初のCRISPR療法が承認、2023年の遺伝子編集シーンを振り返る
2023年は、CRISPR遺伝子編集技術を利用した鎌状赤血球症の治療法が米国と英国で承認された。2023年の遺伝子編集療法に関する記事を振り返りながら、この療法に残された課題を考える。 by Cassandra Willyard2023.12.29
この記事は米国版ニュースレターを一部再編集したものです。
今回は、この1年間に公開したバイオテクノロジー関連の記事を振り返ってみたい。過去の記事を読み返していると、遺伝子編集に関して膨大な数の記事を公開していることに衝撃を受けた。
しかしそれは驚くような話でもない。遺伝子編集以上に医学を変革する力のあるテクノロジーはおそらくほかになく、その極めて大きな可能性は現実のものとなり始めたばかりなのだ。遺伝子編集は、遺伝暗号の一部を削除、挿入、または改変するために利用できる。DNAの組換えは何年も前から可能だった。しかしCRISPR(クリスパー)のような新しいテクノロジーによって、それを以前よりも速く、正確に、効率よくできるようになったのだ。2023年には、CRISPRを利用した遺伝子編集療法が初めて承認された。今後はさらに多くの遺伝子編集療法が承認される見込みだ。
それでは今年ニュースになった出来事を見ていこう。遺伝子編集にはどのような未来があるのだろうか。また、現時点でどのような危険があると判明しているのだろうか。
思いがけない幸運と次のステップ
初のCRISPR療法である「キャスジェビー(Casgevy)」は、鎌状赤血球症の治療法としてすでに英国と米国で承認されている。そして現在は、欧州連合(EU)での承認を間近に控えている状況だ。鎌状赤血球症は、三日月形の赤血球を特徴とするヘモグロビンの遺伝子変異によって引き起こされる。この治療は病の根本原因に対処するものではなく、代わりに別の遺伝子を無効にする。対象となるのは通常、子宮内、または乳幼児期にのみ作られる、ある種のヘモグロビンの生産を妨げる遺伝子だ。その遺伝子が機能しなくなると、2種類目のヘモグロビンの生産が再開する。この治療法が有効なのは、胎児ヘモグロビンを含む細胞が鎌状赤血球を形成しないからだ。キャスジェビー開発の興味深い裏話については、本誌のアントニオ・レガラード編集者によるこちらの記事をご一読いただきたい。
このような回り道を取るのはなぜか。現行のCRISPRは、遺伝子を無効にする断片を作り出すハサミとして最高の働きをする。そのため、これを利用した治療法の用途は限られる。 最新版のCRISPRでは、研究者は遺伝暗号の改変や、新しい遺伝子の挿入さえもできるようになる。それによって、多種多様な遺伝性疾患への対処が可能になるだろう。
たとえば、バーブ・セラピューティクス(Verve Therapeutics)が試験中の手法に一塩基編集と呼ばれる手法がある。この手法については、本誌のジェシカ・ヘンゼロー記者が1月に記事で詳しく取り上げた。「DNAには4種類の塩基がある。A(アデニン:Adenine)、T(チミン:Thymine)、C(シトシン:Cytosine)、そしてG(グアニン:Guanine)の4種類だ。 CRISPR 2.0では、DNAを切断する代わりに任意の塩基文字を別の塩基文字に変換することができる。一塩基編集は、CをTに、AをGに置き換えることができるのだ。『もはやハサミではなく、鉛筆と消しゴムのようなものです』とハーブのムスヌル上級科学顧問は言う」。
バーブのこの治療法は、高コレステロールに関連する「PCSK9」というタンパク質の塩基をひとつ置き換えるもので、小規模な臨床試験に入っているところだ(この治療法は、MITテクノロジーレビューの2023年版ブレークスルー・テクノロジーのひとつである)。その改変によって遺伝子を無効にする。その結果、体内のPCSK9産生量が減り、コレステロール値が低下するのだ。11月に同社が発表した中間結果によると、この治療薬を1度注射するだけで、高コレステロールを引き起こす遺伝性疾患のある患者10人の血中LDL値が最大で55%減少したという。
科学者によるDNAの断片の置き換えや新たな遺伝暗号の挿入を可能にするCRISPR 3.0は、未だ動物実験の段階にある。プライム・メディシン(Prime Medicine)は、遺伝性免疫疾患である慢性肉芽腫症の治療法を開発し、ヒト臨床試験を2024年に開始するために米国食品医薬品局(FDA)の認可申請を予定している。
少なくとも現時点では、潜在的な危険が残る
承認されている唯一のCRISPR療法は単純な治療法ではない。患者は骨髄移植を受ける必要がある。欠陥のある細胞を破壊する化学療法の後に幹細胞を抽出し、その細胞を研究室で編集した後に再注入するのだ。この治療を受けた数少ない患者のひとりであるジミ・オラゲレは、それがどれほどつらいものだったかを記事にまとめている。細胞採取の過程では、輸血が必要になるほど彼は衰弱した。そして化学療法では、「吐き気、脱力感、脱毛、ひどい口内炎、そして基礎疾患の悪化リスクと戦うことになった」。オラゲレは、合計で17週間を病院で過ごした。
治療の複雑さを思えば、推定で220万ドルというその高額な費用を知っても驚くことはないだろう。この価格設定は、多くの人々、特に低所得国の人々の手に届かない治療法であることを意味している。
バーテックス・ファーマシューティカルズ(Vertex Pharmaceuticals)社はすでに、鎌状赤血球療法をより利用しやすく安価で治療するテクノロジーを開発するための戦略を模索している。 本誌のアントニオ・レガラード編集者は今月初め、同社の研究責任者であるデイヴィッド・アルトシューラーから戦略の一部について話を聞いた。 より有望な手法のひとつは、遺伝子編集がまったく関係しない可能性がある。
「よく聞かれる質問のひとつは、どのようにしてこの治療法をほかの国々に広げるのか、というものです」とアルトシューラーは語った。「その答えは、他国で骨髄移植をしようとすることではないと考えています。リソースがかかりすぎるし、インフラもありません。はるかに効果的に配布できる錠剤など、別の方法を見つけることで、その目標の達成がより早くなると思います」。
安全性への懸念は山積みだ。遺伝子編集は永続的に作用する。最大の懸念のひとつは、そうした治療が失敗し、狙いとは異なる効果につながってしまうかもしれないというものだ。規制当局がこの可能性を懸念したため、FDAの諮問委員会は11月に会合を開いた。そしてキャスジェビーの安全性を証明するに当たって、バーテックスが追加データを提供する必要があるのか評価した(委員会は最終的に、承認には既存データで十分であると判断した)。同社は安全性の確認のため、患者を対象とした15年間の追跡調査を予定している。
多くの専門家は、切り取りを伴わない塩基編集はハサミのように機能するCRISPR治療より安全なはずだと考えている。しかし、その点においても安全性が大きな課題となっている。高コレステロールを塩基編集で治療したバーブの臨床試験では、肯定的な効果を得ることができた。ところが2人の被験者が心臓発作を起こし、さらにそのうちの1人が死亡したことで、成功に影を落とす結果となったのである。
CRISPRをめぐる壮大な特許紛争は、有力な治療法にとって、長期にわたりもうひとつの潜在的な障害となっている。しかし今月、本誌のアントニオ・レガラード編集者が部分的な解決策を報じた。バーテックスは、競合のエディタス・メディシン(Editas Medicine)とブロード研究所(Broad Institute)に対し、ブロード研究所のCRISPR特許を使用するために数千万ドルを支払うことに合意した。これでバーテックスは訴訟の可能性を回避した。「このライセンス契約によりブロード研究所(ハーバード大学とMITが共同で運営)とカリフォルニア大学バークレー校の熾烈な特許争いに終止符が打たれるかどうかはまだわからない。カリフォルニア大学バークレー校は依然としてライバルの主張を覆すべく、米国特許裁判所での係争を続けている」と本誌のアントニオ・レガラード編集者は記している。
隠れた危険はあるものの、成功すれば、遺伝子編集療法が変革をもたらすことは間違いない。オラゲレは、治験参加者としての自身の経験を詳しく綴っている。 「夢でしかなかったことが現実となり始めた。無限の活力と、眠るだけで回復する体力だ。機能不全の赤血球が急速に分解することで起こる目の黄疸などの身体症状は、一晩のうちに消えたも同然だった、と彼は述べている。「最も重要なのは、鎌状赤血球症によって家族から引き離されることはないという自信と、己の運命をコントロールできるという感覚を手に入れたことだ」。
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- cassandra.willyard [Cassandra Willyard]米国版
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