イーロン・マスク参戦で
バブル化したBMI研究、
脳がマウスになる日は来るか
数年前のイーロン・マスクらの参入をきっかけに、脳機械インタフェース(BMI)分野の研究開発に資金提供が相次いでいる。事故や病気で身体が麻痺した患者向けの研究が主だが、巨額資金が動く背景には次世代コンピューター・インターフェイス実現への期待がある。 by Antonio Regalado2021.11.29
カリフォルニア州メンロパークにある高度看護施設。3.7メートル×6.1メートルほどの広さの部屋で、運動皮質のソフトマター内での次世代コンピューター・インターフェイスの試験が進められている。被験者のデニス・デグレイは首から下が麻痺している。ゴミを出すときに庭でひどく転んでしまい、デグレイの言うところの「これ以上ない寝たきり状態」になってしまったという。車いすはチューブに息を吹き込んで操作する。
- この記事はマガジン「世界を変えるイノベーター50人」に収録されています。 マガジンの紹介
にもかかわらず、デグレイは脳を使ってコンピューターのマウスを操る名人だ。この5年間、デグレイは「ブレインゲイト(BrainGate)」プロジェクトと呼ばれる一連の臨床試験に参加してきた。この試験では、20人以上の麻痺患者の脳に小児用アスピリンほどの大きさのシリコン製プローブが外科医によって挿入されている。この脳コンピューター・インターフェイスを使えば、人間が腕や手を動かそうと考えたときに発火する数十ものニューロンを測定できる。その信号をコンピューターに送ることで、脳インプラントを装着した人がロボット・アームで物を掴んだり、フライトシミュレーターで飛行機を操縦したりできるようになるのだ。
デグレイは世界最速の「脳タイピスト」だ。4年前に初めて世界記録を打ち立てたが、そのとき脳の信号で動かしていたのは、バーチャル・キーボード上のポイント&クリック方式のカーソルだった。画面に表示される文字を選択し、1分間で8つの正しい単語を入力した。その後、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のパンデミックが始まる直前に、デグレイは罫紙に手書きで文字を書くことを思い浮かべるという新しい手法を取り入れ、1分間に18単語を入力して自らの記録を更新した。
デグレイの試験を担当する、スタンフォード大学の神経科学者で電気技師のクリシュナ・シェノイ教授は、ブレインゲイト・プロジェクトのリーダーの1人だ。他の脳インターフェイス研究者たちが、派手なデモンストレーションで脚光を浴びる一方、シェノイ教授のグループは、麻痺患者が日常的にコンピューターとやり取りできる実用的なインターフェイスの開発に専念してきた。「当初は、『ロボット・アームを使った方がかっこいいし、映画にも使えるのに』と言われることに耐えなければなりませんでした」と、シェノイ教授は言う。だが、「クリックさえできれば、Gメール(Gmail)やネットサーフィン、音楽も楽しめます」。
シェノイ教授は、「最悪の苦痛と闘う、この技術を最も必要とする人々」のために開発を進めているという。例えば、筋萎縮性側索硬化症(ALS)の末期患者のように、全く身動きがとれず、話すこともできない患者などがそうだ。
とはいえ、デグレイのような麻痺患者の脳に直接コンピューターを繋げる技術があるのなら、麻痺患者ではない人々が使わない理由はないだろう。2016年、イーロン・マスクはニューラリンク(Neuralink)という会社を立ち上げ、新しいタイプの糸状の電極を埋め込む神経「ミシン」の開発を始めた。マスクによれば、人間の脳との高速接続を確立し、社会が人工知能(AI)と歩調を合わせられるようにすることが目標だという。
ニューラリンクが計画を発表したのと同じ月に、フェイスブックも思考をテキストに変換してソーシャルメディアに投稿する「非侵襲的」な脳読み取りヘルメットを開発すると発表した。この直後から、脳波計や磁気ヘッドバンド、一度に数万のニューロンの信号を測定できる新しいタイプの高密度埋め込みプローブなど、あらゆる種類の脳インターフェイスに投資が殺到している。
フェイスブックは結局、2021年にこの分野への参入を断念した(テキストを送信する手段としての脳を読み取るヘルメットは、数年程度では実現不可能だと判断したため)。だが、直近12カ月間でこうした企業が調達した資金は3億ドル以上にのぼる。「もうインターフェイス分野には投資できないと思われていました。イーロンが参入したことでベンチャー・キャピタル業界に激震が走りました」とシェノイ教授は言う。「今ではほぼ無限のリソースがあります」。
だが、こういった資金には落とし穴がある。シェノイ教授のような医学研究者が、絶望的な人々を助けたいと思う一方で、起業家たちは誰もが使える次世代インターフェイスを求めている。マスクは、希望者はだれでも利用できる脳インプラントを目指しているという。ニューラリンクは、30分のインプラント手術の際に座ってもらうための流線型の白い手術用チェアまで設計した。
ニューラリンクのコンサルタントでもあるシェノイ教授は、科学的パラドックスを抱えていると私に話した。シェノイ教授は消費者向け脳インプラントに反対している。(余裕のある一部の人だけが脳インプラントを購入できことで生じかねない)不平等問題から、人間の脳とソーシャルメディアを直接結びつけることで起こる影響まで、あらゆることを心配しているからだ。だが、シェノイ教授は、脳インターフェイスの商業化に必要な資金を受け取るために、ニューラリンクに協力するというファウスト的取引をしたのだった。脳インターフェイスの商業化に成功すれば、少なくとも最初のうちは麻痺を抱える人々に利益をもたらせるだろう。
「気分のいいものではありません。しかし、資金を科学の世界へ招き入れるためです。治療や機能回復に役立ちそうなものにはすべて興味があります。選ばれた人々や、(健常者の)強化に関するものには、取り組みたくありません。しかし、技術が極めて初期の段階では、その先を目指す人々と広く連携しないと、治療に役立つものを追求できません。私たちは共に同じ道の初期段階にいるのです」。
サルがプレイするピンポンゲーム
ニューラリンクの活動は謎に包まれている。同社の主な情報発信手段は、大きな会場でのプレゼンテーションだ。2021年4月に発表された最新映像には、ページャーというアカゲザルが「ポン(Pong)」(ピンポンを模したビデオゲーム)を思考でプレイする様子が映し出された。このデモはソーシャルメディアで大きな反響を呼び、動物愛護活動家による訴訟も起こった。だが、思考でポンをプレイすること自体は、目新しいことではない。ブレインゲイト・プロジェクトの被験者であるマット・ネイグルは、2005年にワイアード(Wired)の編集者を相手にこのゲームをプレイしていた。
ニューラリンクの真の進歩は、この動画には映ってはいない。インプラントそのものだからだ。ニューラリンクのチップ設計者は、プロセッサーと無線通信を搭載したペットボトルのキャップの大きさの円盤を作り、これをサルの大脳皮質に縫い付けられた電極に接続した。この円盤は、サルの頭蓋骨に貼り付けられ、皮膚で覆われているため、デグレイの頭から飛び出しているケーブルよりも実用的だ。
ブログ記事の中でニューラリンクは、ポンは単なるデモンストレーションであり、少なくとも短期的に、このインプラントが何に使えるのかを初めて明確にしたのだという。また、「我々の最初の目標は、麻痺を抱える人々にデジタルの自由を取り戻すことです。例えば、テキストでより簡単にコミュニケーションをとったり、Webで好奇心を追求したり、写真やアートで創造性を表現したり、そしてもちろん、ビデオゲームをプレイしたりすることなどがそうです」と述べた。ニューラリンクのエンジニアがIEEEスペクトラム(IEEE Spectrum)誌に語ったところによれば、ニューラリンクはデグレイが脳インターフェイスで打ち立てた世界記録を破ることを具体的な目標としているという。
だが、マスクの長期的な計画も同様に明確だ。マスクは、人間の脳が電話やコンピューター、アプリケーションに直接接続されなければならないと考えている。そうなったら、脳から直接グーグル検索ができるようになるかもしれない。あるいは、他人の脳に接続して、相手が何をしているのかを見たり聞いたりすることも想像できるかもしれない。
マスクによると、これらはすべて、将来的にAIがもたらすと自身が考えている、人類存亡の危機を回避するための戦略の一環だという。つまり、AIが人類を滅ぼそうとする映画「ターミネーター」のような事態を防ぐには、人間はサイボーグとなってAIと融合すべきだというのがマスクの考えだ。2020年7月、マスクは「ぶちのめせないならば、仲間になればいい」とツイートし、このフレーズを 「ニューラリンクのミッション・ステートメント(行動指針)」だと述べた。
ニューラリンクの最終目標は、「生体知能とAIをより密接に結びつける全脳型インターフェイスを作ること」だという。技術的には、この目標を達成するには、脳とコンピューターの広帯域接続を開発し、一度に数千から数百万のニューロンと交信できるようにしなければならない。
だが、現在の技術はまだその域には達していない。デグレイが使ったシステムは、一度に約100個の電極を計測する。一般的に、脳インプラントでは、1つの電極で1つのニューロンの情報を受け取る。ニューラリンクの「N1」インプラントは、細い金属の糸に沿って配置された1024個の電極を測定するため、約1000個のニューロンの信号を受信することになる。ただし、今のところ、サルとブタを使った動物実験の段階だ。
外科手術によって脳に取りつけられる消費者向け脳インプラントに関しては、規制当局や世論、さらには医療関係者も立ちはだかる可能性がある。2016年のピュー研究所(Pew Research)の世論調査によれば、69%の米国人が、集中力や情報処理能力の向上をもたらす脳チップの未来について、非常に不安を感じているか、やや不安を感じていることがわかった。これらの反対意見は、「人間による制御が失われる」ことへの恐れと強く関連しているという。
また、脳外科医が健康な人の頭にドリルで穴を開けるには、もっともらしい理 …
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