KADOKAWA Technology Review
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新型コロナ飲み薬
ワクチンだけじゃない
「最速誕生」の舞台裏
Nico Ortega
生物工学/医療 Insider Online限定
How Pfizer made an effective anti-covid pill

新型コロナ飲み薬
ワクチンだけじゃない
「最速誕生」の舞台裏

異例のスピードで進んだ新型コロナ・ワクチンの開発が注目を浴びる一方で、ファイザーは飲み薬の開発も急ピッチで進めていた。新しい次のパンデミックへの備えにもつながる可能性がある。 by Antonio Regalado2022.02.15

パンデミック発生当初、世界が注目していたのは、これから作られるであろうワクチンのことだった。2020年5月、米国はワクチン開発に数十億ドルを投じる「ワープ・スピード作戦」を発令する。しかしニュース報道の裏側では、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の経口薬を独自開発するための取り組みが静かに、だがワクチンと同等の緊急性と希望をもって進められていた。

世界を変える10大技術 2022年版
この記事はマガジン「世界を変える10大技術 2022年版」に収録されています。 マガジンの紹介

コネチカット州にある大手製薬会社・ファイザーの研究所の化学者たちは、2003年のSARS(重症急性呼吸器症候群)のアウトブレイクの時に生まれたアイデアをいくつか蔵出しした。ウイルスが自身を複製する方法を調整する「プロテアーゼ」というタンパク質の働きは、ウイルスのライフサイクルの一部として当時からよく知られており、それをブロックすることは有効な攻撃方法として明らかだった。このタンパク質に十分に結合する化学物質があれば、体内でのウイルスの複製を止め、重症化する可能性を下げることができる。

研究者たちはまもなく運を掴んだ。ファイザーが調べたところ、人体に存在するおびただしい数のタンパク質の中には、SARS-CoV-2(新型コロナウイルス)へ干渉するためのターゲットとしていた分子片と同じ構造のものは見つからなかったのだ。ということは、ウイルスに強い作用を及ぼしても、大きな副作用は起こらない。自然が科学者にもたらした大金星である。ファイザーの化学者であるダフィド・オーウェンは、「私がこれまで扱った中で最も確かな生物学的標的です」と語る。

ファイザーは数百種の化学物質を並行して試験し、最も見込みのあるものを大量に作ることで薬の開発スピードを上げた。2020年12月に米国初の新型コロナ・ワクチンが認可された頃には、後に「パクスロビド(日本では「パキロビッド」)」と名付けられる薬は動物実験の段階にあった。ヒトでの臨床試験が始まったのは2021年3月のことだ。

2021年秋には、ファイザーは成功を宣言できるはずだった。だがモニタリング委員会によってヒト臨床試験の中止が決定されてしまう。パクスロビドを投与された患者は死亡しなかったが、ダミー薬を投与された患者が死亡したというのが理由だった。ファイザーで医薬品設計を指揮するシャーロット・アラートンは、「信じられない瞬間でした」と振り返る。ワクチンの開発からは1年近く遅れをとっているが、アラートンはパクスロビドがひとつの記録を打ち立てたと考えている。製薬会社が新種の化学物質を合成し、それが安全に病気を治療できると証明するまでの最速記録だ。

ファイザーが実施したワクチン未接種者の志願者を対象とした試験では、新薬が新型コロナの重症化率を89%下げることが示された。結果は絶好のタイミングで得られた。感染者数も死者数も過去最高に迫る時期だったのだ。感染速度の速いオミクロン株は、米国内だけでも連日膨大な数の感染者を出している。2021年12月22日に抗ウイルス経口薬の販売を許可したジョー・バイデン大統領は、これを「ゲームチェンジャー」と呼んで宣伝した。

これまで世界が注目してきたのは予防のためのワクチンであり、富裕国ではウイルスをブロックする「抗体薬」と呼ばれる高価な点滴薬が使われてきた。ブリスターパック入りの錠剤なら、処方箋があれば夜中であっても薬局で手に入る。医師でソーシャルメディアの専門家でもあるエリック・トポルが言うところの「全く新しいウイルス対策アプローチ」が可能になるのだ。

重要なのは、プロテアーゼが生物学の専門用語でいう「高度に保存された分子」であることだ。つまり、ウイルスが進化してもプロテアーゼはほとんど変化しない。ということは、コロナウイルスがワクチンを無効化するため急速に変異したとしても、今のところパクスロビドはどの変異株に対しても効果を発揮するとみられている。たとえオミクロン株であろうと、将来発生する新たな変異株であろうともだ。

事実としてファイザーが実験室で実施した試験では、パクスロビドはすべてのコロナウイルスに効く可能性が示されている。コウモリが棲むどこかの洞窟にまだ潜むウイルスに対してもだ。もしそれが事実なら、ファイザーは将来発生するかもしれないアウトブレイクにも有効な対策を生み出したことになる。ファイザーの化学者であるオーウェンは言う。「この薬は汎コロナウイルス薬として、将来のパンデミックに備えて備蓄されるようになるかもしれません。それが今回のパンデミックから使えるのです。超高速で完成させましたから」 。

有望な抗ウイルス薬を出しているのはファイザーだけではない。2020年末、「レムデシビル」という薬が新型コロナの治療薬としては初めて米国で承認された。しかしレムデシビルの投与には5日間連続での点滴が必要になる。そのため、インパクトは限られたものであった。一方ファイザーの化学者たちは、抗ウイルス薬を経口摂取できるよう工夫した。

「パクスロビドは、このパンデミックの間に成し遂げた大きな一歩だと感じています」と語るのは、ニューヨークにあるマウントサイナイ医科大学の研究者であるクリス・ホワイト助教授だ。ホワイト助教授は2020年、パクスロビドをマウスに投与するためファイザーにスカウトされた。「これこそが新型コロナの治療法になると私は信じています」 。

「処方箋を受け取って薬局に行く。それだけです」とは彼の言葉だ。

用心深い楽観主義

初期の熱狂にもかかわらず、ファイザーの薬はまだ品薄の状態が続いている。

パンデミック収束に向けて必死で取り組むバイデン政権は、ただちに53億ドルを投じて1000万回分のパクスロビドを昨年12月に先行購入した。その数週間後にはさらに1000万回分を追加購入している。しかし、この2000万回分が全て使えるようになるのは今年の中頃を待たなければならない。現在猛威を振るうオミクロン株に対処するには遅すぎるのだ。

さらに医学研究者の中からは、ファイザーの華々しい試験結果が楽観的すぎるのでは? と疑問を挟む声もある。薬の認可の決め手になったヒト臨床試験は、およそ2000人を対象とした比較的小規模なものだった。そのため、実際に発揮される効果がそれほど高くないことが後になって判明する可能性もある。ジュネーブ大学病院に所属する医師で、医学的エビデンスを専門とするトーマス・アゴリツァス博士は、「薬の奇跡的な有効性について結論を急ぐべきではありません」と語る。

パクスロビドのもうひとつの短所は、症状が出始めてから5日以内に投与する必要がある点だ。ファイザー自身、社内でその点を課題として挙げている。アナルズ・オブ・エマージェンシー・メディシン(Annals of Emergency Medicine)誌に2021年8月に掲載された研究によると、患者が病院に行くタイミングは平均して症状が出てから5~6日後ということがわかっている。その頃には、重症の人は息を切らし、重篤な肺の機能障害に見舞われている。原因はウイルス自体ではなく、ウイルスに対する体の免疫反応だ。この段階では薬はもう役に立たない。

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