KADOKAWA Technology Review
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建築家と神経科学者が巨大迷路で探る、理想の空間設計
Sandra Ciampone
Neuroscientists and architects are using this enormous laboratory to make buildings better

建築家と神経科学者が巨大迷路で探る、理想の空間設計

実世界の実物大のシミュレーション環境を構築することで、脳が周囲の環境にどう反応するかを調べる研究が英国で進められている。この研究から建築の未来が形づくられるかもしれない。 by Jessica Hamzelou2024.09.18

この記事の3つのポイント
  1. 英国の巨大な研究施設で建築と神経科学の共同研究が実施中
  2. 研究では人々の空間ナビゲーション能力などを調査
  3. 研究成果は誰もが活用しやすい建築物の設計に役立てられる
summarized by Claude 3

この記事は米国版ニュースレターを一部再編集したものです。

建物の中で完全に迷子になり、とても目的地にたどり着けそうにないと思ったことはないだろうか? 建物の利用者を中心に考えていない建物は、よい建築デザインとはいえない。だが、これは決して簡単なことではない。

位置感覚だけの問題ではないからだ。眠くなったり、やる気が出なかったりするオフィス、あるいは気が滅入るような雰囲気に満ちた健康センターを想像してみればわかるだろう。ある人にとって優れたデザインが、ほかの人にとってもそうとは限らない。人々の心と体は千差万別で、それぞれに異なる欲求やニーズをもっている。では、こうした要素をすべて取り入れるにはどうすればいいだろう?

この問題に答えるため、神経科学者と建築家の研究チームが、英国イーストロンドンの巨大なラボで共同研究を実施し、シミュレートされた世界をいくつも構築している。このラボでは、照明、室温、音を自在にコントロールして、霧に包まれた夜や、朝の小鳥のさえずりの感覚を創り出せる。

研究チームは、食品店、病院、横断歩道、学校などをシミュレーションしたさまざまな環境で、ボランティアが環境にどう反応するかを調べている。私が動作を記録するセンサーを搭載した改造野球帽をかぶり、アートギャラリー風の建物の中を歩き回ることになったのは、こうした理由からだ。

ヒト−環境−活動研究所(PEARL:Person-Environment-Activity Research Lab)を初めて訪れたのは7月のことだ。ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)の神経科学者であるヒューゴ・スピアーズ教授と私は、ビデオゲームを使って人々のナビゲーション能力を検証する方法について話していた。その中で、スピアーズ教授は進行中の別のプロジェクトに言及した。実世界そっくりの環境で人々のナビゲーション能力を調べ、避難の際に(つまり、状況によっては生死に関わる状況で)どんな反応をするかを検証しているのだという。

スピアーズ教授らの研究チームは、研究所の中に「実物大アートギャラリー」を作り上げた。研究センターはとてつもなく巨大だ。幅100メートル、奥行き40メートル、天井の高さは場所によっては10メートルに達する。スピアーズ教授によると、こうした研究センターは世界でここだけだという。

ギャラリーの構造は、上から見るとどこか迷路のようで、黒いシーツを吊るして通路が仕切られている。展示されているのは、UCLの学生たちが制作したドラマチックな映像作品だ。

7月に訪ねたとき、スピアーズ教授らのチームは、実験手順を確立するための小規模な予備実験をしていた。ボランティア参加者の一人となった私は、番号のついた黒いキャップを渡された。キャップのてっぺんに正方形のボードがついていて、QRコードが大きく印刷されている。ギャラリーの上部と周囲に設置されたカメラが、このコードを読み取って追跡する仕組みだ。キャップにはセンサーも搭載されていて、迷路のまわりに設置されたデバイスに無線信号を発信し、居場所を誤差15センチ以内で特定できるようになっている。

最初のうち、ボランティア(ほとんどは学生のようだった)は全員、ギャラリーの中を自由に見て回るよう指示された。私はうろうろ歩き、映像を見て、ほかのボランティアの会話に聞き耳を立てた。彼らは研究のことや、論文の提出期限のことを話していた。楽しく和やかな雰囲気だった。

そんな雰囲気は、実験の第2パートで消え失せた。参加者は各自、番号のリストを渡され、それぞれがスクリーンの番号に対応しているので、リストに書かれた通りの順番でスクリーンを巡回するように指示された。「がんばってね、みんな」と、スピアーズ教授は声をかけた。

一転して、誰もが急ぎ足になった。お互いとすれ違い、衝突を避けつつ、早く移動しようと躍起になった。「なんか慌ただしくなったよね」と、ボランティアの一人がつぶやくのが聞こえ、私は別のボランティアにぶつかった。スピアーズ教授が実験終了を宣言したとき、私はタスクを完了できていなかった。出口に向かう途中、何人かが明らかに息を切らしているのに気づいた。

本番の実験は9月11日に実施された。今回は約100人のボランティアが参加した(私は不参加)。ほぼ全員が改造野球帽をかぶっていて、何人かはもっと複雑な装置を装着していた。脳波を測定する脳波計(EEG)キャップ、または近赤外線分光法を用いて脳血流量を測定するキャップだ。視線の位置を追跡する、アイトラッカーデバイスを装着している人もいた。

「今日の実験は画期的なものです」。スピアーズ教授は実験開始時に、ボランティア、スタッフ、見学者に語った。これほど詳細な測定データを、これほど多くの参加者から、このような実験環境で記録するのは、彼いわく「世界初」だという。

正直に言って、実験を見学するのは、参加するよりもずっと楽しかった。指示を覚えて迷路を走り回るストレスがないからだ。椅子に座り、カメラとセンサーが収集したデータがスクリーンに映し出されるのを眺めた。ギャラリーの中を動き回るボランティアは、曲がりくねった色付きの線として表示され、コンピューターゲームの「スネーク(Snake)」を彷彿とさせた。

実験の内容は予備実験と似ていたが、今回のボランティアには追加のタスクが課せられた。ある時点で、ボランティアには町や都市の名前が書かれたカードが入った封筒が渡され、同じ地名カードを持った人を見つけるよう指示された。グループができるのを見るのはわくわくした。バンコクのような有名な都市を引いた人もいれば、何の変哲もないイングランドの町(スラウなど)を引いた人もいた。ちなみにスラウは、英国のテレビドラマ『ジ・オフィス(The Office)』の舞台として知られる。さらに別の段階で、ボランティアは最寄りの出口からギャラリーを出るように指示された。

実験で集められたデータは、スピアーズ教授のような研究者にとって宝の山だ。研究チームは、人々がどのように空間ナビゲーションをするのか、一人の時とグループの時では異なる動きをするのかといった疑問を、掘り下げて解明したいと考えている。友人同士、赤の他人同士は、どのように相互作用するのか? こうした相互作用は、親睦を深められるような特定タイプの要素に依存するのか? 人々は避難指示にどう反応するのか――指示通りに最寄りの出口を使うのか、それともオートパイロットのように、最初に建物に入った場所に戻って脱出するのか?

こうした情報はみな、スピアーズ教授のような神経科学者にとって貴重であるだけでなく、共同研究をするフィオナ・ツィシュ博士のような建築家にも有用だ。ツィシュ博士はUCLのバートレット建築大学院に所属している。「私たちがデザインした空間について、人々がどのように感じているかに、大いに関心をもっています」と、ツィシュ博士は語った。得られた知見は、新たな建造物の建設だけでなく、既存の建物を改装・再設計するうえでも指針になるだろう。

2021年に完成したPEARLはこれまでも、神経学的に多様な人々が食品店をどのように利用するのか、横断歩道に設置する理想的な照明はどんなものかといった、エンジニア、科学者、建築家に役立つ知見を提供してきた。ツィシュ博士自身は、誰もが自分にとってベストな形で活用できる、より衡平な空間、とりわけ健康・教育関連施設の創造に熱意を持っている。

従来、建築業界で利用されるモデルは、平均的な体型の健常者の男性を想定してつくられることが多かった。「でも、全員が身長188センチでブリーフケースを抱えた男性というわけではありません」と、ツィシュ博士は語る。年齢、ジェンダー、身長、さまざまな身体的・心理的要因が、人が建物を利用する方法に影響を与える可能性がある。「私たちは空間だけでなく、空間利用の体験を改善したいのです」(ツィシュ博士)。よい建築の条件は、目を見張るような特徴を生み出すことだけではない。ほとんどの人が気づきもしないような、精緻な調整を施すことでもあるのだと、同博士は説く。

このアートギャラリー実験は、ツィシュ博士やスピアーズ教授のような研究者にとっては始まりにすぎない。彼らはPEARLのバーチャル環境をさらに活用し、神経科学と建築に関わるさまざまな側面の探究を計画している。研究チームが結果を手にするのはまだしばらく先だ。だが、わくわくするようなスタートであるのは間違いない。この先が楽しみだ。

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ジェシカ・ヘンゼロー [Jessica Hamzelou]米国版 生物医学担当上級記者
生物医学と生物工学を担当する上級記者。MITテクノロジーレビュー入社以前は、ニューサイエンティスト(New Scientist)誌で健康・医療科学担当記者を務めた。
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