に取り組み、向こう数十年間の未来を形作る若きイノベーターの発掘を目的とするアワードの日本版の最新情報を発信する。

特集ページへ
フォローしてください重要なテクノロジーとイノベーションのニュースをSNSやメールで受け取る