小野瀨隆一:尿検査で「がん早期発見」のエコシステムを作る起業家
尿中マイクロRNAによるがんリスク検査を提供するクライフ(Craif)の創業者、小野瀨隆一は、サイエンスこそが人類を人類たらしめていると信じるディープテック・スタートアップの経営者だ。 by Yasuhiro Hatabe2024.11.14
がんは日本人の死亡原因の第1位で、3人に1人ががんで亡くなっている。がんによる死亡を減らし、生存率を上げるカギが「早期発見」「早期治療」だ。
2018年にCraif(クライフ)を創業した小野瀨隆一は、2022年の「Innovators Under 35 Japan (35歳未満のイノベーター)」の1人に選ばれた。尿中のマイクロRNAから、がんリスクを早期発見する検査を開発。「miSignal(マイシグナル)」として商用化したことが主な受賞理由だ。
マイシグナルの発売当初は、卵巣がんのみを対象としていた。その後、段階的に対象を広げ、現在は乳がん、肺がん、胃がん、すい臓がん、大腸がん、食道がんを加えた計7種のがんを検査の対象としている。製品ラインナップも、遺伝子検査で注意すべきがん種を知るための「マイシグナル・ナビ」、手軽にがんリスクを知るための「マイシグナル・ライト」、生活習慣から蓄積するDNAダメージをモニタリングし、がんの予防に繋げる「マイシグナル・チェック」を加えた計4種類になった。
企業の従業員健診で大腸にポリープが見つかるなど、実際にがんの予防・早期発見につながった事例も増えつつあるという。
「1秒でも早く実用化」の姿勢を組織に根付かせる
マイシグナルの特徴は、2024年のノーベル生理学・医学賞の対象になったマイクロRNAに着目した点だ。がん細胞と正常な細胞が出すマイクロRNAの種類や量が大きく異なる。同社は、尿からマイクロRNAを効率的に抽出する技術を開発し、AIによる解析でこの違いを検出するスクリーニング検査の仕組みを整えた。グローバルでの競合としてDNAを使ったがん検査も存在するが、早期発見における精度やコスト面での優位性に加え、患者の負担が小さい尿検査で検査できる点に強みがある。
創業から4年間は研究開発に明け暮れた。4年は早いとも遅いとも一概には言えないが、「1秒でも早く実用化することが、経営者の腕の見せどころ」だと小野瀨は語る。
「例えば検査の精度が60%だとしても、他に検査方法がないすい臓がんや卵巣がんを発見する目的なら『やる価値がある』と判断する医師もいるかもしれない。利用者にとっての便益がリスクを上回るなら、サービスとして提供できる。その見極めや設計が重要だと考えています」。
「研究のための研究」に浸り、いつまでも価値を提供できない状況に陥らないよう、小野瀨は実用化を見据えた開発姿勢を重視している。この姿勢を社内に浸透させるため、企業文化の醸成にも力を入れてきた。5つのバリュー(行動指針)を策定し、それに基づく評価制度を確立したほか、クライフの一員としてどのような場面でどう行動すべきかを日常的に議論し、組織全体でバリューの共有を図っている。採用面接でのバリューテストや、バリューコーチによる継続的なフィードバックなど、スタートアップの中でも出色の徹底ぶりだ。
人類の最も誇れるものはサイエンス
小中学生時代を米国で過ごした小野瀨は、現地の友人が話した「日本の技術は優れている」という言葉に、技術立国としての日本の潜在力を強く感じたという。それがいつしか、「世界の課題を解決したい、人類の進歩に寄与したい」という強い思いへ発展していく。
大学卒業後は三菱商事に就職し、米国からシェールガスを輸入するLNG船事業に従事した。副業で民泊の会社を起業するが、すぐにもっと社会に大きなインパクトを与えるディープテック領域での起業を目論む。クライフ創業のきっかけになったのは、がんで祖父母を亡くした経験だった。
当初の事業案はがん検査ではなかった。祖父ががんに罹患した際、治療方針についてセカンドオピニオンを取るのに苦労した経験から、オンラインでセカンドオピニオンを取れるサービスを考えていた。だが、「がんをもっと根本的に解決する方法がある」と投資家から紹介された名古屋大学の安井隆雄准教授(現・東京科学大学教授)との出会いで変わった。尿中のマイクロRNAを捕捉する研究をしていた安井と小野瀨は2018年、クライフを共同創業する。
小野瀨自身は研究者ではないが、「人類を人類たらしめているのはサイエンス。その発展に貢献したい」と言う。
「自分は『天才』ではない。でも、技術が世に出て役に立つには、研究以外にもやらなければならないことが大量にある。そういう面倒事をするのが自分の役割。研究者が研究に没頭できるよう、社会実装の面でサポートしていきたい」。
がん早期発見のエコシステムをつくる
がんの早期発見を社会に定着させるには何が重要か。小野瀨は、「効果的なエコシステムを構築すること」だと考えている。その入口であるスクリーニング検査をできるだけ簡単に、痛みのない方法で受けられるようようにし、患者の負担を限りなく少なくすること。そこでハイリスクだとされた人が適切に追加検査を受けられるような流れを作り、医師による確定診断と適切な医療介入を実施してQOLの向上につなげること。こうした一連のプロセスが確立してこそ、クライフのサービスは真の価値を生み出す。
この「がん早期発見のエコシステム」構築に向け、製品開発以外にもさまざまな取り組みを進めている。1つが販路の多様化だ。「ある意味、嫌でも目に入るようなものでなければいけない」と小野瀨は言う。
データの収集にも注力している。2024年1月には北海道大学病院を中心とした地域医療機関と共同研究契約を結び、マイシグナルを用いた肺がんスクリーニングの前向き観察研究を進めている。マイシグナルでがんの可能性を指摘された利用者が、その後実際に医療機関で確定診断を受けたかどうか、同社が把握することは難しい。スクリーン検査後のフォローアップの仕組みが必要となることから、臨床研究にも取り組む。
がん以外の病気や、未病および治療の領域へ展開
現在の主な課題の1つは、国内での認知度向上だ。目下の全国認知度は低く、まずは東海エリアに注力し、マイシグナルを「誰もが知っているがん検査」にすることを目指す。地域を限定することで効率的な認知度向上を図り、そのモデルを他地域に展開していく考えだ。
直近では2024年10月、すい臓がんの診断補助を目的に使用する医療機器プログラムの多施設共同臨床試験を開始したと発表した。すい臓がんが疑われるハイリスクな患者を対象とするため、より高い判定精度が求められるが、有用性が示されれば保険適用の対象となる見通しが立つ。
海外展開も着々と進めている。米国でラボを立ち上げ、FDA(米食品医薬品局)の承認に向けて必要なデータ収集と臨床試験の準備を進めている。2024年内にはアジア地域への展開も視野に入れている。
今後は、2つの軸で展開を構想している。1つは、認知症などがん以外の病気へ適用範囲の拡大していくこと。もう1つは、検査の前段階としてサプリメントや健康食品など未病領域への展開、逆に検査後のフェーズにおける薬の選択といった各種ソリューションの開発提供だ。事業アイデアは止めどない。
社名の「Craif」は、長寿の象徴であり国境を越えて羽ばたく「Crane(ツル)」と、人生・長寿を意味する「Life」を組み合わせたものだ。グローバルに飛躍し、世界規模での予防医療の実現に向けて、小野瀨らの挑戦は続く。
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この連載ではInnovators Under 35 Japan選出者の「その後」の活動を紹介します。バックナンバーはこちら。
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- 畑邊 康浩 [Yasuhiro Hatabe]日本版 寄稿者
- フリーランスの編集者・ライター。語学系出版社で就職・転職ガイドブックの編集、社内SEを経験。その後人材サービス会社で転職情報サイトの編集に従事。2016年1月からフリー。