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接種先進国・イスラエルのワクチン・パスポートから何が学べるか
Maya Alleruzzo/AP
Israel’s “green pass” is an early vision of how we leave lockdown

接種先進国・イスラエルのワクチン・パスポートから何が学べるか

新型コロナワクチン接種を証明することでレストランやコンサートへの入場を許可する「ワクチン・パスポート」プログラムが、イスラエルで始まった。多くの国で同様のプログラムが検討されているが、イスラエルの経験には大いに学ぶべき警告が含まれている。 by Joshua Mitnick2021.03.04

そのCMは、心をそそられるようなビジョンと楽曲音の盛り上がりで始まる。ドアが大きく開くと、そこには、太陽が降り注ぐパティオと、笑顔でくつろぎながら食事を待つカップルが現れる。「友人たちと外出できるのを、私たちはどれだけ待ち望んでいたでしょう」と、ナレーションが尋ねる。「グリーンパスがあれば、あなたの目の前でドアが開きます。(中略)私たちは、生活に戻りつつあるのです」。

これは、イスラエル版のワクチン・パスポート宣伝用に作られたCMだ。それでも、程度の差こそあれロックダウンで1年を過ごしてきた人々にとっては、この広告は猫にとってのマタタビのようなものでもある。ワクチンを接種したら、普通の生活に戻れるのだろうか。そして、もし戻れるというのなら、どんな証拠が必要になるのだろうか。

新型コロナウイルスのワクチンについてはまだかなり未知な部分があり、接種の実施にまつわる問題も数多くある。とは言うものの、航空会社、音楽イベントの会場、日本、英国、欧州連合などは、ワクチン・パスポートのプログラムを検討している(日本版注:日本政府は国内ででの利用は想定しないとしている)。

ワクチン・パスポートを支持する人の中には、タイで起こっている激しい議論の片方の意見に見られるように、厳しい打撃を受けた観光産業の景気刺激対策として、海外からの旅行者を対象とした検疫隔離を終わらせることに焦点を当てている人もいる。あるいは、イスラエルに倣って、2段階式のシステムを作ることを想定している人もいる。ワクチン接種を受けた人はパンデミック後の生活という恩恵を享受し、まだ受けていない人は接種できるのを待つ、というシステムだ。イスラエルで起こっていることからは、こうした見込みについて垣間見ることができる。そして、こうした仕組みが直面する問題についてもだ。

ワクチン・パスポートの仕組み

イスラエル版ワクチン・パスポートは、1カ月に及ぶロックダウンからの脱却を後押しするプログラムとして、2月21日に発表された。ワクチン接種済みの人は、「グリーンパス」の提示を求められたときにパスを表示できる専用アプリをダウンロードできる。同アプリは、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)から回復した人には、その証明書も表示する(各国で提案されているパスポートシステムの多くが、最近の陰性証明書など、自分は危険ではないことを示すための方法を複数提供している。イスラエル政府によると、そのオプションも間もなく同アプリに導入される予定だという。これは、承認済みワクチンを受けるには幼すぎる小児にとって特に有用だと考えられる)。関係当局は、こうしたグリーンパスのメリットにより、まだ接種を躊躇しているイスラエル人(若者に多い)もワクチン接種を受ける気になってくれるのではないかと期待している。

「ワクチン接種を受ける人は、何かが変わるということや、楽になれるということを知りたいのです」。著名なテレビジャーナリストのナダヴ・エヤルは言う。「ある程度平常に戻れるということを、誰もが知りたがっているのです」。

ただ、派手な宣伝にもかかわらず、イスラエルのプログラムが実際にどの程度までうまくいくのか、あるいはそれがワクチン・パスポート全般にとって何を意味するのかを伝えるには、まだ時期尚早だと言える。倫理学者の中には、こうしたプログラムによって、既存の不平等がさらに定着してしまう恐れがあると主張する向きもある。そして、こうした不平等は、イスラエルではすでに起こっている。イスラエル占領下にあるガザ地区およびヨルダン川西岸地区の少数のパレスチナ人にとって、ワクチンへのアクセスは非常に限られているからだ。

グリーンパスは個人のプライバシーにとって悪夢にもなりかねないと、ハイファ大学教授(コンピュータ科学)で、プライバシー・イスラエル(Privacy Israel)の役員でもあるオール・ダンケルマンは指摘する。ダンケルマン教授は、資格証明をチェックする人が知る必要のない情報まで、グリーンパスによって暴露されてしまうと言う。ユーザーが新型コロナウイルス感染症から回復した日やワクチンを摂取した日といった情報だ。さらに、専用アプリは時代遅れの暗号化ライブラリを使用しているため、セキュリティ侵害に対して比較的脆弱だともいう。さらに、大変重要なこととして、このアプリはオープンソースではないため、こうした懸念が根拠に基づいたものかどうかをサードパーティの専門家が検証できないというのだ。

「これではいつ大変なことが起こってもおかしくありません」と、ハアレツ(Haaretz)紙のコラムニストであるラン・バー・ジクは言う。

ジクは、グリーンパス・プログラムの下で現在利用可能な、もうひとつの選択肢を推奨している。アプリを使用する代わりに、紙の接種証明書をダウンロードする方法である。それが可能なのにもかかわらず、ワクチン接種済みであることを証明する方法としては、やはりアプリが最も普及することになると考えられている。

不必要に複雑

米国では、大規模なワクチン展開に先立ち、開発者らがこうしたプライバシー上の懸念に対処しようと取り組んでいる。ラメシュ・ラスカー准教授は、マサチューセッツ工科大学(MIT)で非営利団体のパスチェック財団(PathCheck Foundation)を運営している。同財団は、デザイン・コンサルティング会社のアイディオ(Ideo)と提携してローテクなソリューションを開発しており、彼らが開発したプロトタイプでは紙のカードを使用している。現在ワクチン接種を受けた人に渡されている紙のカードに似たものだ。

この紙のカードなら、複数の証明方法を提供できるようになるかもしれない。QRコード形式でスキャンできるようにすることで、コンサートの改札係員にはワクチン接種のステータスだけを見せ、医療提供者には、もっと情報量の多いオプションを提示できる。

「バスに乗ったり、コンサートに入場したりするときには、非常に使いやすく、ある程度のプライバシーを保護できるソリューションが必要になります」とラスカー准教授は言う。だが、状況によっては、もっと多くの情報を提示しなければならないこともある。例えば航空会社には身分を証明する必要があるし、病院は正確な医療記録を必要とする。

だが問題は、バーに入るのに個人情報を渡す必要がないようにするということにとどまらない。プライバシーは、不法滞在者にとっても、政府に不信感を抱いている人にとっても重要なのだとラスカー准教授は言う。そして、企業が人々の情報を見る際に、「ハッキング可能なリポジトリ」を作るといった間違いを再び繰り返さないようにすることが大事なのだと付け加える。

ラスカー准教授は、今のところ、商業上の利益が邪魔をして、シンプルなものを作れないでいるのではないか、と考えている。少なくとも、後にもっと儲かる形で再利用できるような何かを見せびらかしたいソフトウェア会社は、シンプルなものを作ったのでは、あまり儲けにはならないだろうというわけだ。イスラエルと比較すると、「米国では不必要に物事を複雑にしています」とラスカー准教授は言う。

成功への道

イスラエルとは異なり、全国共通の身分証明書も、まとまった医療記録システムも持たない米国が、ワクチン・パスポートを迅速に導入するために何をすべきかについては、はっきりと分からない。

だが、最終的にどの選択肢が広く普及することになっても、このアイデアには宣伝に描かれていない側面があるのも確かだ。例えば教師や医療スタッフには、職場に入る際にワクチン接種済みの証明書か陰性証明書の提出を要求してはどうかという提案も出ている。

これでは個人のプライバシー権が過度に侵害されかねない、とイスラエル民主主義研究所( Israel Democracy Institute)の研究者であるアミール・フックス博士は言う。それでも、「ワクチン接種を受ければ制限が少なくなるという理屈については、ほとんどの人が理解しています」。

ワクチン供給においては進展があるのにもかかわらず、こうしたパスポートの取り組みは、すべてまだ初期段階にあるにすぎない。パスチェック財団のアイデアは、パイロットプロジェクトについては検討中だが、まだ展開はされていない。デンマークでは、ワクチン・パスポートは依然として、計画というよりも見込みのようなものにすぎない。それに、イスラエルでさえ、政府の宣伝によって打ち出されたビジョンは、まだ単に大きな望みにしかすぎない。グリーンパス所有者はプールやコンサート会場には入場できるかもしれないが、食堂やレストランはどちらにしろまだ休業中だ。パスを所有していようがいまいが、誰も利用できないのだ。

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この記事は、「パンデミック・テクノロジー・プロジェクト」 の一部であり、ロックフェラー財団の支援を受けています。

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