KADOKAWA Technology Review
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完全オーダーメイドの
「超個別化医薬品」が
現実になる日
Matthew Monteith
生命の再定義 Insider Online限定
If DNA is like software, can we just fix the code?

完全オーダーメイドの
「超個別化医薬品」が
現実になる日

グーグルのプログラマーは、娘が持つ遺伝性の難病の治療法を探し回っていた。ようやく出会った希望は、娘の遺伝子変異に特化した完全オーダーメイドな治療薬、すなわち「超個別化医薬品」だった。 by Erika Check Hayden2020.07.08

アイペク・クズに初めて会っても、彼女が稀な遺伝性疾患にかかっているとは分からないだろう。3歳のアイペクは、おもちゃの自動車に乗ったり、自分で「ここが台所」だと決めた場所で「料理」したりしながら、楽しそうに1人で何時間も遊ぶ。しかし、アイペクは病気だ。足が少しふらついており、あまりしゃべらない。もし何もしなければ、20代半ばまでに死ぬかもしれない。アイペクの病気の名前は「毛細血管拡張性運動失調症(略称AT)」といい、DNAのエラーによって引き起こされる。ATにかかると脳細胞が減り、感染症やがんにかかる危険性が高まる。

ATは、医師が落胆して首を横に振る類の難病だ。しかし、アイペクの父親メフメット・クズと母親トゥグバは、アイペクがこの運命から逃れて欲しいと願っている。グーグルのプログラマーであるメフメットが根気強かったことも助けとなって、2020年1月にアイペクは、個人の遺伝子変異に合わせた「超個別化医薬品」の投与を受けられる最初の米国人患者のうちの1人になることができた。ボストン小児病院のティモシー・ユー医師がアイペクのために設計した超個別化医薬品は、病名ATとアイペク(Ipek)の名にちなんで「アティペクセン(Atipeksen)」と名付けられた。

ユー医師は、アティペクセンを作るために、遺伝子治療などの最近のバイオテクノロジーの成功例を参考にした。がん治療薬などの新薬の中には、患者の細胞内の遺伝情報を直接操作して病気を治療するものがある。現在、ユー医師のような医師たちは、これらの治療方法はコンピューター・プログラムのように変更できることを知っている。プログラムのコードを変更して治療薬のプログラムを変更すれば、アイペクの稀な遺伝性疾患を含めた多くの遺伝性疾患を治療できる可能性がある。

この新しい治療戦略は、理論的には、希少疾患(大多数は遺伝子のコピーミスによって引き起こされたもので治療法がない)にかかっている数百万人もの人々の助けになるだろう。米国の規制当局は2019年に、80以上の症例の要請に応じて個人や非常に小さな患者集団に遺伝子治療を許可し、今後はオーダーメイド治療を現在よりも容易に実施できるようにするための措置を講じる可能性があるとしている。クリスパー(CRISPR)を使ったカスタム遺伝子編集治療などの新しいテクノロジーの実用化は、すぐそこまで来ている。

「我々が希少疾患の患者を助ける立場になれるとは、考えたことすらありませんでした」と話すのは、バイオテクノロジー起業家のスタンリー・クルークだ。クルークはカリフォルニア州カールスバッドを拠点とするアイオニス・ファーマシューティカルズ(Ionis Pharmaceuticals)の創業者兼CEO(最高経営責任者)である。「現在は驚くべき瞬間なのです」。

アンチセンス医薬品

ただし現時点では、保険会社はオーダーメイドの遺伝子治療薬には保険金を支払っておらず、そうした治療薬を製造している企業もない(計画中の企業はある)。これまでにオーダーメイドの遺伝子治療薬を使うことができた患者は数えるほどしかおらず、しかも通常は離れ業のような政治的圧力と資金調達によって実現されている。メフメット・クズのようなデータ・プライバシーに取り組んできたプログラマーが個人に合わせた遺伝子治療薬を最初に求めた1人だったのは、不思議なことではない。「コンピューター科学者だったからこそ、遺伝子治療薬を理解し、チャンスを手に入れることができたのです。遺伝情報はプログラムですから」と言うのは、慈善団体クリストファー・アンド・ダナ・リーブ財団(Christopher and Dana Reeve Foundation)のイーサン・パールスタイン最高科学責任者(CSO)だ。

アイペクの遺伝子治療薬の設計および製造費用のほとんどは、非営利団体「ATこどもプロジェクト」(A-T Children’s Project)が支払った。自らの息子2人がATと診断されたブラッド・マーガスによって1993年に創立された団体だ。マーガス代表にとって創立当初から現在に至るまでの変化はあまりに劇的なものだった。「私たちは非常に多くの資金を調達し、同時に研究に多くの資金提供をしましたが、生物学はどんどん複雑になるばかりで、とても悔しさを感じます。現在ようやく、問題を一番の大元の部分で修正できる可能性が目の前に現れたのです」。

メフメット・クズが娘アイペクの治療法を探し始めたのは、アイペクがまだ生後数カ月の時だった。遺伝学者の友人が、アイペクのATの状態に正確に適合した治療法についての論文を送ってくれたので、メフメットはカリフォルニア州サニーベールからロサンゼルスまで飛び、その論文の研究を背後で支えた研究者たちに会った。しかし、研究者たちが言うには、論文で提示されていた治療薬をヒトで試した者は誰もいないとのことだった。「この治療薬が実用化されるまでには、もっと多くの年月が必要です」と研究者たちは言った。 …

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