トランプ大統領に投与の抗体薬、開発過程で中絶胎児起源の細胞
トランプ政権は、中絶胎児の細胞を利用する研究に強く反対してきた。しかし、トランプ大統領の治療に用いられた抗体医薬品は、過去に中絶された胎児の組織から樹立された細胞株を利用して開発されたものだった。 by Antonio Regalado2020.10.10
2020年10月7日、ドナルド・トランプ大統領は、自身が受けた最先端の新型コロナウイルス感染症治療を「神から授かった奇跡」と褒め称えた。これが真実なら、神は人間の胎児の組織を起源とする細胞株を使っている。
トランプ大統領の緊急治療に用いられた実験的な抗体医薬品は、開発元の製薬企業リジェネロン・ファーマシューティカルズ(Regeneron Pharmaceuticals)によれば、過去に中絶された胎児の組織から樹立された細胞株を利用して開発されたという。
トランプ政権は、中絶胎児の組織を利用した医学研究に対してますます厳しい姿勢を示している。たとえば、2019年に、米国立衛生研究所(NIH)による胎児組織を利用した研究への資金提供を阻止するためにトランプ政権が動き出した時、支持者は「プロライフ派(中絶反対派)の大勝利」だと称賛した。そして、支持者が「胎児の体の一部を使った」「言語道断の最低な」実験だとみなしている行為に断固反対する措置をとったトランプ大統領に感謝の意を示した。
ところが、トランプ大統領が新型コロナウイルス感染症で命が脅かされたときには、リジェネロンの新しい抗体医薬品も胎児の細胞に依存している事実にトランプ政権は異議を唱えず、中絶反対運動家も沈黙していた。おそらく、彼らは意図せず自らの信条に反してしまった可能性が高い。多くの医療やワクチン研究では、中絶胎児の組織を起源とする細胞を利用している。専門家以外、トランプ大統領に投与された抗体医薬品にも胎児組織が関与しているとは気づかなかったのだろう。
10月2日、トランプ大統領に新型コロナウイルス感染症の危険な症状が現れたとき、トランプ大統領はリジェネロンが開発した抗体カクテルを使った緊急治療を受けた。リジェネロンによれば、この抗体分子はヒト細胞ではなく、ハムスターの卵巣由来の細胞、いわゆる「CHO」細胞から製造されたものだという。
しかし、人間の胎児組織を起源とする細胞は別の研究工程で用いられた。リジェネロンによると、抗体の有効性を評価するための研究室内での試験では、幅広く利用されている標準的な細胞株「HEK293T」が採用されたという。HEK293Tは、1970年代にオランダで中絶された胎児の腎組織を起源とする細胞株だ。
それ以来、HEK293T細胞は「不死化」されてきた。つまり、がん細胞のように実験室で分裂し続け、他の遺伝的変化や遺伝子の追加が施されてきた。
リジェネロンによると、リジェネロンをはじめとする多くの研究室では、致死性の新型コロナウイルスの「スパイク」タンパク質を含み、ウイルスに似た構造をもつ「偽ウイルス粒子」の製造に、HEK293T細胞を使用しているという。新型コロナウイルスに対するさまざまな抗体の中和性能を試験するために、この偽ウイルス粒子が必要なのだ。
トランプ大統領の命を救ったかもしれない実験的な治療薬としてリジェネロンが最終的に提案した2つの抗体は、まさにこうした試験を経て選び抜かれたと考えられる。HEK293T細胞株が樹立されたのはかなり昔のことで、実験室で非常に長い間生存し続けてきたため、政治的な争点としての中絶問題に関係しているとは考えられていない。
「それをどう捉えたいかです」。リジェネロンの広報担当アレクサンドラ・ボウイはこう話す。「しかし、現在入手可能なHEK293T細胞株は胎児組織とはみなされず、当社はそれ以外では胎児組織を使用していません」。
トランプ政権は、最近実施された中絶で得られた胎児組織を要する研究を阻止または抑制しようと努めてきた。たとえば、2020年8月、米国保健福祉省(HHS)は新しい委員会を設置し、中絶に反対するメンバーで固め、14件の研究提案のうち13件の資金提供を留保することを決議した。
不採用となったのは、リジェネロンが用いたような長年使用されてきた定評ある細胞株を利用する進行中の研究ではなく、新たな中絶胎児組織を必要とする研究が中心だ。しかし、一部の科学者は、新たな有益な細胞株を開発するために、中絶胎児組織を研究したいと考えている。
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- アントニオ・レガラード [Antonio Regalado]米国版 生物医学担当上級編集者
- MITテクノロジーレビューの生物医学担当上級編集者。テクノロジーが医学と生物学の研究をどう変化させるのか、追いかけている。2011年7月にMIT テクノロジーレビューに参画する以前は、ブラジル・サンパウロを拠点に、科学やテクノロジー、ラテンアメリカ政治について、サイエンス(Science)誌などで執筆。2000年から2009年にかけては、ウォール・ストリート・ジャーナル紙で科学記者を務め、後半は海外特派員を務めた。