脳インプラント3年、「声」を取り戻したALS患者は初のパワーユーザー
全身が麻痺するALS(筋萎縮性側索硬化症)を患うケイシー・ハレルは、脳に電極を埋め込んでから約3年、このデバイスで再び「話せる」ようになった。自宅での使用は最初の約2年で3800時間を超え、精度は99%に達する。仕事を続け、7歳の娘に本を読み聞かせ、疎遠だった家族とも再びつながった。 by Jessica Hamzelou2026.06.17
- この記事の3つのポイント
-
- ALS患者が脳埋込型BCIを3年・3800時間超使用し、97.5%精度で12万5000語の発話を実現した
- 介護者による接続のみで自立運用が可能となり、カーソル操作・ネット閲覧・環境活動への従事まで機能が拡張された
- 個人差や侵襲手術への抵抗感という限界を抱えつつ、感情を伴う「完全な声」の復元を次の開発目標に据えている
ケイシー・ハレルは、脳内に電極セットを埋め込んでからほぼ3年が経過している。筋萎縮性側索硬化症(ALS)を患い、体が麻痺しているハレルは、2023年に研究チームの支援を受けて脳コンピューター・インターフェース(BCI)を使って初めて文章を「発話」した。
それ以来、ハレルはこのデバイスを数千時間にわたって使用してきた。介護者の助けを借りて「接続」さえすれば、ほぼ独力でデバイスを操作できる。チームは新機能を追加し、ハレルはネットサーフィンや仕事にもデバイスを活用している。
「ALSのような病気を抱えていると、夢を縮小しなければならないとされています。でも私はそうは思いません」とハレルはMITテクノロジーレビューに語った。「これらのどれか一つでも、まさに天の恵みのような改善です。それがすべて、そして他にも数多く実現しているのは、本当に革命的なことです」。
デバイスが埋め込まれてから最初の22.6カ月間で、ハレルは研究者が同席しない自宅での使用時間が3800時間を超えたと、チームは6月15日付けの学術誌『ネイチャーメディシン(Nature Medicine.)』に報告した。「彼は音声BCIの最初のパワーユーザーです」と、カリフォルニア大学デービス校の神経工学者でチームメンバーのセルゲイ・スタビスキーは言う。
音声のデコード
3年前、ハレルはカリフォルニア大学デービス校の神経外科准教授デイビッド・ブランドマンと同僚たちに自分の脳を委ねた。当時45歳だったハレルは、すでにALSと診断されていた。ALSは筋肉の機能を奪う変性疾患である。
ハレルは車椅子の操作や着替え、食事を他者に頼らざるを得ない状態にあった。発話も困難で、周囲の人々は彼の言葉を聞き取るのに苦労していた。そこでブランドマンと同僚たちが、コミュニケーションを助ける可能性のある脳インプラントの試験に参加しないかと打診した。「業界は変革の一歩手前にあり、私はその一部になりたかったのです」とハレルは言う。彼は参加を申し込んだ。
2023年7月、5時間に及ぶ手術で、医師たちは64電極のアレイ4基を彼の脳に埋め込んだ。アレイは2基ずつ「ペデスタル」と呼ばれる接続ポイントに配線され、頭蓋骨の外側に2カ所のドッキング箇所が設けられ、電極をコンピューターに接続できるようになった。
チームは長年にわたり、脳活動を音声にデコードするアルゴリズムの開発に取り組んできた。このシステムは、発話を可能にする運動を担う脳領域である言語運動野の活動を記録することで機能する。
「(米国)英語のすべての音を構成する音素は39個あります」と、UCデービスの神経工学者でチームメンバーのニコラス・カードは言う。各音素の産出に関連する神経活動をマッピングすることで、チームは個人に最適化された音声デコーダーと、その言葉を「発話」するソフトウェアを作成できる。「まず脳データから音素へ、次に音素から単語へと変換します」と彼は言う。
デバイスの使用は手術から約1カ月後に開始された。カードによれば、チームはハレルの音声デコーダーを初日から機能させることに成功した。8月のその日、ハレルは50語の語彙でデバイスを使って発話し、99.6%の単語が意図した通りに出力された。その後、語彙は12万5000語に拡張され、精度は97.5%となった。
当時、デバイスがどれほど長持ちするかは不明だった。BCIはまだ新しい技術であり、長期間にわたって埋め込まれた例は多くない。たとえば、脳内の電極周囲に瘢痕組織が形成され、神経活動の検出を妨げる可能性がある。しかし、ハレルの場合はそのような問題は生じていないようだ。
パワーユーザー
さらなる進歩として、ハレルは今やデバイスをより自立的に使用できるようになっている。2023年当時は、研究チームのメンバーがデバイスを使用する日にハレルの自宅を訪問し、接続・切断を手作業でする必要があった。しかし今はそうではない。チームはシステムの自動化をさらに進め、現在はハレルのケアパートナーが装着・取り外しを行えるようになっている。「彼は目を覚まし、接続してもらい、そのまま作業を始めます」とスタビスキーは言う。
これは重要なことだと、試験に関与していなかったユトレヒト医療センターのBCI研究者マリスカ・ファンステーセルは言う。「これらの技術が患者にとって意義あるものになるためには、最終的に使用される環境で実際にテストする必要があります……価値があること、使用可能であること、そして研究チームが常に関与しなくても正常に機能することを実証するためです」と彼女は言う。
チームはシステム自体の改善にも取り組んできた。現在の精度は99%に達しているとスタビスキーは言う。ハレルはカーソル操作も可能になり、これによってパソコンを使ってテキストメッセージやメールの送信、ネットサーフィン、そして環境活動家としての仕事を続けることができるようになった。これはまさにゲームチェンジャーである。
チームはこれまで、ハレルからの具体的な要望に応じてシステムを更新してきた。現在は「プライバシーモード」のオン・オフが可能で、有効にするとデコードされたテキストが自動的に削除される。また、幼い娘と話す際には「不適切語フィルター」を使用することもできる。
「デバイスのソフトウェア面に機能を追加し続けることができています……精度を向上させ、デバイスをより自立的に使用できるよう様々な機能を加えてきました」とハレルは言う。「私たちは歩きながら、あるいは転がりながら、いわば道を作っているのです」。
まさに革命的
ファンステーセルは、デバイスがハレルにとってうまく機能しているとはいえ、ALS患者の他の人々にも同様に、あるいは同じ期間にわたって機能するという保証はないと警告する。過去10年間、彼女はALSを患う女性と共に研究をしてきた。その女性は完全埋め込み型デバイスを使用し、脳活動による「ブレインクリック」(脳活動を用いたカーソルクリック)でコミュニケーションをとっていた。彼女はBCIを7年間使用したが、その末期には脳の変性が原因とみられる機能停止が起きた。
いずれにせよ、ALSを患うすべての人が侵襲的な脳手術を受けることを望むわけではないと、ミシガン大学で非侵襲型BCIを開発しており今回の試験には関与していないジェーン・ハギンズ准教授は言う。「長期的かつ自立的な使用で、効率的かつ正確なコミュニケーションが実現することは、BCIの究極の目標のようなものです」と彼女は言う。「しかし、ALSのような進行性疾患を抱える人々の間では、入院に対する一貫した抵抗感が見られることがわかっています。」
しかしハレルは、このデバイスを「まさに革命的」と表現する。「これのおかげで仕事を続け、家族のために収入と保険を確保できています。これは、私の言葉を理解できないことを恥ずかしがったり恐れたりして会いに来られなかった友人や家族と、再びつながる手段になっています」とハレルは言う。「7歳の娘とは、以前は築けなかった絆を育めるようになりました。今では本を読み聞かせ、娘自身の読書力を伸ばす手助けもできます。そうすることで、私の多くの介護を担い、娘の世話もしてくれている妻と、育児の責任を分かち合えるようになりました。」
スタビスキーと同僚たちは、デバイスをさらに改善したいと考えている。「私たちは決して満足しません」と彼は言う。目標の一つは、最終的にハレルの「完全な声」を取り戻すことだ。彼らは「脳から声へ」のシステムの開発に取り組んでおり、脳活動を直接、自然な抑揚・強弱・イントネーションを備えた発話音声にデコードすることを目指している。たとえば、喜び、怒り、皮肉といった感情を表現できる声だ。
「このシステムから個人的に何らかの恩恵を得られると、静かに確信していました」とハレルは言う。「しかし、これほどの成果を達成できるとは、夢にも思いませんでした」。
- 人気の記事ランキング
-
- How virtual power plants could provide energy for data centers データセンターの電力不足、グーグルは市民から集める仕組み導入へ
- Promotion Call for entries for Innovators Under 35 Japan 2026 「Innovators Under 35 Japan」2026年度候補者募集のお知らせ
- Are AI chatbots making us lose control of our brains? この20年で大幅低下した集中力、AIで脳はさらに「萎縮」するか
- David Sinclair plans to test whole-body rejuvenation drugs in the XPrize competition 1億ドル超の若返りコンペ、シンクレア教授が「飲む薬」で参戦
- How courts are coping with a flood of AI-generated lawsuits AIで「弁護士なし訴訟」が激増、それでも判事が歓迎する理由
- ジェシカ・ヘンゼロー [Jessica Hamzelou]米国版 生物医学担当上級記者
- 生物医学と生物工学を担当する上級記者。MITテクノロジーレビュー入社以前は、ニューサイエンティスト(New Scientist)誌で健康・医療科学担当記者を務めた。
