世界初のCRISPR療法、
その知られざる誕生物語
CRISPR技術を利用した世界初の治療法が英国と米国で相次いで承認された。対象となった鎌状赤血球症の治療は長い苦難の歴史をたどったが、思わぬ幸運もあった。 by Antonio Regalado2023.12.19
世界初の商用遺伝子編集治療が、鎌状赤血球症患者の人生を変え始めようとしている。 「Casgevy(キャスジェビー)」と呼ばれるこの治療法は、2023年11月に英国で承認され、米国でも12月8日に承認された。
バーテックス・ファーマシューティカルズ(Vertex Pharmaceuticals)が米国で販売する予定のこの治療法は、ノーベル賞を受賞した分子ハサミ「CRISPR(クリスパー)」を利用している。CRISPRについては、その仕組みを伝えるために「スイス・アーミーナイフ」や「分子メス」「DNAコピー&ペースト」など、記者たちが競ってさまざまな例えを考え出してきた。実際、CRISPRは革命的である。簡単なプログラムで、科学者が狙った正確な位置でDNAを切断できるからだ。
しかし、CRISPRでどこを狙うのか? それこそが、鎌状赤血球症に関するブレークスルーの、あまり知られていないストーリーだ。鎌状赤血球症は、血液中で酸素を運ぶ分子であるヘモグロビンの異常が原因で発症する病気だ。しかし、バーテックスとそのパートナー企業である「クリスパー・セラピューティクス(CRISPR Therapeutics)」は、ヘモグロビン分子の変形を引き起こす突然変異の原因遺伝子を狙うのではなく、一種の分子バンク・ショットを実行する。つまり、子宮内にいるときは持っているが、成人になると失われてしまう「胎児ヘモグロビン」のスイッチをオンにする編集作業である。
この編集の仕組みは、一種の二重否定と考えることができる。成人の体内で胎児ヘモグロビンの生成を阻害するBCL11A遺伝子のターボブースターに、誤った情報を加えるのだ。そのブースターがなければ、阻害が少なくなり、胎児ヘモグロビンが増える。お分かり頂けただろうか。
「エンハンサーを抑制すると、インヒビター(阻害物質)も抑制されます。これは少し複雑なのです」。この記事の執筆に協力してくれたボストン小児病院の主席研究員で、ハーバード大学医学大学院で助教授を務めるダニエル・バウアーはこう説明する。
重要なのは最終的な結果だ。そして、この編集は実際に効果がある。患者の中には、鎌状化の急性発作(赤血球が血管を塞ぎ始めると起こる)によって、あるいは知らない間にゆっくりと進行する臓器障害によって、死ぬことを恐れながら生きていたと言う人もいる。今、初期のボランティア被験者たちは、病が治ったことに感謝し、これまでの人生をこの病とともに生きてきたことを考えると、少しショックでさえあると言う。
新生児理論
胎児ヘモグロビンで鎌状赤血球症を防げるという考え方は、古くからあった。鎌状赤血球症は、アフリカ系の人々に最もよく見られる病気だ。ニューヨーク州ロング・アイランド在住のジャネット・ワトソン医師は1948年、新生児には鎌状赤血球症の兆候(主なものは不恰好な三日月型の赤血球)が見られないことに気づいた。先天性疾患としてはかなり奇妙なことだった。
「鎌状赤血球症は、乳幼児期にも、それ以後と同じくらいの頻度で発症するはずだ」と、ワトソン医師は論文に書いている。 しかし、そうではなかった。そのためワトソン医師は、子宮内で活性化しているヘモグロビンの胎児型が、成人型に取って代わられるまで、出生後数カ月間にわたり赤ちゃんを守っているという仮説を立てた。「すぐに考えつくのは、胎児ヘモグロビンは鎌状赤血球を作れないという説である」。
ワトソン医師は正しかった。しかし、そのような切り替わりの仕組みと、その戻し方が分かるまでには、さらに60年の時間が必要だった。それらの多くは、ハーバード大学医学大学院の研究者であるスチュアート・オーキン教授の研究室で発見された。オーキン教授が最初の論文を発表したのは1967年のことだ。それ以降、分子生物学がまだ黎明期だった頃から、いくつもの年代にわたって血液疾患に関する研究に取り組んできた。
「私は最後に残った者たちの1人です」。オーキン教授はコンビーフサンドを食べながら、ニヤリとして私に言った。
オーキン教授は、ずっと昔に血液系が制御される仕組みを研究すると決めた、賢い科学者である。研究材料の観点から、血液系は非常に良いテーマだった。血液細胞は簡単に入手できて、研究しやすいからだ。
「私は問題を解決するのが好きです。そして、ここに解決できるかもしれない問題があります。このシステムはどのように機能しているのでしょうか? それに関して何かできることはあるのでしょうか?」
特製ソース
8年前に最初にこの治療法の開発に着手したバイオテクノロジー企業、クリスパー・セラピューティクス(後にバーテックスがパートナーとして加わる)で最高科学責任者(CSO)を務めたビル・ランドバーグによれば、同社の鎌状赤血球症プロジェクトはオーキン教授の発見を直接利用したという。「スチュアートの役割は正しく評価されていません。スチュアートの研究室は数年の間に一連の実験に取り組み、実験のたびに新しい学生が1人携わりました。そして、それらの実験のどれもが『サイエンス』誌や『ネイチャー』誌で発表されました。それが、最終的に私たちが使うことになった特製ソースでした」。
メディアがCRISPR編集を賞賛している様子を見ると、多くの人はCRISPRが本当に得意なのは遺伝子に傷をつけることであって、きれいに書き換えることではないことを理解していない(ただし、もうすぐそれも可能になるだろう)。初期のCRISPRスタートアップ企業にとってCRISPR編集とは、無効にすべき遺伝子を見つけることを意味した。病気を後戻りさせるために、ゲノムの何を壊すことができたのだろうか?
エディタス・メディシン(Editas Medicine)、インテリア・セラビューティクス(Intellia Therapeutics)、クリスパー・セラピューティクスの3社は、それぞれ2014年前後に、ベンチャー・キャピタルから多額の支援を獲得した。3社にとっては、人々のゲノムを改変することを考えるだけでも、十分過激に思えた。「私はこう言いました。世界の問題を解決するのはやめよう。単純化しよう。我々がどこを編集すればその病気が治るのか、ヒト …
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