臓器と引き換えに刑期短縮、米マサチューセッツ州の法案が物議
臓器移植用の臓器や骨髄を提供することで、囚人の刑期を短縮するという改正法案が米国マサチューセッツ州で提出された。臓器提供者の増加が狙いだが、医学的・倫理的な問題点が指摘され、物議を醸している。 by Jessica Hamzelou2023.02.21
この記事は米国版ニュースレターを一部再編集したものです。
人間の臓器にはどれほどの価値があるのだろうか? こんなことを考えるようになったのは、囚人が身体の一部を提供することを引き換えに刑期を短くするという衝撃的な改正法案が、米国マサチューセッツ州で提出されたことを耳にしたからだ。
そう、この法案が可決されれば、臓器あるいは骨髄を提供した囚人は、刑期が60〜365日間短縮される可能性があるのだ。
法案の共同提案者の1人によると、潜在的な臓器提供者の数を増やせることが利点に挙げられるという。臓器が極端に不足しているのは事実だ。米国だけでも、10万人を超える人々が臓器移植を待っており、臓器移植の待機リストに登録されている人が1日あたり17人も亡くなっている。
だがこのような法律は、臓器提供件数を増やすにあたって正しいやり方とは言えない。この法案が抱える数多くの問題について見ていこう。
他の誰かの命を救うために、手術またはその他の苦痛を伴う処置によって、片方の腎臓、肝臓の一部、または骨髄を提供するという行為は、おそらく私たちができる中で最も寛大かつ無私無欲の行為の1つだろう。
だが、臓器提供にはリスクがある。例えば、手術を受ければ、どのような種類の手術であれ、他の臓器が傷ついたり、感染症にかかってしまったりする可能性がある。腎臓を提供した人は、していない人と比べて、後に人工透析が必要になったり、自身が腎臓移植を受けなければならなくなったりする可能性が高くなる。
生体臓器移植の提供者は、こうしたリスクを理解して受け入れることが絶対的に重要だ。完全なインフォームド・コンセントを受けて、自由意思で臓器を提供できるようにするためだ。刑務所で苦しい思いをしており、何としてでも出所したいと考えている人は、果たして本当に自由意思でインフォームド・コンセントを受けた上で決断できるだろうか。
トロント大学の生物倫理学者であるジェニファー・ベル教授は、「これはある種のインセンティブとして提示されています」と言う。だが、ある程度の強要に当たるということはないのだろうか? 強要とは、危害を加えられるのではないかという何らかの懸念によって、人の判断が影響を受けることを意味する。法案には強要についての言及はない。しかし、刑務所で1年長く過ごすというのは、一部の人にとっては危害となる可能性がある。暴力や感染症のアウトブレイク、あるいは危険なほど高い気温にさらされる恐れがある場合はなおさらだ。
ペンシルベニア大学の腎臓専門医で、腎臓提供候補者の評価を担当し、女子刑務所での勤務経験もあるピーター・リース教授は、囚人は既往歴を完全かつ正直に申告できないと感じる可能性もあると語る。既往歴を完全かつ正直に申告することは、臓器提供者として適しているかどうかを判断する上で重要なことだ。
医師は、臓器提供予定者に対して、健康状態や幸福度、自立した日常生活ができるかどうか、さらには喫煙や薬物使用の有無などを質問するのが規定となっている。このような質問項目は、その人物の臓器が提供に適しているかどうかに加えて、臓器提供の手術を受けた後に十分回復できる可能性がどれほどあるかといったことを判断する材料になる。
リース教授は、「囚人は既往歴を完全かつ透明に申告しようと思わない可能性があるのではないかと、私なら心配になります」と言う。「囚人となっている人の生活習慣は評価が難しく、囚人は実際に自由に決断を下せません」。
この法案には他にも複数の問題がある。この法案は明らかに、囚人からの生体臓器移植の件数を増やすことを目標としている。周知の事実として、囚人は社会的弱者に当てはまり、例えば貧困家庭に生まれていた可能性や子どもの頃に虐待を受けていた可能性がはるかに高い。さらに、囚人には民族的少数者および人種的少数者の数が不釣り合いに多いことも周知の通りだ。例えば、ヒスパニック系が米国の囚人に占める割合は30%を超え、黒人の割合は38%に達する。
ベル教授は、「捉え方によっては(中略)、他人に提供する臓器を黒人から収穫していると言えるかもしれません」と話す。「搾取に当たるのではないかという疑問が出る可能性があります」。
法案の共同提案者の1人であるカルロス・ゴンザレス州議会議員は、本誌の問い合わせに対し、「潜在的な臓器提供者の数を増やすことは、黒人およびラテン系の家族や友人が命を救う治療を受けられる可能性を上げる効果的な方法です」と文書で回答した。
事実として、人種的少数者および民族的少数者は、その他の人よりも、臓器の提供を受けるのがさらに困難となっている。例えば2020年には、白人をレシピエント(移植希望者)とした臓器提供手術の件数は、臓器提供を待っていた白人の数の47.6%だった。黒人の場合、その数字はわずか27.7%だ。しかし、少数派のコミュニティに対して、臓器提供に関する理解を深め、インフォームド・コンセントに基づく決断を促す方法は、他にも複数ある。自由と引き換えに臓器の提供を迫ることは適切ではない。
ここで最初の問いに戻りたい。私たちの臓器にはどれほどの価値があるのだろうか。それをどのようにして判断すれば良いのだろうか。片方の腎臓には1年分の自由に相当する価値があるだろうか。骨髄ならそれより価値が下がるだろうか。「誰がそれを算定するのでしょうか」と、ベル教授は疑問を投げかける。「臓器と自由を交換することは、本当に正当な行為でしょうか」。
幸いなことに、この法案が可決されたとしても、臓器と自由の交換がすぐに始まることにはならない。臓器提供はその都度、医学および倫理チームによる承認を受けなければならない。このチームには、臓器提供者の権利を擁護することのみを役割とする人もいる。リース教授は、チーム全員が臓器と自由の交換を自然に受け入れる可能性は低いと言う。私はおそらくそうあるべきだと思う。
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もしかすると、人工胚から臓器を作成できるようになるかもしれない。壮大な話だが、リニューアル・バイオ(Renewal Bio)はそれを目標としている。本誌のアントニオ・レガラード編集者が昨年、記事にしている。
すでにある提供された臓器をより適切に活用するための研究も、数多くある。例えば研究者は、肝臓をより長時間保管できる機械を開発した。本誌のリアノン・ウィリアムズ記者が記事にしている。
前の機械は肝臓を温かく保つものだが、提供された肝臓を極低温に冷やすことで、その寿命を延ばそうとしている研究者もいる。2019年に本誌のアントニオ・レガラード編集者が報告している。
移植できる臓器は、生命維持に不可欠なものに限らない。ある退役軍人が、2018年に世界で4例目の男性器移植を受けた経緯を、アンドリュー・ザレスキに語っている。
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- ジェシカ・ヘンゼロー [Jessica Hamzelou]米国版 生物医学担当上級記者
- 生物医学と生物工学を担当する上級記者。MITテクノロジーレビュー入社以前は、ニューサイエンティスト(New Scientist)誌で健康・医療科学担当記者を務めた。