新型コロナの起源めぐる「タヌキ騒動」が意味すること
新型コロナウイルスの起源に関する論争が3月下旬、再燃した。新型コロナウイルスを持ち込んだのがタヌキである可能性があるというものだ。 by Jessica Hamzelou2023.05.09
この記事は米国版ニュースレターを一部再編集したものです。
新型コロナウイルスが3月下旬、再び大きな話題となった。パンデミック当初から続いてきた、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の原因となるウイルス(SARS-CoV-2)の起源をめぐる論争が再燃したのだ。
科学者たちがこれまで示してきた大まかな見解は、2019年末のある時点で、武漢の華南海鮮市場で動物からヒトにウイルスが感染したのだろうというものだ。しかし、一部の科学者は、ウイルスが逆にヒトから動物に感染したと主張している。そして、このウイルスはコウモリのコロナウイルスを研究していた近くの研究所から何らかの形で流出したものであると訴え続ける人も少なくない。
2020年に収集されて以来、公開されてこなかったデータが、動物由来説を裏付けることになるかもしれない。このデータによって、容疑者となり得る動物が浮上してきた。タヌキだ。しかし、このデータがどれほどの説得力を持つかは、誰に話を聞くかによって違ってくる。データの新たな分析は、新型コロナウイルスの起源をめぐる論争に再び火を付け、深刻な事態を引き起こしている。
今回の騒動は、2022年2月に中国の科学者が発表した研究に端を発している。中国疾病予防管理センター(CCDC)の高福(ガオ・フー:ジョージ・ガオ)主任ら研究チームは、プレプリント(査読前もしくは学術誌に掲載前の科学論文)の中で、華南海鮮市場から1380点のサンプルを収集し、分析した経緯について記載している。
これらのサンプルは、市場が閉鎖された直後の2020年1月から3月にかけて採取されたものだ。研究チームが記すには、その当時、新型コロナウイルスを検出できたのは、ヒトから採取したDNAを含むサンプルだけだったという。
この市場では、海産物のほかにもさまざまな動物が販売されていた。高主任らの論文には、ニワトリ、アヒル、ガチョウ、キジ、ハト、シカ、アナグマ、ウサギ、タケネズミ、ヤマアラシ、ハリネズミ、ワニ、ヘビ、サンショウウオなどがずらりと列挙されているが、このリストから漏れている動物がいる。タヌキなどの他の動物も売買されていたと報告されているのだ。タヌキについては、また後ほど触れることにしよう。
だが、高主任の研究チームは、調査した18種の動物いずれからも新型コロナウイルスを発見できなかったと報告した。彼らは、海鮮市場にウイルスを持ち込んだのはヒトである可能性が最も高く、結果的にこの場所がアウトブレイクが初めて確認された場所になったと主張した。
さて、2023年3月まで時を進めよう。3月4日、パリにあるソルボンヌ大学の進化生物学者であるフローレンス・ドゥバー研究員は、「鳥インフルエンザ情報共有の国際推進機構(GISAID)」にアップロードされたあるデータに目を留めた。GISAIDは、感染症の原因となるウイルスの研究や追跡に役立つ遺伝子データを研究者が共有するWebサイトだ。該当データは2022年6月にアップロードされたもののようで、実際の論文には収録されてはいなかったものの、2022年2月の研究のために高主任のチームが収集したものと見られた。
ドゥバー研究員のチームがこのデータを分析したところ、高主任の研究チームが収集したコロナウイルス陽性サンプルのうちいくつかは、タヌキなどのさまざまな動物が生息する地域から収集したものであることが判明した。この発見は、アトランティック(The Atlantic.)誌の記事で取り上げられた。その後、ドゥバー研究員のチームは、研究データリポジトリ「Zenodo」に調査結果をまとめた報告書を掲載している。
「この発見は非常に重大な意味を持ちます。感染動物の存在を証明したからではありません(実際に証明はできないのですから)。それよりも、タヌキや他の感染し得る動物をウイルスが存在する市場、まさにその場所と結びつけたからです。そう、ヒトとではなくです」。カナダにあるサスカチュワン大学のウイルス学者で、同報告書の共著者でもあるアンジェラ・ラスムッセン研究員は、3月21日にこうツイートしている。
中でもタヌキに関心が集中した。ウイルスに感染し、拡散させる危険性があることが判明したからだ。しかしこのデータからは、市場にいたタヌキがウイルスに感染していたことを裏付けることはできない。仮にそうであったとしても、そのタヌキがヒトにウイルスを感染させた動物であったことを意味するものではない。では、このデータにはどのような意味があるのだろうか?
研究所漏洩説の支持者からすると、何の意味もないデータだ。華南海鮮市場でウイルスがヒトに感染したことや、タヌキが関与したことを示す新たな決定的証拠は存在しないからだ。
一方、コロナウイルスのヒトでのアウトブレイクの起源として、華南海鮮市場で動物からヒトにウイルスが感染した可能性を支持している多くの科学者たちは、このデータは自説をより強固にするものにするだと回答するかもしれない。なぜなら、感染リスクのある動物が少なくともウイルスと接触したことを示すより決定的な証拠となり、研究所漏洩説にさらなるとどめを刺すものになるからだ。
この話にはまだ続きがある。ドゥバー研究員のチームは、発見した内容を3月10日に高主任のチームに伝えたという。その翌日、高主任のチームのデータはGISAIDから消え、ドゥバー研究員のチームは分析結果を世界保健機関(WHO)に持ち込んだ。WHOは両チームの結果について、新規病原体の起源に関する諮問グループ(SAGO:Scientific Advisory Group for the Origins of Novel Pathogens)を交えて2度の会議を開き、議論を重ねた。
「このデータは、ウイルスの中間宿主や起源について決定的な証拠を与えるものではないが、ヒトへの感染源となり得た感染リスクの高い動物が市場に存在したことを示す、さらなる証拠となるものです」。SAGOは3月18日の声明でこう述べている。
中国の研究者がデータを隠蔽していることを懸念する声は多い。2022年に公開されたプレプリントにはタヌキについての言及はなかったものの、GISAIDに掲載されたデータや証拠写真から、閉鎖前の市場にタヌキがいた可能性が示された。「(高主任のチームのデータは)3年前に共有できたはずであり、共有すべきものでした」。WHOのテドロス・アダノム・ゲブレイェソス事務局長は、3月17日の記者会見でこう述べている。「我々は中国に対し、データ共有における透明性を確保し、必要な調査をし、結果を共有するよう引き続き求めます」。
中国疾病予防管理センターにすべてのデータを公開するよう公に働きかける多くの科学者たちのリストに、ドゥバー研究員のチームも名を連ねている。サンプルが2020年の初頭に採取されたことを考えると、すでに「不合理なほどの時間」が経過していると、ドゥバー研究員らは記している。高主任の研究チームは、ネイチャー誌に投稿する論文に取り掛かっているらしい。ネイチャー誌に論文が載ったら、もっと詳しいことが分かるのかもしれない。
その一方で、さらなる事件が発生した。3月21日、ドゥバー研究員はGISAIDへのアクセス権が剥奪されたとツイートした。これはおそらく、ドゥバー研究員のチームが、中国チームの結果に対する独自の分析を発表したためだろう。同日、GISAIDが発表した声明によると、高主任ら中国の研究者は今回のデータに基づいて独自の論文(おそらくネイチャー誌のもの)を準備していたという。他の研究者がそのデータを自らの論文に使用することは、すなわち中国チームの研究を不当に「出し抜く」ことになる。ドゥバー研究員のアクセス権は翌日には回復したものの、彼女は「私たちの誠実さを疑った人々」に対し、謝罪するよう求めている。
「私たちは、『出し抜いた』わけではありません。皆の暮らしを大きく狂わせた、パンデミックがどのように始まったのかは世界中の人が知るべきであり、その権利を行使したまでです」とラスムッセン研究員はツイートした。
新型コロナウイルス感染症の原因となったウイルスの起源をめぐる論争が白熱し続けている。米国では各連邦政府機関の間で、自らの立ち位置について合意ができていない。また、科学者の大半は動物由来説を支持しているが、ウイルスが研究所から流出したとの説に耳を傾ける者も少なくない。
私自身は、動物から感染したとの説に一票入れたい。動物を檻に閉じ込め、密接な環境に多くの動物を押し込むことは、非人道的であるだけでなく、病気の蔓延に最適な環境を作り出すことになる。野生動物を捕獲し、生息地を侵害することは、病気が種を超えて伝播するリスクをもたらす行為であることは明らかだ。アウトブレイクが他の原因によるものであったとしても、野生動物の生息環境を守り、野生動物の取引を禁止することの重要性を見失わないでほしいと切に願う。
MITテクノロジーレビューの関連記事
中国疾病予防管理センターのデータをドゥバー研究員とともに分析したアリゾナ大学のマイケル・ウォロビー教授は、2021年5月に研究所漏洩説のさらなる調査を求める書簡に署名している。2021年にジェーン・チウが報告したように、ウォロビー教授は現在、パンデミックの発端となったのは、華南海鮮市場の動物からのウイルス拡散でほぼ間違いないと考えている。
新型コロナウイルス感染症の重症化率を89%も減少させることが示されたファイザーの抗ウイルス薬「パキロビッド」について、誕生の舞台裏を本誌のアントニオ・レガラード編集者が取材している。
それ以降、アンチエイジング薬が新型コロナの治療にも役立つのではないかと、さまざまな研究が進められている。この件については筆者が昨年報告している。
◆
医学・生物工学関連の注目ニュース
病院が妊婦の薬物検査を本人の同意なしに実施している。その結果、硬膜外麻酔を投与されなかったり、新生児とのかけがえのないスキンシップの機会を奪われる者も出てきている。(ニューヨーク・マガジン)
脳刺激は子宮内膜症の疼痛治療に役立つのか? 可能性はある。小規模なプラセボ対照試験の結果、経頭蓋直流電気刺激(tDCS)は、子宮内膜症患者の疼痛の知覚を低下させることが示された。(ペイン・メディシン)
痩身注射がインターネットで大きな話題となっている。しかし、すべての情報がインフルエンサーが発信したものであるなら、その危険性は明確には分からないかもしれない。(MITテクノロジーレビュー)
47歳で聴力を失い始めたマレーネ・シュルツは、大音量の音楽が原因だという医師の指摘を受け入れず、正しい診断を求める旅に乗り出した。(ワシントン・ポスト紙)
記憶とはどのようなものか? 研究者の中には、記憶は核酸に保存され、分子コードとして読み出されるのではないかと考える者もいる。(ニューロバイオロジー・オブ・ラーニング・アンド・メモリー)
- 人気の記事ランキング
-
- A tiny new open-source AI model performs as well as powerful big ones 720億パラメーターでも「GPT-4o超え」、Ai2のオープンモデル
- The coolest thing about smart glasses is not the AR. It’s the AI. ようやく物になったスマートグラス、真価はARではなくAIにある
- Geoffrey Hinton, AI pioneer and figurehead of doomerism, wins Nobel Prize in Physics ジェフリー・ヒントン、 ノーベル物理学賞を受賞
- Why OpenAI’s new model is such a big deal GPT-4oを圧倒、オープンAI新モデル「o1」に注目すべき理由
- ジェシカ・ヘンゼロー [Jessica Hamzelou]米国版 生物医学担当上級記者
- 生物医学と生物工学を担当する上級記者。MITテクノロジーレビュー入社以前は、ニューサイエンティスト(New Scientist)誌で健康・医療科学担当記者を務めた。