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野入亮人:シリコン量子ビットで大規模化の壁に挑む研究者
野入亮人(理化学研究所)/提供写真
Trajectory of U35 Innovators: Akito Noiri

野入亮人:シリコン量子ビットで大規模化の壁に挑む研究者

理化学研究所の野入亮人は、シリコン中の電子スピンを用いた半導体量子コンピューターの研究者だ。開発競争が熱を帯びる中、世界初の実用的な制御精度を実証し、次の難題である大規模化への道筋を探っている。 by Yasuhiro Hatabe2026.07.16

量子コンピューターは超伝導、イオントラップ、中性原子、光量子、半導体など多様な物理系が並び立ち、どの方式が本命になるかはまだ見えていない。シリコン中の電子スピンを使う半導体方式は、既存の半導体集積技術との親和性が高く、大規模集積に向いているとして有望視されている。グーグルやIBMが主導する超伝導方式に比べると開発はやや遅れているが、近年はインテルなどの半導体企業も参入し、研究は活発化している。

理化学研究所(以下、理研)の野入亮人は、この半導体方式の量子コンピューターの開発を牽引する研究者の1人だ。独自のデバイス設計と動作条件の最適化により、少数の量子ビット系で基本操作の精度を実用化に必要な水準まで高め、半導体方式が超伝導方式に肩を並べられることを示した。論文は2022年に『ネイチャー』(Nature)誌に掲載され、離れた量子ビット間を量子的に結ぶ技術や、半導体方式で初となる誤り訂正の原理検証にも成功している。こうした成果が評価され、2023年に「Innovators Under 35 Japan(35歳未満のイノベーター)」の1人に選出された。2024年には量子ビットの高精度読み出しを実証するなど、その後も成果を重ね、現在は理研で上級研究員を務めている。

シリコン量子コンピューター試料/提供写真

「精度」から「規模」へ、移りゆく主戦場

量子コンピューターを社会に役立てるには、高精度に制御できる量子ビットを100万個規模で並べる必要があると言われている。だが量子情報はノイズに弱く壊れやすいため、そのままでは正しい計算結果が得られずエラーになってしまう。そのため、計算途中で誤りを検出して直す「誤り訂正」が欠かせない。その誤り訂正が機能するには、量子ビットの初期化・操作、および状態の読み出しといった基本動作をそれぞれ高い精度(おおむね99%以上)で実現することが条件となる。

「2022年頃までは、数を増やすことは一旦置き、まずは1、2個の量子ビットで誤り訂正に必要な精度を達成しようというのが半導体方式の量子コンピューター研究の共通認識でした」と野入は振り返る。世界中の研究者が「誰が最初に達成するか」を競ったが、その目標は一段落した。そして今、競争の軸は「量子ビットの数をいかに増やすか」という大規模化へと移っている。

野入も、2022年頃までの1〜3量子ビットから、2025年頃の5量子ビット、さらに10量子ビット以上のデバイス(テストチップ)へと規模を広げてきた。ただ、数ビットから10ビット程度への拡大は、これまでの技術の延長線上で地道に取り組めば到達できる。問題はその先で、「現在のアプローチを積み重ねても100万量子ビットには絶対につながらない」と野入は言い切る。「本当に大規模化につながる構造を、改めて考え直さなければならない段階に来ている」。

数学から物理へ、そして量子へ

野入は、数学科で修士を修めた父の影響で数学者の評伝などに親しんだこともあり、高校時代は数学に関わる道を漠然と考えていた。だが東京大学に入学して数学の講義を受けると「自分には抽象的すぎる」と感じ、より「意味が分かる」物理へと関心を移す。当時の野入にとって宇宙や素粒子理論の研究の印象が強い理学部よりは、実験やデバイス、材料を通して基礎物理を学べるということで工学部の物理工学科を選んだ。

転機となったのは、学部4年での樽茶清悟教授の研究室への配属だ。材料、物質科学よりもデバイス寄りの研究に興味があり、かつ「人柄が優しそうだったから」という理由で門を叩き、提示された研究テーマの中から量子コンピューターの基礎につながるものを選んだ。当時はまだ、この分野が今ほど注目されていない時代である。思い通りにいかない卒業研究をどうにか形にするなかでおもしろさに目覚め、修士、博士へと進学。学生時代はデバイスを作りやすいガリウムヒ素を扱っていたが、後に特性に優れるシリコンへと対象を移し、樽茶教授が理研に構えた研究室でそのまま研究を深めていった。気づけば15年、同じテーマと向き合い続けている。

少ない試行で「正解」に近づくために

量子コンピューター研究の潮流が大規模化へ向かう中、野入が痛感しているのはアカデミアという立場の制約だ。インテルのように大規模な体制で幅広い検証を進める大企業に対し、限られた人員で真正面から同じ戦い方で挑んでも太刀打ちできない。だからこそ「限られたリソースで、いかに確度高くアプローチを絞り込むか」が腕の見せどころだと野入は考えている。そのために意識しているのは、公開された最新の研究動向をいち早く捉え、「できるだけ少ない試行回数で有望なアプローチにたどり着く」ことだ。

目標が世界全体で共有されていた2022年頃までは「いかに早く達成するか」だけを考えていればよかった。それに対して大規模化への最適なアプローチはまだ誰にも分からない。何をどう進めるかを自分で考える余地がある分、「そこにまた別のおもしろさがある」と野入は感じている。

野入は内閣府のムーンショット型研究開発事業にも参加している。2050年の誤り耐性型汎用量子コンピューター実現を目指すこの国家プロジェクトにおいて、恩師である樽茶PMが率いるチームに加わり、2030年までに100〜1000量子ビット規模のシステムを構築するという当面の目標に向かってチップの設計・作製を担っている。1000量子ビットを見据える大規模なチップの製造は、基礎研究用の理研のクリーンルームでは歩留まりや再現性に限界があるため外部に委託するが、設計から完成まで1年ほどを要する。試行錯誤のサイクルをすばやく回すには要素技術の検証を理研で進める必要があり、そこに自身の役割を見いだす。

量子情報処理に向けた高速かつ高精度な量子状態の測定を可能にする、2つの電子を閉じ込めたシリコンデバイス/提供写真

「あとは並べるだけ」の構造を目指して

最大の課題は、大規模化の方針がまだ定まらないことだ。インテルやHRL研究所(HRL Laboratories)は、それぞれの方針で開発を進める。2026年3月の米国物理学会などでも競合の躍進は著しい。HRLが約20量子ビットのデバイスで集積化への道筋を示し、インテルは1000量子ビット規模を視野に入れた開発を加速している。

理研は独自の方針をとるが、そのアプローチが本当に大規模化し得るかは「まだまったく分からない」。だからこそ野入は、個人研究として採択された科学技術振興機構(JST)の「さきがけ」において、量子ビット数には一旦こだわらず、「真に大規模化につながる単位構造(ユニットセル)」そのものの探求に取り組んでいる。それさえ実証できれば、あとは並べるだけになるはずだからだ。やるべきことは以前よりはるかに多く、少人数のチームでどう分担するかの設計が問われる。

タイムリミットは明確だ。ムーンショット事業の当面の区切りとなる2030年頃までに、少なくとも数十量子ビット規模で誤り訂正を機能させ、この「あとは並べていけばよい」という構造を示さなければならない。「動くものを作って見せなければ、その後の投資がどうなるか分からない」からだ。正解がまだ誰にも見えない中で、野入は半導体量子計算の次の一手を着実に積み上げていく。

この連載ではInnovators Under 35 Japan選出者の「その後」の活動を紹介します。バックナンバーはこちら

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畑邊 康浩 [Yasuhiro Hatabe]日本版 寄稿者
フリーランスの編集者・ライター。語学系出版社で就職・転職ガイドブックの編集、社内SEを経験。その後人材サービス会社で転職情報サイトの編集に従事。2016年1月からフリー。
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