砂漠の国・ナミビア、
世界初「水素立国」への夢
人口およそ300万人のアフリカの小国ナミビアは、「水素立国」に挑んでいる。ナミブ砂漠の豊富な太陽光を武器に、2050年までに世界の水素生産量の1割を担う構想だ。砂漠を黄金に変えられるか。 by Jonathan W. Rosen2025.07.02
- この記事の3つのポイント
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- ナミビアが豊富な太陽光・風力で「水素立国」を目指す国家戦略を推進
- 水素製鉄など複数プロジェクトが始動も、巨額投資と技術的不確実性にリスク
- 国立公園開発や歴史的敏感地域への影響で環境・社会問題も浮上している
3月某日午後、世界最古の砂漠の真ん中で、ヨハネス・ミヒェルスはサッカーコート40面分の面積に相当する一連のソーラーパネルを見渡している。それは黄土色の砂と雲ひとつない青空の間にあるギザギザの峰の尾根へと伸びている。ミヒェルスの左手にある建物の中には12メガワットの電解装置が鎮座している。これは水をH₂とOという2つの構成元素に分解するための装置で、2本の巨大な単三電池のような形をしている。ミヒェルスの背後には、この砂漠の工場の重要な独自技術である回転式の炉があり、水から得られた水素ガスと鉄鉱石を混ぜ合わせ、鉄鋼の主成分である純粋な鉄を生成する。
製鉄所は3世紀にわたり化石燃料を使って鉄鉱石を処理してきたが、その代償として地球の気候は大きな被害を受けてきた。国際エネルギー機関(IEA)によれば、現在鉄鋼業界は世界の二酸化炭素排出量の8%を占めている。鉱石の精製では酸素と結合した鉄を取り出す必要があり、「鉄と酸素の結合を断ち切るには莫大なエネルギーが必要です」と、プロジェクトを手がけるスタートアップ企業ハイアイアン(HyIron)の39歳のCEO、ミヒェルスは語る。
だが、炭素排出量の少ない代替手段が存在することが分かってきた。水素を使って鉄を抽出する方法である。ミヒェルスCEOによれば、石炭や天然ガスとは異なり、この方法では副産物として水が生成される。そして水素自体が「グリーン」、すなわち従来の天然ガスと蒸気を混ぜる方式ではなく、再生可能エネルギーによる電気分解によって製造されたものであれば、このプロセス全体が気候に与える影響は最小限に抑えられる。
ハイアイアンは、私の訪問の1カ月後に鉄の試験処理を開始した。同社は、1.8兆ドル規模の鉄鋼業界が事業の脱炭素化を進めるうえで、グリーン水素がその推進力になると見ており、それに賭ける世界でも数少ない企業のひとつである。ハイアイアンを際立たせている最大の要素は、その立地である。同社の炉はドイツで設計・試作されたが、生産拠点は南に8000キロメートル以上離れたナミビアにある。かつてのドイツ植民地であり、1915年から1990年までは南アフリカの統治下にあったこの国には産業基盤がほとんどなく、世界最大の鉄輸入国からはいくつもの海を隔てて遠く離れている。一方で、風力や太陽光発電に関しては、膨大な未開発のポテンシャルを有している。研究によれば、このポテンシャルにより、水素やその派生製品(鉄、アンモニア、低炭素航空燃料など)を世界でも最も安価に生産できる可能性があるという。ナミブ砂漠にあるハイアイアンの拠点は大西洋岸から約80キロメートルの場所にあり、ミヒェルスCEOによれば、年間平均で曇天はわずか30時間程度しかない。この場所のエネルギーポテンシャルは「驚異的だ」と彼は語る。
経済学者として訓練を受け、コロナ禍で家族経営のサファリロッジの仕事が減ったことから副業としてハイアイアンを立ち上げたミヒェルスCEOだが、水素に関して大きな計画を抱いているナミビア人は彼一人ではない。2021年、政府が水素を「変革をもたらす戦略的産業」と位置づけて以来、これは国家的な熱狂となっている。少なくとも9つのプロジェクトが計画中または建設中であり、そのひとつはナミビア南部で進行中の、世界最大級のグリーン水素投資とされるプロジェクトだ。ナミビア政府が2022年に発表したグリーン水素および派生製品戦略では、南部・中央部・北部の沿岸地域に3つの「水素バレー」を整備し、2050年までに年間1000万~1200万トンの生産を目指している。これは現在の年間水素生産量の10%以上に相当する。戦略文書によれば、早ければ2030年にはこの産業によって8万人の雇用が創出され、税収やロイヤリティ、投資拡大などの波及効果によってGDPが30%増加する可能性があるという。
たとえほんの一部でもこの生産目標が実現すれば、ナミビア経済にとって大きな追い風となるだろう。しかし、それはリスクを伴う賭けでもある。グリーン水素技術はまだ初期段階にあり、そこから生まれる製品に対する長期的な需要も不透明だ。一部の批評家は、まだ商業的に確立されていない技術に注力することで、政府のリソースが圧迫され、飢餓の継続や国内電力網の未整備(現在、ナミビアの世帯の半分しか届いていない)といった、より緊急性の高い課題への対応が後回しになることを懸念している。こうした懸念が特に集中しているのが、南部沿岸で開発中の最大規模のプロジェクトである。この立ち上げには少なくとも100億ドルが必要とされており、これはナミビアの現在のGDPにほぼ匹敵する金額である。この事業は環境面でも物議を醸している。というのも、現在の計画では、インフラの大部分が国立公園の中に建設される予定であり、そこはナミビア最大の環境監視団体が「南部アフリカで最も繊細な生態系」と評する場所だからだ。
「我が国のような小国が世界的な競争に加わることは、かなりのリスクを伴います」と語るのは、地域に根ざした天然資源管理を提唱するナミビア開発信託(Namibia Development Trust)の事務局長、ロニー・デンパースである。
不確実性をさらに高めているのが、ナミビア前大統領ハーゲ・ガインゴブの死である。水素戦略の主要な政治的支援者だったが、昨年亡くなった。2025年3月に新たに大統領に就任したネトゥンボ・ナンディ=ンダイトワは同じ政党出身だが、彼女の考えをよく知る複数の関係者によれば、新大統領は石油や天然ガスの開発に強い関心を示しているという。
それでも、ハイアイアンの立ち上げは、ナミビアが抱く水素への野心に待望の勢いをもたらした。
今問われているのは、ナミビア政府とその貿易相手国、そしてミヒェルスCEOのような水素の技術革新者たちが協力し、クリーン燃料に対する世界の需要を満たすと同時に、国内の生活水準向上にもつながるような産業を構築できるかどうかである。
最も軽い元素
水素で世界を動かすという考えは、決して新しいものではない。ジュール・ヴェルヌは1874年に発表した小説『神秘の島(原題 L'Île mystérieuse )』で、水を水素と酸素に「分解」すれば、「未来の石炭」として機能するだろうと記している。水素は宇宙で最も豊富な元素であるだけでなく、H₂ガスは燃焼しても温室効果ガスを排出せず、単位重量あたりのエネルギー放出量は他のどの非放射性燃料よりも多い。そのエネルギーは石炭の約5倍、ガソリンやディーゼルの約3倍に相当する。酸素や窒素とは異なり、純粋な水素ガスは大気中から容易に回収することができない。非常に軽いため、宇宙へと逃げてしまうからだ。したがって、水素は他の分子から分離して回収する必要がある。
これまでのところ、その回収プロセスは環境に優しいとは言い難い。というのも、現在主に石油精製、肥料、石油化学製品に使われている水素の大半は、水蒸気メタン改質(Steam Methane Reforming:SMR)というプロセスによって生産されているからだ。この方法では高温の蒸気とメタン(CH₄)を反応させる必要があり、その過程で大量のCO₂が排出される。その結果、IEA(国際エネルギー機関)は現在の水素について「気候の解決策というより気候問題そのもの」と評している。
ヴェルヌが描いたような電気分解による水素の生成は1800年頃には実現していたが、このプロセスには大量のエネルギーが必要だ。そのため、風力や太陽光発電のコストが下がり、各国政府が地球温暖化の抑 …
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