遺伝子編集臓器の研究で脳死下の身体が求められる理由
異種間の臓器実験のために脳死状態の人の身体が求められている。遺伝子編集された異種の組織を使った、ヒトへの臓器移植の実験を始める企業や研究者が増えているからだ。 by Antonio Regalado2024.02.12
この記事は米国版ニュースレターを一部再編集したものです。
人工呼吸器につながれている人は、法律や医療の専門家、そして愛する人の目には死んでいるように見えるかもしれないが、医学研究の観点からはまだ十分生きている状態にある。こうした脳死状態の人の身体は臓器提供に利用されることが多いが、生物工学の世界でも重要性が増している。
本誌は先月、ペンシルベニア大学の外科医のチームが、72時間にわたる実験でどのようにブタの肝臓を脳死状態の人の身体につなげたかを報告した。
この実験で重要なのは、特殊なポンプ装置の中に取り付けられたブタの臓器が、体内の毒素を除去する役割を引き続き果たせるかどうか、そして急性肝不全の患者を助けるための新たなアプローチにつながる可能性があるかどうかを判断することだった。
今回のように、脳死状態の人の身体全体を実験的な「死者モデル」として使用することは、依然として極めて異例である。しかし、特別に遺伝子編集されたブタの組織を使った動物からヒトへの臓器移植の実験を始める企業が増えているため、脳死状態の人の身体への需要が急増しているのだ。
「実際に脳死状態の人の身体を使うには、いくつかの段階を経なければなりません。50年前のように、『じゃあ明日実験をします』とはいかないのです」と今回の実験を指揮したペンシルベニア大学のエイブラハム・シェイクド医師(外科)は話している。
脳死状態の人の身体を実験モデルとして使用することは珍しいことなのだろうか。ペンシルベニア州、ニュージャージー州、デラウェア州で臓器提供を手配している非営利団体「ギフト・オブ・ライフ・ドナー・プログラム(Gift of Life Donor Program)」のリチャード・ハズ最高経営責任者(CEO)に問い合わせた。今回のペンシルベニア大学でのブタの肝臓の実験に使用された脳死状態の人の身体を提供した団体である。
「これは、間違いなく新しいモデルです。しかし、時には、私たちは以前の出来事を繰り返すことがあります。私たちの組織には約50年の歴史がありますが、このようなケースを依頼されるのはこれが2回目です」(ハズCEO)。
1回目は1980年代のことで、この時テンプル大学の研究グループは、プラスチックと金属で作られた初期の人工心臓を実験する「リスクのない」方法として、脳死状態の人の身体を探していた。この研究グループは、生きている患者に人工心臓を試す前に、人工心臓が胸部にどのようにフィットするかを確認し、手術の手技をテストしたいと考えていたのだ。
しかし2021年から、臓器寄付団体は「心臓が動いている死体」とも呼ばれる、脳死状態の人の身体を必要とする外科医からの声を再び聞き始めるようになった。いくつかの企業が遺伝子編集されたブタを開発し、医師たちがその臓器の実験を開始する用意ができたためだ。
バイオテクノロジー企業のイージェネシス(eGenesis)の集計によると、2021年以降米国で実施されたブタからヒトへの移植実験10件のうち、2件は生きた人間を対象としたものだが、残りの8件は脳死状態の人の身体を対象としたものだったという。
脳死状態の人の身体の主な用途は、臓器ドナーである。ハズCEOによると、医療を受けている間に脳死と認識された人のうち、臓器提供が可能なのは1~2%と比較的稀だという。
「交通事故や病院の外で死亡した人なら、誰でも臓器提供者になれるというのは大きな誤解です。臓器を提供するには、脳に壊滅的な神経学的損傷を受け、ICUで死亡した人でなければならないのです」(ハズCEO)。
脳は機能していないが心臓は動いているという状態こそが、適切なレシピエント(移植者)を見つける時間、身体を移動する時間、外科医が臓器を摘出する時間(場合によっては1日か2日)を確保するのである。
ギフト・オブ・ライフのような組織は、脳死状態になった人の家族にアプローチし、身体を輸送し、臓器とレシピエントをマッチングするのを支援している。 2023年、ギフト・オブ・ライフは693人のドナーから採取された1734件の臓器移植の手配を支援した。
今回の実験のドナーとなった患者(脳死と宣告されていたため実際には「死者」だが)の家族は、臓器の提供を望んでいた。しかし、臓器提供を受ける相手は見つからなかった。がん、年齢、感染症などの要因により、臓器が移植には好ましくない場合があるのだ。
そこでハズCEOは、別の選択肢について家族に相談した。「亡くなった方の身体を、ブタの肝臓の実験に使用しても良いでしょうか?」と尋ねたのだ。 こうした発想そのものが家族にとって初めてのものだったが、すぐに同意してくれたと同CEOは話す。
「私たちのチームは、期間、目標、体外補助治療の実験という事実など、この家族が十二分に理解し、そして、そのすべての情報を提供できるよう努めました」(ハズCEO)。
今回の実験は、わずか72時間で終了した。これは、実際の患者をサポートするためにブタの肝臓が必要な時間とほぼ同じだからだ。ハズCEOによると、他の家族はもっと期間の長い実験でも厭わないかもしれないが、おそらく無期限の実験は無理だろうという。「医学的、法的に死亡したと宣告されれば、機械的なサポートで生命を維持することは可能ですが、家族には区切りをつけたい、葬儀をしたいという願望があり、家族によっては実験を1日や1カ月に制限することもあるかもしれません」。
ハズCEOは、チームはブタの肝臓を使ったさらなる実験を支援するため、より多くの脳死状態の人のドナーを探すつもりだと述べた。そして同CEOは、多くの家族が献体に同意するだろうと期待している。「私たちは臓器移植において、見ず知らずの人たちの優しさに日々頼っています。彼らは最悪の瞬間にあっても、それを脇に置いて他の人のことを考えることができるのです」と同CEOは言う。「長年にわたって多くの家族と話をしてきましたが、彼らが喜んで『良いですよ』と言う姿勢にはいつも驚き、そして恐縮しています」。
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本誌のシャーロット・ ジー記者は2023年、亡くなった親族と会話できるチャットボット「デジタル・クローン」の作成について解説している。
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- アントニオ・レガラード [Antonio Regalado]米国版 生物医学担当上級編集者
- MITテクノロジーレビューの生物医学担当上級編集者。テクノロジーが医学と生物学の研究をどう変化させるのか、追いかけている。2011年7月にMIT テクノロジーレビューに参画する以前は、ブラジル・サンパウロを拠点に、科学やテクノロジー、ラテンアメリカ政治について、サイエンス(Science)誌などで執筆。2000年から2009年にかけては、ウォール・ストリート・ジャーナル紙で科学記者を務め、後半は海外特派員を務めた。