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感染拡大で鳴り止まぬスマホ、英国「ピンデミック」の大混乱
Yui Mok/Press Association via AP Images
Is the UK’s pingdemic good or bad? Yes.

感染拡大で鳴り止まぬスマホ、英国「ピンデミック」の大混乱

新型コロナウイルス感染者が急増している英国でデジタル接触追跡アプリがようやく本領を発揮できる状況が整った。しかし、同アプリが発するアラートをうとましく思う人が増えており、推定5人に1人がアプリを削除する事態になっている。 by Lindsay Muscato2021.07.26

ピンッ!というスマートフォンの通知音を耳にしたのは、オスカー・マウン・ヘイリー(24歳)がイングランドのマンチェスターにあるバーでアルバイトをしているときだった。それは英国国民健康サービス(NHS)の接触追跡アプリ「テスト・アンド・トレース(Test and Trace)」が、新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)に曝露した可能性があり、自主隔離が必要であることを知らせる通知音だった。この知らせはすぐにさまざまな問題を引き起こした。「マネージャーに通知を見せて、帰宅しなければならないと伝えるために、店の中を猛ダッシュで走り回りました」とヘイリーは言う。

ヘイリーが受け取ったアラートは、英国が新たな新型コロナウイルス感染者の急増に対処している間、毎週数十万人に送信されていた。つまり、彼と同じように物資調達の問題や精神的、経済的な問題に直面する人が増加しているということだ。この問題に対処するため、推定5人に1人が接触追跡アプリを完全に削除している。結局のところ、スマートフォンにアプリがインストールされていなければ通知を受け取ることはない。この現象はソーシャルメディアで「ピンデミック」(「パンデミック」とアプリの通知音「ピン」を合わせた造語)と呼ばれ、ガソリン不足店の品薄状態まで、あらゆるものの原因として非難されている。

この接触通知アラートの洪水は、新たに発生したいくつかの状況を反映したものである。感染力が高いと言われているデルタ株が英国全体に広がっていると同時に、記録的な数の英国人がこのNHSの接触追跡アプリをダウンロードしている。加えて、英国ではロックダウン規制の多くが解除されたため、多くの人は以前よりも人と接触する機会が増えている。感染者の増加、ユーザーの増加、接触の増加が、すなわち、接触通知の増加をもたらしたというわけだ。

しかし、それはまさに想定どおりの展開だと、人工知能(AI)とデータ政策を研究しているエイダ・ラブレス研究所(Ada Lovelace)の政策担当役員であるイモージェン・パーカーはいう。実際、大量の接触通知が送られていても、接触追跡システムが見逃している感染はまだたくさんある。

「イングランドとウェールズでは7月8日の週に、60万人以上の人がNHSの接触追跡アプリから自主隔離を指示されました」とパーカーは言う。「しかし、その数は同時期の新規陽性者数の2倍強に過ぎません。この接触追跡アプリの正当性には不安はありましたが、『ピンデミック』を理由に批判するのは見当違いです。基本的にアプリはこれまでどおり機能しています」。

オックスフォード大学のビッグデータ研究所(Big Data Institute)の疫学者で、接触追跡アプリの有効性に関する最も著名な研究で知られるクリストフ・フレイザー教授は、アプリが設計どおりに機能している一方で、大きな社会契約の崩壊という別の問題があると語る。「テレビを見れば、野外ライブが開催され、ナイトクラブは営業していることがわかります。それなのに、なぜ自宅待機を指示されるのかというのは、正直なところ、もっともな指摘だと思います」。

明確で公平なルールがないために、自主隔離を指示された人々の間に不満が広がっているとフレイザー教授は言う。今回のパンデミックで明らかになっているように、公衆衛生テクノロジーは、マーケティングの方法、メディアでの取り上げられ方、担当医師からの説明、議員からの支持(または不支持)など、周囲のあらゆるものと深く関わっている。

「人々は正しいことをしたいと思っています」とフレイザー教授は言う。「歩み寄る必要があります」。

ここまでの経緯

今回のパンデミックの最中に開発された公衆衛生のデジタル戦術である接触通知アプリは、これまで「十分に活用されていない」という多くの批判にさらされてきた。数十カ国が、グーグルとアップルが共同開発したフレームワークを用い、コードを共有して、新型コロナウイルスへの曝露を警告するアプリを作成した。しかし、プライバシーの問題や技術的な不具合が指摘される中、批判者たちは、今回のパンデミックではアプリの公開が遅すぎたと非難した。つまり、公開されたときには、感染者数が多すぎてテクノロジーで流れを変えられなかったということだ。

そうであれば、技術的な不具合が解消され、アプリ普及率が高く、感染者数が新たに急増している今こそ、英国で接触追跡アプリが実質的な効果をもたらすのにちょうど良いタイミングではないだろうか。

「科学的な側面はそれほど課題にはなりません。 課題となるのは行動です。接触追跡システムにおいて最も難しいのは、人に何かをするように説得しなければならないところです」
——リナックス財団公衆衛生のジェニー・ウェンジャー

「人々が自主的に隔離指示に従わない場合はそうではない」と語るのは、リナックス財団公衆衛生(Linux Foundation Public Health)で新型コロナウイルス感染症(COVID-19)関連のテックプログラムを率いるジェニー・ウェンジャーだ。

パンデミックから1年半が経過した現在、「課題となるのは通常、技術面ではありません」とウェンジャーは言う。「科学的な側面はそれほど課題にはなりません。 現時点では、新型コロナウイルスの感染の仕組みはわかっています。課題となるのは行動です。接触追跡システムにおいて最も難しいのは、人に何かをするように説得しなければならないところです。もちろん、ベストプラクティスに基づいてです」。

オックスフォード大学のフレイザー教授は、この課題をインセンティブの観点から考えている。同教授によると、一般の人にとっては、デジタルかどうかにかかわらず、接触追跡のルールを守ることのインセンティブは必ずしも納得のいくものではない。

接触追跡アプリを使用した結果、「自分は隔離されるはめに陥るのに、アプリをインストールしていない隣人は隔離されなくていいということになれば、必ずしも公平だとは思えませんよね?」とフレイザー教授は言う。

さらに厄介なことに、英国は近いうちに隔離ルールを変更すると発表した。8月中旬には、ワクチンを2回接種した人は新型コロナウイルスへの曝露を理由に自主隔離する必要がなくなり、陽性反応が出た場合だけ自主隔離が指示される。英国では成人の約半数が2回のワクチン接種を完了している。

この変更は、人々が自発的にやろうと思えるようなインセンティブをもたらす機会になるかもしれないとフレイザー教授は言う。「何日も隔離するのではなく、仕事に出て生活を続けられるように、検査を提供すべきです」。

一方で、格安航空会社のトップなど、一握りの企業リーダーは、接触通知の警告を回避するために接触追跡アプリを削除するように従業員に働きかけた。国の最高権力者であるボリス・ジョンソン首相とリシ・スナック財務大臣でさえ、接触通知を受けた後の隔離ルールを(代替措置の試験に参加しているという理由で)回避しようとした。その後、国民からの激しい抗議を受けて隔離を余儀なくされた。

保護が混乱を生む

接触追跡アプリのプライバシー保護機能はこの矛盾はさらに悪化させる。アプリのユーザーは、自分に感染の可能性をもたらしたのは誰なのか、どこでその接触が起こったのかは知らされない。それは偶然ではない。接触追跡アプリは、ユーザーの個人情報を保護するためにそのように設計されているからだ。

「疫学分野では、監視は崇高な行為です」とフレーザー教授は言う。「デジタル技術には邪悪な面があります。接触追跡アプリにおけるプライバシー保護のプロトコルは、バランスが取れていたと思います。プライバシーを保護しつつ、人々に情報を届けることが、科学と疫学に課せられた義務です」。

とはいえ、こうしたプライバシー保護がさらなる混乱を招くようになっている。

アリステア・スコット(38歳)は、ノース・ロンドンで婚約者と暮らしている。ロックダウン期間中、2人はいつも一緒に行動していた。それなのに、スコットは最近、隔離の必要があるという通知を受け取り、婚約者は受け取らなかった。「すぐに『なぜ私には通知が届き、あなたには届かないのか?』とあれこれ考えることになりました」とスコットは言う。

今後の展開

進むべき道はいくつかあると専門家は言う。1つは、アルゴリズムを微調整することだ。感染者への曝露期間に関する新しい科学的知見をアプリに取り入れれば、ワクチン接種者への通知の基準が変わるかもしれない。

エイダ・ラブレス研究所のパーカーは、「2回のワクチン接種を完了すれば、感染させるリスクがほぼ半減するという新たな証拠が出てきています」と言う。「この知見がモデルに組み込まれていれば、接触通知に大きな影響があったかもしれません」。

つまり、ワクチン接種済みのユーザーへの通知頻度が下がる可能性がある。

一方、リナックス財団公衆衛生のウェンジャーは、デルタ株のような変異株の感染力の高さを反映するために、NHSのリーダーは接触通知の感度を上げるように設定することも可能だと語る。だが、そのような変更が加えられたことを示す痕跡は今のところ見当たらない。

いずれにせよ、重要なのは接触追跡アプリがその役割を果たし続けることだとウェンジャーは言う。

「国内で感染者数が急増している一方、ロックダウン規制を解除することで経済目標を達成しようとしている現在、公衆衛生当局は本当に難しい立場に置かれています」とウェンジャーは言う。「行動を変えるように人々を促したいものの、あらゆる心理学的側面に対応しなければなりません。人々は大量の通知に疲れてしまうと、行動が変わることはありません」

その一方で、人々は今も接触通知を受け取り、戸惑いを感じ、矛盾したメッセージを耳にしている。

シャーロット・ウィルソン(39歳)と彼女の夫は、接触追跡アプリが利用可能になるとすぐに各々のスマートフォンにアプリをダウンロードした。しかし、特に議員たちが隔離ルールを回避しようとしているのを見て以来、家庭内で意見が分かれている。自主隔離を指示される可能性に直面して、シャーロットは隔離指示に従うと表明したが、夫はそれとは違う意見で、アプリを完全に削除した。

「夫は、『バカげてると思う』と言いました」とシャーロットは言う。自主隔離ルールの変更が間近に迫っていたこともあり、ことさら無益なことに感じられた。

シャーロットは自分のスマートフォンに接触追跡アプリを入れたままにしているものの、夫の考えに理解を示す。

「社会のことを考えると、何が正解なのかよくわかりません」とシャーロットは言う。「ただ、新型コロナウイルス感染症に翻弄されています」。

この記事は、ロックフェラー財団が支援するパンデミック・テクノロジー・プロジェクトの一環として執筆されたものです。

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リンジー・ムスカート [Lindsay Muscato]米国版
MITテクノロジーレビューのパンデミック・テクノロジー・プロジェクト担当編集者。曝露通知など、新型コロナウイルス感染症対策にテクノロジーがどう活用されているかを取り上げている。以前は、より強力で代表的なジャーナリズムの構築を目指す「オープンニュース(OpenNews)」の編集長を務めていた。
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