中国反体制派の救済を掲げた米ヤフー人権基金、その失敗の内幕
米ヤフーが設立した人権基金は、中国の反体制派を支援する目的で設立された。だが、その不明瞭な資金の動きに対する訴訟では、実際の支援に用いられた資金はごくわずかだった可能性が明らかになっている。 by Eileen Guo2024.04.21
現在、巨大テック企業と聞いて米ヤフーを思い浮かべることはまずないだろう。しかし、62歳になる中国の反体制派、シュー・ワンピンにとって、ヤフーはいまだに大きな存在だ。これまで20年近くそうだった(日本版注:本記事におけるヤフーはすべて米ヤフーを指す。同社と日本のLINEヤフーは現在資本関係はない)。
2005年、シューは反日デモに関するネット署名に参加したとして逮捕された。本名を使ってはいなかったが、ヤフーのメールアドレスを使っていた。
当時、ヤフーはシリコンバレーで最大かつ最も影響力のあるテック企業の1つであり、その中国法人のヤフー・チャイナは、黎明期にありながら巨大な潜在力を持つ中国のインターネット市場の開拓に奔走していた。しかし、ほどなくして、ヤフー・チャイナは新たなユーザーたちの信頼を裏切ることになる。特定のメールアカウント情報を中国の司法当局に提供し、中国政府が多くのヤフー・ユーザーを特定して逮捕したのだ。
シューはそのうちの1人で、9年間服役した。これは彼の反体制活動に関連した3度目の判決で、獄中生活のために慢性的な健康問題を抱えるようになった。
現在、シューと他の5人の中国人元政治犯は、ヤフーと一連の共同被告を訴えている(この訴訟も含め、以降の訴訟はすべて米国での裁判だ)。ヤフーの情報共有(これは他の原告が起こした以前の訴訟の焦点だ)ではなく、むしろその後に生じたことが訴訟理由だ。
原告の6人は、ヤフーとその代表者が受託者義務違反をしたと主張している。サイバー反体制派を支援するためにヤフーが設立した基金の大部分が、ヤフーがその管理を任せた人物によって浪費されたというのだ。この訴訟では、時には10年かそれ以上投獄されていた元服役者たちを救うための資金が、代わりに基金の執行者の私腹を肥やすために使われたという事実を、ヤフーは知っており承認していたと主張している。しかし、原告側は企業の再編や組織の入れ替わり、かつての巨大テック企業とその有名な非営利提携団体の殻として設立された新たな法人などによって複雑化し、無数の難題に直面している。
訴訟の焦点は、ヤフー人権基金(YHRF)である。同基金は、中国のヤフーメール・ユーザーとして初めて知られることとなった2人の、注目を集めた2007年の訴訟を解決すべく2008年に発足し、広報上の大惨事と潜在的な規制の悪夢を鎮静化させる役割を果たした。ヤフーが100%出資して設立した同基金は、プレスリリースにあるとおり、「ネットで意見を表明したために投獄された反体制派を、人道的かつ法的に支援する」ことを目的としていた。当時のヤフーのジェリー・ヤン最高経営責任者(CEO)がそのプレスリリースで述べたように、「我々の行動を我々の価値観と一致させる」ためのものだったのだ。
ヤフー人権基金を管理するためヤフーは、著名な中国反体制派から有力な反中活動家となったハリー・ウーと、彼の非営利団体「労改基金会(Laogai Research Foundation)」と提携した。だが今回の訴訟によれば、ウーは同基金の管理を著しく誤り、ネット反体制派の支援に費やされたのは65万ドルに満たない額だったという。それは総額1730万ドルにおよぶ同基金の4%でしかなかった。ある年など、同基金の本来の目的のための支出はゼロだったとされている(一部の被告はこの計算に異議を唱えている)。
訴訟では、ヤフーがこの管理の不手際を知りながら、それを防止できなかった責任を追及している。
実際、訴訟の証拠開示請求で提出されたメール、議事録、宣誓証言により、ヤフー幹部が基金の使われ方に私的な不満を抱いていたことが明らかになっている。例えば、2013年4月、ヤフー人権基金理事会メンバーのヤフー側の代表は別の理事に、基金の増額と、使途にさらなる自由を求めるウーの最新の要求を阻止する取り組みで連携しようとしてメールを送っている。
「本当に必要なのは、介入だと思います」とその理事は書いた。
メールを送られた理事は、「ははは。それにたぶん、強い酒も必要ですね」と答えている。
原告側のタイムズ・ワン弁護士は、「最も衝撃的」なのは「ヤフー人権基金の内部」の人々の間に「反体制派のためにもっと何かすべきだ、ヤフー人権基金の支出はバランスが悪い、といった見方に対する異論がほとんどなかったにもかかわらず、何とかしようとする気概を持つ者は誰もいなかったことです」と述べた。
「悪評が立つことを心配したのです」とワン弁護士は付け加えた。
(ヤフーのソナ・ムーン最高広報責任者は、ヤフー人権基金の広報的価値に関する具体的な質問には答えなかったが、メールによる声明の中で、今回の訴訟は「ヤフーによる人権侵害を訴えるものではありません。今回の訴訟は、ヤフーの現在の事業や所有権とはまったく無関係です。当社は、活動するあらゆる場所で、人権を尊重し擁護する義務を真摯に受け止めています」と述べた)。
訴訟は過去に起こったことに主眼を置いてはいるが、原告たちは自分たちと同じような人々の将来についても懸念している。彼らは裁判所がヤフーに対し、特にネットで意見を表明したために投獄された中国の反体制派を金銭的に支援するという、ヤフー人権基金と同様の目的を、明示的かつ強固に擁する新たな人道基金の設立を命ずるよう求めている。
そのような支援の必要性は、これ以上ないほど緊急なものだ。非営利団体のフリーダム・ハウス(Freedom House)によると、中国は9年連続で「インターネットの自由に最悪の環境」にあるという。フリーダム・ハウスのヤチウ・ワン中国・香港・台湾担当研究部長によると、公になった違反行為は真の状況の氷山の一角を示すに過ぎないという。中国の裁判制度が不透明さを増しており、自己検閲のレベルも高いためだ。
これらすべては、ヤフーとヤフー人権基金で生じたことよりはるかに大きな話なのだ。個々のユーザーと企業の利益が相反する場合にテック企業が取る選択と、その結果に直面したときに取る行動に関することなのだ。真の変化をもたらすか、単に世論をなだめるのか。
ヤフーが20年前に直面した状況は多くの点で、現在の最大手テック企業が権威主義的な政権下での運営で直面する状況と同じである。例えば、カリフォルニア州の裁判官は2023年7月、シスコ・システムズに対する長期にわたる訴訟を前進させ、中国のインターネット監視装置構築におけるシスコ・システムズの責任を問うことができると判決を下した。原告やその家族の逮捕、拘束、拷問につながったとされるものだ。
ワシントンD.C.に拠点を置く人権擁護団体「中国人権擁護者(Chinese Human Rights Defenders)」のウィリアム・ニー調査・擁護担当は、この裁判は少なくとも「中国でビジネスをしようとする企業に、さまざまな意思決定が、人の命に現実的、具体的に影響をおよぼす可能性があることを思い起こさせるのに役立ちます」と述べた。
イメージ・リハビリ
ヤフーが中国に進出した1998年当時、「Yahoo.com」は毎日9500万人以上のユーザーが訪れる、インターネットで最も人気のあるWebポータルだった。しかし、中国での運営において、ヤフー・チャイナは選択を迫られた。中国の国家安全保障当局の要請に協力するか、ユーザーのプライバシーを、ひいては安全を守るのか。
2002年、当時のヤフーのテリー・セメルCEOは、ユーザー情報を中国の司法当局に提供すると決断した。これが同年9月、ヤフーのメール・グループで一党独裁の終焉を訴えた、反体制派のワン・シャオニンの逮捕へとつながる(この訴訟においてセメルCEOの名は見られず、同社の一連の行動に同CEOを直接結びつける公的証拠もない)。
そして2005年、別のヤフー・ユーザーであるジャーナリストのシー・タオが、「国家機密を外国団体に違法に提供した疑い(中国共産党が不同意の政治的言論に対してしばしば使用されるフレーズ)」で逮捕された。シー・タオの事例は明るみに出た初のケースで、 世論の反発とそれに続くヤフーのビジネスへの打撃は激しく、すばやいものだった。「ヤフー幹部を標的にした一連の議会公聴会、訴訟、(公聴会当日の)5%の株価下落、ボイコットの呼びかけ(中略)、そして世界各地でのネガティブ・キャンペーン」とヤフーのグローバル公共政策担当副社長、デービッド・ハントマンが2012年にヤフー取締役会への社内メールの中で当時の状況をこのように要約している。
2007年の議会公聴会で、下院外交委員会のトム・ラントス委員長がヤフー創業者のジェリー・ヤン(当時は暫定CEO)とヤフー顧問弁護士のマイケル・キャラハンを叱責した忘れがたい言葉がある。「あなた方は財政的にも技術的にも巨人だが、道徳的にはピグミーだ」。
深刻化する危機と、シー・タオの母親とワン・シャオニンの妻が起こした広く知られた訴訟を解決するために、ヤフーは、国際市場に参入する前に基本的人権への影響評価を実施すること、ジョージタウン大学とスタンフォード大学でインターネットの自由のためのフェローシップに資金提供することなどを約束した。
とはいえヤフーの最も有名な対応は、ヤフー人権基金を設立してネット反体制派を支援することだった。2008年のある報道発表によると、「ヤフーのサービスを利用して自己を表現する個人」を「最優先で支援する」と述べている。
中国の反体制派として高い知名度を誇るハリー・ウーは、ヤフー人権基金を率いるのに当然の人選と思われた。 ウーはワシントンD.C.でよく知られており、それも彼の魅力の1つだった。彼は「労改」、すなわち「重労働による矯正」を実行することで知られる中国の収容所で19年間生き延びたことで有名だった。その後、1985年にカリフォルニア大学バークレー校の客員研究員となる。何度か中国に帰国しており、1991年にはビジネスマンを装って中国の工場における囚人労働の実態を暴露するため、米国のドキュメンタリー番 …
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