世界がソフィー・チャンを初めて知ったのは2020年9月、チャンがフェイスブックを辞める際に書いた約8000語に及ぶメモの要約版をバズフィード・ニュースが入手し、その要点を公開したときだった。
チャンはフェイスブックを解雇されるまで、低水準データ科学者として同社に正社員として在籍していた。だが、チャンはその職務より重要な仕事に没頭していた。世界中の選挙の行方を左右する偽アカウントや「いいね」を見つけ出し、削除する仕事だ。
チャンのメモは、こういった不正行為により政治家が国民を欺き、権力を握っている国が、インドやメキシコ、アフガニスタン、韓国など数十カ国もあることに彼女がどのように気づいたかを明らかにしている。また、フェイスブックの経営陣に対してチャンがこの問題を繰り返し指摘したにもかかわらず、フェイスブックが解決策をほとんど取らなかったことも明らかになった。
「私にも責任があると思っています」と、チャンは述べた。
退職の前日、チャンはメモを書くべきかどうか悩んでいた。メモは、問題に真剣に取り組むように、フェイスブックの経営陣に対して社内から圧力をかける最後のチャンスだった。チャンは、約6万4000ドルの解雇手当を辞退し、会社を批判することを禁ずる契約書への署名を避けてこのメモを書いた。フェイスブックに批判的な発言をする自由を失いたくなかったのだ。
だが、当時はちょうど2020年米国大統領選挙の2か月前だ。チャンはこのメモがすぐに報道機関に流れてしまうと、選挙プロセスに対する国民の信頼が損なわれてしまうのではないかと懸念した。「2020年版のジェームズ・コミーになる恐怖を感じていました」と、チャンは言う。ジェームズ・コミーは、2016年の米大統領選の数日前に、ヒラリー・クリントンの私用メールサーバーに関する調査を再開したと議会で明らかにした元FBI長官だ。クリントンはその後、大統領選の敗因はコミー元長官にあると非難した。
チャンが心配していたことは起こらず、彼女は大いに安心した。大統領選が終わると、チャンは当初予定していた計画を進めた。2020年4月、チャンはガーディアン紙に掲載された2つの記事の中で、自分の顔と名前を出し、彼女が発見した政治的操作と、それに対処しなかったフェイスブックの怠慢について、さらに詳細な文書を発表した。
チャンの文書は、フェイスブックが外部から長年受け続けてきた批判を裏付けていた。フェイスブックが選挙への干渉を容易にしており、その行為が同社のビジネス上の利益を損ねない限り、問題が解決されることはないということだ。
チャンは、公の場に出て、匿名の立場を捨てることで、フェイスブックから受ける法的措置や、将来のキャリアへの悪影響、さらには暴露した政治家からの報復などのリスクを負った。「チャンがしたことは、とても勇敢なことです」と、チャンの暴露記事を掲載したガーディアン紙の記者ジュリア・キャリー・ウォンは言う。
フェイスブックのスポークスパーソンであるジョー・オズボーンは声明を発表し、チャンの主張を猛烈に否定している。「フェイスブック退職後に、チャンさんは数々の記者会見をしていらっしゃいますが、フェイスブックのプラットフォームの悪用を一掃する私たちの優先順位付けや取り組みに関するチャンさんの発言に関して、私たちは根本的に同意しません。私たちは、世界中の不正行為を積極的に追及しており、この業務に特化した専門チームも作っています。その結果、私たちはすでに組織的に不正を働く150以上のネットワークを停止しました。(中略)組織的不正行為との戦いは私たちにとって優先すべき事項です」。
約1年間、個人的な質問に対する回答を避けてきたチャンだが、今、自身についての話をしようとしている。チャンが世界中の民主主義を守るために、どのように、そしてなぜそこまで関わるようになったのか、なぜ深刻に心配しているのか、チャンは世の中に理解して欲しいと思っている。トランスジェンダーの女性として身を隠していることにも疲れた。トランスジェンダーの女性であることは、フェイスブックでの行動や退職後の行動に反映されたチャンのアイデンティティの核心部分だ。
チャンの話を聞けば、フェイスブックが自身のサービスを、世界中の選挙に干渉する勢力に利用させていることが、ここまで知られるようになったのは本当に幸運だということがよくわかる。こういった政治的操作に立ち向かっているのはチャンだけではなかった。そして、それはチャンの仕事でもなかった。独特なスキルと情熱を持つチャンは、並外れた道義的責任感に駆られて、自ら責任を負ってこの問題に取り組んだ。
フェイスブックをいかに抑制するかについて検討する世界中の規制当局にとって、これは警鐘となるだろう。
大統領が偽ページで大量の「いいね」工作
チャンは、こんな立場に置かれるとはまったく思ってもいなかった。チャンは極めて内向的な性格で、脚光を浴びるのが苦手だ。ベイエリアでパートタイムの契約社員として働いていたが、経済的負担が大きいことから疲労困憊し、2018年にフェイスブックに入社した。フェイスブックの採用通知を受け取ったとき、チャンは採用担当者に向かって、「フェイスブックが世界を良い方向に変えているとは思わないが、そこを直すために入社したい」と正直に話した。
「『フェイスブックには同様のことを言う人が大勢いることに驚きますよ』と言われました」と、チャンは振り返る。
だが、口で言うほどたやすくはなかった。多くの新入社員同様、チャンも特定のチームに配属されることなく入社した。チャンは、選挙関連のプラットフォームの不正使用を軽減する方法を探る「選挙の完全性」に携わりたかったが、チャンのスキルは募集内容に合致しなかった。チャンは、「フェイク・エンゲージメント」を扱う新しいチームに配属された。
フェイク・エンゲージメントとは、「いいね」や「シェア」「コメント」を不正な手段で生成したり、金銭で売買したりすることを指す。新しいチームは、いわゆる「スクリプト化された不正行為」、つまり、ある人物の人気を高めるために自動ボットによって生成された偽の「いいね」や「シェア」に焦点を絞っていた。
フェイク・エンゲージメントの大半は、単に虚栄のために「いいね」を獲得しているだけだった。だが、チャンは政治家も同様に、プラットフォーム上での影響力を強め、自身の声が届く範囲を広げることができると直感した。そしてまもなく、総選挙を控えたブラジルとインドでそういった事例を見つけたのだった。
だが、スクリプト化された活動を探す過程で、チャンはもっとずっと大きな問題を発見した。ホンジュラスのフアン・オルランド・エルナンデス大統領が、一般ユーザーに似せた偽名とプロフィール写真を使って数百ものフェイスブックページを作成し、それらを使って大統領の投稿に「いいね」やコメント、シェアを殺到させていたのだ(フェイスブックはユーザーが複数のプロフィールを作成することを禁止しているが、企業や公人を対象とした「ページ」には同様の制限が適用されていない)。
この活動はスクリプト化された不正行為としてはカウントされなかったが、得られる効果は同じだった。エルナンデス大統領が実際よりも好感度が高く人気があると一般の人に誤解させるだけでなく、エルナンデス大統領の投稿がニュースフィードで上位に表示されていたのだ。エルナンデス大統領は2017年の再選での不正行為が疑われているが、その図々しさ、およびそれが暗示するものは驚きに …
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