年間8万人が死亡するオピオイド危機、鎮痛薬開発はなぜ難しいか?
米国ではオピオイド(麻薬性鎮痛薬)の過剰摂取による被害が深刻な社会問題になっている。オピオイドに代わる鎮痛剤の開発は失敗の連続だったが、ようやく光が見えてきた。 by Cassandra Willyard2023.08.24
この記事は米国版ニュースレターを一部再編集したものです。
8月上旬、私は米国におけるオピオイド(麻薬性鎮痛薬)依存症について考えていた。そのデータは驚くべきものだ。2010年以降、オピオイドの過剰摂取による死者数は4倍近くまで増加している。昨年は過剰摂取で8万人以上が死亡した。実に6分30秒に1人の割合である。
オピオイド使用障害は特に治療の難しい疾患だが、安全で効果的な薬は確実に存在している。このような薬は離脱症状を緩和したり、オピオイドの違法使用を減らしたり、治療を継続させるのに効果がある。また、過剰服薬による死亡リスクを下げることもできる。だが、8月7日に発表された研究成果は、使用障害の患者の5人に1人しか、このような薬の投与を受けていないことを示している。
こうした状況を改善しなければならないことは明らかだ。それは治療の改善を意味する。そして、痛みを制御する代替手段を見つけることも意味するが、これは非常に難しいことが分かっている。8月3日に発表された研究論文は、ボストンのバイオテック企業バーテックス・ファーマシューティカルズ(Vertex Pharmaceuticals)が開発した「VX-548」という化合物で進展があった可能性を示すものだ。VX-548は手術後の痛みの緩和を目的とした飲み薬である。最大用量のVX-548を外反母趾の手術(※)や腹部の整形手術の後に投与したところ、偽薬に比べて痛みの緩和効果が大きかったという。これまで後ろ向きなニュースばかりだったところに、良い知らせと言えるだろう。
痛みの治療が難しい理由は、痛み自体の複雑さにある。医師は、持続時間(急性・慢性)や始まり方によって痛みを分類している。一部の痛みは、切り傷ややけど、腕の骨折、腫瘍など、身体が傷つくことから始まる。体内の感覚神経(神経細胞)が損傷を検知し、脳に痛みの信号を送る。糖尿病による神経損傷に伴う刺すような痛みやヒリヒリする痛みなどは、神経細胞自体が傷つくことで始まる。
ヘロインやモルヒネ、フェンタニルなどのオピオイド類は、痛みを覆うことで効果を発揮する。脳や脊髄にある受容体と結合し、痛みの信号をブロックするのを助ける一連の反応を開始するのだ。オピオイド処方薬は、特定の状況では極めて大きな鎮痛効果を発揮する。しかし、その作用は痛みの抑制にとどまらない。オピオイド受容体が活性化されると、ドーパミンが大量に放出される。その結果、気分が良くなって多幸感を覚えることもあるが、長続きはしない。摂取量が増えるほど、同じ気分を味わうのに要する量も増えてしまう。だからこそ、乱用されやすいのだ。
もちろん、非オピオイド系の鎮痛剤はすでに存在する。イブプロフェンやアスピリン、アセトアミノフェン、ナプロキセン・ナトリウムなどの薬だ。店頭で手に入るため(日本版注:ナプロキセン・ナトリウムは日本では処方薬となっている)、いくつかは知っている方もいるだろう。これらの薬はドーパミンを放出させることはなく、オピオイドのような依存性はない。しかし、潰瘍や出血、心臓の不具合など、深刻な副作用もいくつかある。大部分(アセトアミノフェン以外)は「非ステロイド性抗炎症薬(NSAIDs:Non-Steroidal Anti-Inflammatory Drugs)」という種類に属している。その名が示す通り、NSAIDsは体内の炎症に的を絞り、痛みを感じさせる化学物質の生成を抑える。だが、ほかの種類の痛みには効果がない。
新たな種類の鎮痛剤を開発しようという努力は、多くの障害に直面してきた。昨年だけでも以下のようなことがあった。まず、リジェネロン・ファーマシューティカルズ(Regeneron Pharmaceuticals)が変形性関節症や慢性腰痛の治療に向けた化合物の開発を断念した。イリノイ州のバイオテック企業アプティニクス(Aptinyx)による試験的な疼痛治療は、線維筋痛症患者の治験では上手くいかなかった。そしてカリフォルニア州サンディエゴに本社を構えるアカディア・ファーマシューティカルズ(Acadia Pharmaceuticals)は、外反母趾の手術を受けた患者について、自社開発の化合物の効果が偽薬と大差なかったと報告した。2021年には、イーライリリーとファイザーが変形性関節症の患者の痛みを治療するモノクローナル抗体「タネズマブ(Tanezumab)」の開発を中止している。失敗の原因は完全には分かっていない。そのため、最良の方針を見つけるのが難しくなっている。
バーテックス・ファーマシューティカルズが開発した新たな化合物は、痛みを知覚する神経自体のナトリウム・チャネルを標的とする種類の薬の1つだ。痛みの研究を専門とするイェール大学医学部の神経学者であるステファン・ワックスマン教授は、ナトリウム・チャネルを神経インパルスを誘導させる「小さな分子電池」と表現している。ナトリウム・チャネルの遮断薬はすでに存在する。局所麻酔薬のリドカインもその1つだ。だがこれらの薬は、心臓細胞や脳内にある重要なものも含め、ナトリウム・チャネルをすべて塞いでしまうため、局所麻酔薬としてのみ投与されることが多い。
VX-548は、痛みを感じる神経細胞にのみ存在する「Nav1.8」という特定のチャネルを標的とする。つまり、心臓や脳の機能を阻害することなく、身体全体の神経細胞で機能するのだ。オピオイド受容体を活性化させることがないため、ドーパミンが放出されることもない。つまり、「ハイ」な気分を伴うことなく痛みを緩和できる。
VX-548の第2相治験は、腹部の整形手術や外反母趾の手術を受けた中程度から重度の痛みを持つ患者を対象に実施された。治験対象者は鎮痛剤を要求した患者から無作為に選ばれ、いくつかのグループに分けられた。一部の患者には、VX-548が3段階の量で投与された。ヒドロコドン(オピオイド)を含む錠剤と偽薬をそれぞれ投与されたグループもあった。そして、最大用量のVX-548を投与された患者の痛みの軽減効果が、ほかのグループよりも大きかったのだ。
研究に添えられた論説では、効果は「小さかった」とされている。だが、興奮するような結果だった。その理由の一部は、非オピオイド鎮痛剤の開発が、これまで規模の大小にかかわらずほとんど成功していないことにある。「今回のヒトの臨床研究では、周辺的なナトリウム・チャネルの1つを標的とすることができ、副作用なしに被験者の痛みを緩和できることが示されました」。ワックスマン教授は「ニュー・イングランド・ジャーナル・オブ・メディシン」でそう語っている。「人類は、鎮痛薬の新たな時代に一歩踏み入れたのです」。
期待が持てそうだ。
(※)疼痛薬の治験に外反母趾の手術を受けた患者がなぜこれほど含まれているのか疑問に思われる方もいるだろう。実は、外反母趾の手術は急性疼痛の典型的な手術モデルの1つなのだ。別の例としては抜歯手術がある。
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アダム・ピオルが、非中毒性の鎮痛剤の開発について、さかのぼること2016年に記事にしている。
飲み込めるカプセルによって、オピオイド処方薬の過剰摂取を監視することは可能なのか? 2017年に、エミリー・マリン編集者がこの新しい手法について記事にしている。
脳波を記録することで痛みを定量化しやすくなり、一部の治療法を大転換させる可能性がある。リアノン・ウィリアス記者による今年5月の記事だ。
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オピオイド危機についてもっと知りたい方のために、ポッドキャスト「シリアル(Serial)」が「リトリーバルズ(The Retrievals)」という新シリーズを始めた。オピオイドの乱用が患者に及ぼす影響について、恐ろしい事例を紹介している。看護師がフェンタニルの瓶を盗んで中身を生理食塩水とすり替えたために、ある女性がフェンタニルなしで採卵手術を受ける羽目になったという。ゾッとするような話だが、一聴の価値ありだ。
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- cassandra.willyard [Cassandra Willyard]米国版
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