阿部博弥:ヘモグロビンからムール貝まで、生物に学ぶ材料研究者
東北大学准教授の阿部博弥は、生物の構造や分子に着想を得た材料設計で、燃料電池触媒から水中接着剤、皮膚を介したセンシング技術まで、幅広い応用を切り拓いている。 by Yasuhiro Hatabe2026.08.27
自然界が果てしない時間をかけて磨き上げてきた動植物の仕組みや構造から学び、人間の技術へと還元する「生物模倣」。東北大学学際科学フロンティア研究所で准教授を務める阿部博弥は、このアプローチを強みに、新材料や環境・医療デバイスの開発に取り組んでいる。
2023年、阿部が「Innovators Under 35 Japan(35歳未満のイノベーター)」の1人に選ばれた際に注目されたのは「AZUL(アジュール)触媒」だった。燃料電池には電極触媒として希少金属の白金(プラチナ)が不可欠とされてきたが、高コストと埋蔵量の限界が普及の壁となっていた。阿部は血液中のヘモグロビンに含まれる「ヘム」という分子の構造に着想を得て、安価な顔料分子と炭素材料を組み合わせることで、白金と同等以上の性能を持つ青色の触媒を開発した。
白金を超えた青い触媒、その先にある応用
AZUL触媒の発見は、学生時代に遡る。当時取り組んでいた研究とは別に、個人的な興味から燃料電池用の触媒材料を探っていた阿部は、博士課程の同期が研究していた顔料と、自身が扱っていた炭素材料を組み合わせることを思い立った。実際に試してみると、白金を上回る触媒活性が確認された。「そんなはずはない」と半年ほど再現実験を重ねたが、結果は変わらなかった。顔料由来であるため製造コストも低く抑えられることから、2019年に共同創業者の一人としてAZUL Energy(アジュールエナジー)を立ち上げた。2026年7月には、AZUL触媒の試薬としての販売を開始した。これにより、研究者が直接購入して実験室で利用できる環境が整った。
外部への提供だけでなく、阿部自身、AZUL触媒の応用範囲の拡大も手がけている。1つは、微生物の代謝によって発電する微生物燃料電池だ。田んぼの中に電極を設置し、正極の部材としてAZUL触媒を用いることで発電する仕組みを開発した。この電力を使って外部電源なしで温度などを計測し、Bluetoothで送信する環境モニタリングに応用する研究を進めている。「秋保ナイトミュージアム」というイベントでは、微生物由来のエネルギーで電球を光らせたり音を鳴らしたりすることで、「土がどれくらい元気か」を可視化する試みとして展示した。
もう1つは、補聴器用電池などで実用化されている金属空気電池への応用だ。補聴器のような微小電流ではなく、非常用に必要なまとまった電力を取り出せるバッテリーを開発している。
水中でも剥がせる接着剤、木材由来のマイクロニードル
阿部が近年力を入れているのが、ムール貝の接着メカニズムに着想を得た水中接着性ハイドロゲル(接着剤)である。ムール貝が持つカテコール基という分子構造を材料に取り入れることで、通常は困難とされる濡れた表面への接着を可能にした。発端は、修士・博士課程でのバイオセンサー研究だ。当時は神経伝達物質のドーパミンを測定していたところ、この分子がカテコール基と同じ構造を持つと気づいた。そこから、測定の対象だった分子を材料そのものとして活用することを思いつく。
この接着剤は、人間の体温付近の温度域で強く接着する一方、温度を下げると接着力が弱まり、無理なく剥がれるという温度応答性を持たせている点が特徴だ。皮膚や濡れた臓器の表面にセンサーを貼り付ける用途を想定しており、剥がす際に組織へダメージを与えない設計になっている。現在は企業との共同研究の形で、製品化に向けた取り組みが進んでいる。
木材の導管構造をそのまま利用したマイクロニードルも、阿部が近年取り組む重要なテーマだ。ただしこちらは、生物の構造を模倣するというより、生物由来の構造をそのまま活用する試みである。皮膚の下にある組織液には健康状態を反映する多くの情報が含まれているが、表皮・角質層に阻まれてアクセスするのが難しい。しかし、微細な穴を多数開けて液体を効率よく出し入れする構造を人工的に作るのは、高度な微細加工技術を要する困難な作業だった。阿部は、木材がもともと持つ数十マイクロメートル規模の導管構造に着目し、木を削ってそのまま針として成形するアイデアに行き着いた。「自然がすでに作り出した微細構造を、そのまま使ってしまおう」という発想であり、微細加工のための装置や工程をほぼ必要とせず、液体を直線的かつ効率的に移動させられるという。すでに特許を取得済みで、現在は論文の投稿を準備している。
モノづくりへの興味と、生物模倣という視点
山形県酒田市の出身で、田んぼと山に囲まれた環境で育った。もともと「モノづくりが好きだった」という阿部は、鶴岡工業高等専門学校に進学する。実家はフレンチレストランを営んでおり、3人きょうだいの兄と妹はともに調理師学校に進んだ。真ん中に生まれた阿部だけが理系の道に進んだが、「モノを作って人に出すというところに、みな興味があったのだと、今になって思います」と振り返る。
東北大学工学部に編入し、生物模倣という研究領域に出会う。所属したのは、生物模倣の分野で中心的に活躍していた下村政嗣教授の研究室だった。阿部はそこで、蓮の葉の撥水構造を模した材料の研究に取り組んでいたが、当時はまだ分子レベルでの模倣には至っていなかった。修士・博士課程では電気化学とバイオの側へ軸足を移し、構造ではなく分子のスケールで生物を模倣できないかと考えるようになる。博士課程では比較的自由にテーマを設定できる環境の中で、電池や接着剤といった今につながるテーマにも着手していた。
「振り返ってみれば、結局は生物模倣につながっている」と阿部は語る。もともと材料科学の視点で研究を進めていたものが、生物の分子構造やメカニズムという別の視点を取り入れることで、新しい機能や高い性能につながる経験を重ねてきたという。
分野を越えてつながる、生物模倣工学という理念
阿部が所属する学際科学フロンティア研究所には、文系分野からバイオ、宇宙まで、多様な分野の研究者が集まっている。専門分野が異なっても「関係ない」と切り捨てず、まずは話を聞いてみる。「いつか点と点がつながる」という意識を持ちながら、視点を広げることを心がけているという。
阿部の研究室が掲げる「生物を学び、生物に学び、生物を超える研究を目指す」という理念にも、そうした姿勢が表れている。単に生物の構造を模倣するだけでなく、生物そのものを分析することを通じて、その真価をより深く引き出したいとの考えだ。
今後の課題として阿部が挙げるのが、そうした研究アプローチを1つの学問領域「生物模倣工学」として体系化することだ。これまでは構造レベルでの模倣が中心だったが、接着分子や触媒分子など、分子スケールでの理解が進むことで、工学への応用もさらに広がると見ている。またビジネス面では、AZUL触媒を具体的な製品に組み込んでいくタイミングを見極めることが課題だ。燃料電池や電池業界では、新しい材料への切り替えは簡単には進まない。金属空気電池など新たな用途も含め、タイミングが肝になる。
触媒も、接着剤も、マイクロニードルも、出発点は同じところにある。阿部は今、その出発点を「生物模倣工学」として体系立て、誰もが使える方法論にしようとしている。
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この連載ではInnovators Under 35 Japan選出者の「その後」の活動を紹介します。バックナンバーはこちら。
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- 畑邊 康浩 [Yasuhiro Hatabe]日本版 寄稿者
- フリーランスの編集者・ライター。語学系出版社で就職・転職ガイドブックの編集、社内SEを経験。その後人材サービス会社で転職情報サイトの編集に従事。2016年1月からフリー。
