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織井理咲:デジタル技術で途上国の健康課題に「橋渡し」する研究者
織井理咲(ワシントン大学ポール・G・アレンスクール大学院)/提供写真
Trajectory of U35 Innovators: Lisa Orii

織井理咲:デジタル技術で途上国の健康課題に「橋渡し」する研究者

ワシントン大学ポール・G・アレンスクール大学院の織井理咲は、発展途上国の医療課題にデジタル技術で挑む研究者だ。マラウイではHIV患者の電子カルテ研究を、ケニアでは若年女性の避妊支援アプリを進めてきた。 by Yasuhiro Hatabe2026.02.20

ケニア西部の都市キスムにある薬局。タブレット端末の画面には、若い女性向けの避妊法選択支援アプリ「Mara Divas(マーラ・ディーヴァス)」が表示されている。スワヒリ語や英語など3つの言語に対応し、動画や音声ナレーションも備える。3カ月間の試験導入では、100人の若年女性がこのアプリを利用し、利用者の94%が「避妊法の選択に自信を持てるようになった」と評価した。

このアプリを開発したプロジェクトで中心的な役割を担ったのが織井理咲だ。ワシントン大学ポール・G・アレンスクール大学院の博士課程に在籍する織井は、2022年に「Innovators Under 35 Japan(35歳未満のイノベーター)」の1人に選ばれた。それから約3年、発展途上国の医療を向上するデジタル技術の研究に取り組んできた。当時進めていたマラウイ共和国でのHIV患者向け電子カルテの研究を論文としてまとめ、新たなプロジェクトへと歩みを進めている。

薬局から始まる若年女性への避妊支援

ケニアでは、15歳から24歳の若年女性にとって、避妊サービスへのアクセスは容易ではない。一般的な病院やクリニックでは若年層特有のニーズに対応したサービスが少なく、医療側の受け入れ姿勢にも課題がある。経済的な理由から通院が難しい女性も多い。結果として、望まない妊娠や危険な中絶を余儀なくされるケースが後を絶たない。

こうした状況の中、若年女性が避妊サービスを受ける主な場所となっているのが薬局だ。しかし薬剤師も多忙でトレーニングが十分でないことが多く、一人ひとりに寄り添った対応は難しい。織井がこのプロジェクトに参加したのは、「女性が健康に、そして主体的に生きられるよう支援したい」という思いからだった。

アプリの開発は、ケニアと米国の研究者、女性の健康の専門家、デザイナー、エンジニアによる共同作業で進められた。約半年かけていちから開発し、現地でのワークショップを通じてフィードバックを得ながら改良を重ねた。導入試験では6カ所の薬局で実際に使用され、ポジティブな結果を得ることができた。

薬局に設置されたタブレットで「Mara Divas」アプリを使い、避妊選択肢を学ぶ/提供写真

だが、課題も見えてきた。アプリを通じて避妊に関する知識や自信は高まったものの、実際に自分に合った避妊法を手に入れる行動にはつながりにくいケースがあったのだ。「アプリではいろいろ学べたが、なかなかそれがアクションにつながらない」。薬剤師とのコミュニケーションが十分に取れないことが、そのギャップの一因だった。

現在、織井はこの課題を解決するため、AIチャットボットの研究に取り組んでいる。1人1人の質問やニーズに応えられる対話型の技術を、アプリの拡張機能として導入できないか探っているのだ。ただし、すぐに開発・導入に進めるわけではない。チャットボットの基盤となるAIモデルは主に英語で訓練されており、キスムで話されるルオ語のような少数言語には対応が難しい。技術的な課題を見据えながら、まずはこのコミュニティにとって本当に使える技術なのかを検証する段階だ。

発展途上国への関心をアカデミックな研究へ

織井が途上国の課題に関心を持ったきっかけは、高校生の頃にさかのぼる。3歳から14歳までを米国で過ごし、中学3年生のときに日本に帰国。米国で経験したボランティアへの関心を日本でも持ち続け、高校時代にフィリピンの児童養護施設への教育支援に取り組むNPO「パラサイヨ(PARASAIYO)」に参加した。2015年から現地訪問や日本国内でのチャリティ・イベントの企画に携わってきた。

この経験を学術研究につなげたいと織井が考えたのは、米マサチューセッツ州のウェルズリー大学に進学してからだ。コンピューターサイエンスと哲学のダブルメジャーで学んだ織井は、「社会や人間の生き方について考えるスキルと、最先端のテクノロジーの2つを1つにつなげられたら、社会や人間の生活をより良くする研究ができるのではないか」と考えるようになった。

転機となったのは、在学中に参加したMITメディアラボでの研究プロジェクトだった。アフリカ・ベナンの環境をモニタリングするエンジニアリング・ツールを開発するプロジェクトで、「エンジニアリングと発展途上国」という自分の関心とスキルを生かせる場があることに気づいた。その後、ワシントン大学の博士課程に進学し、グローバルヘルスに関する研究を本格的に始めた。

そこで最初に取り組んだのが、先に紹介したマラウイ共和国でのHIV患者向け電子カルテの研究だ。世界でも最もHIV感染率が高い地域の1つであるマラウイで、医療情報をいかに正確かつ安全に管理するか。現地でのフィールドワークを経て、医療従事者や患者、政府関係者との対話を重ね、電子カルテのセキュリティに関する課題を抽出した。2024〜2025年に研究成果を3編の論文にまとめ、そのうち1編はヒューマン・コンピューター・インタラクション分野のトップ学会であるACM CHIで、応募論文のトップ5%に与えられる「Best Paper Honorable Mention」を受賞している。

「偏らない」姿勢

研究において織井が大切にしているのは、「偏らない」ことだ。テクノロジーの開発はエンジニアやコンピューターサイエンスの専門家が担うが、それが社会にどうつながるのか、人々にどう受け止められるのかを考えるためには、多様な観点が必要になる。

「自分1人、コンピューターサイエンスの人とだけで研究をせずに、できるだけ幅広くいろいろな視点を持つ人と研究を進めることを意識しています」。ケニアのプロジェクトでも、女性の健康の専門家からアプローチを受けて共同研究が始まった。自ら途上国に赴いてプロジェクトを立ち上げるのではなく、現地のニーズに応える形で研究に関わる姿勢を貫いている。

こうした学際的なアプローチは、博士課程の研究にとどまらない。コロナ禍で一時帰国した際には東京大学の鳴海拓志研究室でインターンとして共同研究に取り組んだ。2024年にはグローバルヘルスの大手NGO「PATH」で母子保健のデジタル化プロジェクトに6カ月間携わり、2025年夏にはオムロンサイニックXでデジタル・メンタルヘルスの研究に従事した。アカデミアの内外で経験を重ね、研究者としての視野を広げてきた。

ケニアのプロジェクトチーム/提供写真

テクノロジーと保健医療の間に立つ

2026年6月の博士課程修了を控え、織井は今後のキャリアについて考えを巡らせている。「研究職に限定するつもりはない」と織井は語る。グローバルヘルスとデジタル技術の両分野を理解し、それぞれの専門家をつなぐ橋渡し役になりたいと考えている。企業でのコンサルティング、あるいはWHO(国際保健機関)やUN(国際連合)といった国際機関での活動も視野に入れている。

ケニアでのプロジェクトについては、織井の卒業後の継続が課題だ。自身が数年間関わってきたプロジェクトを、どうやって現地に引き継ぐか。ケニアの政府や研究機関、現地のソフトウェアエンジニアへの移管を見据え、指導教官やプロジェクトオーナーと議論を続けている。

織井の研究を貫くビジョンは、「より多くの人が健康な生活を送れることに貢献したい」というものだ。「健康は最も基本的な権利の1つ。でも発展途上国では、十分なサービスを受けられない人がまだ大勢いる。だからこそ、そこにフォーカスを当てる価値がある」。テクノロジーと保健医療の両方を理解し、現地のニーズに応えられる研究者として、織井は次のステージへと踏み出そうとしている。

この連載ではInnovators Under 35 Japan選出者の「その後」の活動を紹介します。バックナンバーはこちら

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畑邊 康浩 [Yasuhiro Hatabe]日本版 寄稿者
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